18. キャシィと呼んで
太陽と呼ばれる大岩に見下ろされ、坂道を上る。
「まさか本当に太陽があるなんて」
地底の天井を見上げながらプリーナが呟いた。まだ走るのは難しいけど、少し出歩くくらいなら問題ないようだ。
「ああ、なんてロマンチックなの! 地底に太陽! 素敵だわ! 幻想的だわ!」
ロマンチックはどうだろう……どちらかと言えばお花畑のほうを言うんじゃないかな。男の子は喜びそうだけど。
今、ぼくたちは寝床に向かっている。何でも当初サーネルが寝泊まりしていた洞穴が孤児院の奥にあるらしいのだ。ベッドも用意されているという。ウナたちには申し訳ないけど、寝る時はそこを使わせてもらうことにした。
崖に沿った坂道を進むこと三分。洞穴はすぐに見つかった。
「あそこか」
「あら? 誰か出てくるみたい」
心臓が跳ねる。プリーナの言う通り、穴の中から人影が現れる。隠れようとした時にはもう顔を出していて、目が合ってしまっていた。
「……」
ヘレナだった。ほっと胸をなでおろす。
相変わらず髪も瞳もはっとするほど赤い。じっとりとした視線を向けられ、ぎこちなく笑みを浮かべる。
「ど、どうも。ヘレナさん」
「ああ、あなたが」
プリーナが納得したように言う。そういえば彼女からすると初対面だった。
ヘレナは言葉を返さず、けど去ることもなく視線を向けてくる。表情が全くない。対応に困っていると、ようやく何がしか呟いた。
「……めて」
「え?」
「ヘレナはやめて。親しい人にしか呼んでほしくない……です」
頬がひきつる。思い切り敵視されていた。まあ、しょうがないことだ。
「ごめんなさい。えっと。じゃあ、フローレスさん?」
「……キャシィ」
「キャシィ、さん?」
ヘレナはこくりと頷いた。それから今度こそ坂を下りていった。初対面の時は舐められた衝撃で気づかなかったけど、意外に無口な人だ。
それにしても、どこからキャシィなんて出てきたんだろう。ヘレナの方があだ名なのか?
「ずいぶん嫌われちゃったみたいね」
「いつものことだよ」
ぼくは軽く言って洞穴に入った。彼女は中で何をやっていたんだろう。
はっとする。何か罠を?
そう思ったけど、中にはただベッドが一つ用意されていただけだった。一人で使っていたそうだけど、二人分の広さはある。
ティティも入れそうだけど、必要ないかもしれない。早くも子どもたちと戯れていたから。
そう考えてから気づく。ティティが狙われる可能性がないとも限らなかった。
「ちょっとティティを見てくるよ。プリーナは……ああ、いや、ついてきてもらってもいいかな」
「ええ、もちろんよ」
優しくしてくれる人たちを警戒するのはたまらなく嫌だ。だけど、何か起きてからじゃ遅い。
「ごめんね。体に障るし、おんぶしてくよ」
「うーん。そうしてもらおうかしら」
プリーナは明るく答えてぼくの肩に手を置く。近づくとわずかに息が切れているのが分かった。
その時だ。
視界に突如、手が伸びてきたのは。
「う、うわあああっ……あ?」
「ダメ」
「――へ?」
情けなく悲鳴を上げたぼくの首に腕が回される。首を絞められたわけじゃない。いつの間にかヘレナがいて、抱き寄せられていた。
「えっ、あのこれはっ?」
「サーネル様じゃないからって、その……ダメですから」
「何が?」
ばっとぼくを引き離し、ヘレナは中腰になる。目を丸くするプリーナに鼻をふんふんと鳴らして何かアピールした。
「な、なにかしら?」
「あたしがおんぶします」
ぼくとプリーナは目を見合わせる。状況が分からない。
「どうしましょう?」
「うーん……それじゃあ」
少し迷ったけど、結局ヘレナに頼むことにした。
坂道を戻る。縦に並んで降りていく。
なんとなく三人とも無言になった。ちょっと口火を切りにくくなってきたなというところで、プリーナが尋ねる。
「重くないかしら」
「平気です」
「そう、よかった。……ねえ、あなたはサーネルとどういう関係なの?」
「……」
黙ってしまった。振り返ると、ヘレナは不機嫌そうに口を結んでいた。
背負われたプリーナと一瞬目を合わせ、ぼくたちは一旦黙り込む。彼女にとってぼくたちは、「サーネルの体を奪った酷いやつら」でしかないのかもしれない。
この体もいつか返してあげなくちゃいけない。やり方はまだ分からないけど。
目を上げる。坂の下に誰かがいる。マントを羽織った背の低い少年――ミィチだった。
「なんだお前ら、喧嘩でもしたか?」
第一声から腫れ物を突き刺してきた。思わず苦笑する。
ミィチは肩をすくめ、愉快そうにヘレナを見上げた。
「こう見えてまだ子どもなんだ。優しくしてやってくれ」
言われてヘレナはむくりと頬を膨らませる。
「子どもじゃない」
「九歳は子どもだ」
「……あたしよりちっちゃいくせに」
ぼそりとした返しに、ミィチは顔色を変えない。だけど数秒無言になった。
「って、九歳っ? キャシィさんがっ?」
ぼくは声を上げる。とてもそんな歳には見えない。プリーナより背も高いし、顔の作りも目鼻立ちがはっきりしているというか、子どもっぽくない。
「見えないってさ。よかったな」
ミィチのにやりとした笑みに、ヘレナはぷいとそっぽを向いた。確かに仕草は子どもみたいだ。
あれ? それならミィチは何歳なんだろう。
うん。聞かないでおこう。
「ところで、体は平気なの?」
「オレは一瞬吸われただけだからな、軽傷だよ。それより向こうで鳥が遊ばれてたぜ。見に行ってやりなよ」
「ああ、うん。ちょうど今から……え? 遊ばれてた?」
愉快そうな表情を崩さないミィチに、背筋を悪寒が走り抜ける。
相手は子ども……だよね? でも魔術を使えるかもしれないし。簡単に火とか出せちゃうかも……。
まずい、焼き鳥にされる!
「ティ、ティティィィィ!」
ぼくは全速力で孤児院の方へ向かった。
そして目にするのだった。孤児院の先にある丘の上で、煙が立っているのを。
「まさか……!」
体重を消し、全力で飛び上がる。丘の上に一直線で乗り込む。
八人ほどの子どもたちがわいわいと焚火を囲んでいた。焼かれているのは――丸々とした何かの肉。
いきなり現れたぼくに目を丸くした子どもたちの前で、ぼくはひざをついた。
「サーネル?」
「ごはん作ってたんだよ! 美味しそうでしょ!」
嬉しそうな声には答えられない。勝手に体が震える。
「ああ……ティティが……ティティが焼き鳥に」
「ぐええ!」
後ろから頭を小突かれた。
「あれ? ティティ?」
何故か後ろにティティがいた。頭やら首やら、筋肉質な体の至るところに花輪をつけられている。
「この子がね! なんかお腹空かせてたみたいだから!」
一番大きな、ぼくより頭一つ小さいくらいの女の子がいった。
「ごはんってもしかして、ティティのために?」
「そうだよ! あ、でも熱くしたら食べれないかな……よく分かんなくて。あとこれ鳥じゃなくて木の実だよ。おっきいでしょ!」
ああ、そうか……プリーナのことに必死で、夜にごはんをあげていなかった。ウナに食べさせてもらった時はティティだけ外に出ていたし。それでこの子たちは。
ぼくは頬を緩めた。
「ありがとう。熱くても大丈夫だよ、ティティは」
子どもたちは笑顔を弾けさせた。
どうやら、要らぬ心配をしてしまったらしい。こんな子たちがティティを襲うはずがない。
ぼくはきゅっと口を結ぶ。
――もし人質にするとしても、むやみに傷つける真似はしないだろう。
ああ、やっぱり……良くしてくれる人を疑うのはつらい。魔族の相手は吹っ切れたから、もうちょっと楽なんだけど。
木の実の匂いは香ばしく暖かい。軋む胸を硬くした頬のうらに隠し、ぼくは流れる風を吸い込んだ。