6. 支配された世界
2019/01/18 改稿しました
ブラムス・デンテラージュ。圧倒的な魔力で多くの魔族を従え、世界を、そして人類を支配する悪逆非道の大魔王。戦を好み、自ら先陣を切って数々の国を滅ぼしたという。目的は略奪ではない。虐殺だ。そして強き者を屈服させることにこそ誇りを掲げていた。
「おかげで世界の人間たちはすっかり弱っていますねえ。ワタクシたち魔族は彼らで遊び放題なんですよぉ」
緑色の瞳を妖しく光らせ、メニィは嬉しそうに語る。
「ほぉら、この通りぃ」
遺体の首元にできた断面に手を突っ込むと、グチャグチャと音を立て中を掻き回し始める。にたぁ……と笑いかけられ、ぼくは身を固くした。
けれど怯えてばかりもいられない。ますます状況が分からなくなった。
「えぇっと……魔王は、世界を支配してるんだよね」
「ええ、そうです全世界です! あなたのお父様はそれはそれは誇り高い方なんですよぉ」
ありえない。
だって世界は支配なんかされていない。日本は――アメリカはヨーロッパはオーストラリアは、魔王の支配なんか受けていない。
ぼくは頭の片隅でなんとなく、自分がとんでもないド田舎に連れてこられたのだと思い込んでいた。そこでのみ秘密裏に魔族が動き、魔術なんて超常的な力が振るわれているのだと。でも、違うのか?
これじゃまるで、地球とは別の、誰も知らない世界に迷い込んでしまったみたいだ。
――死んでもらう。
下校中に聞いた勇ましい声を思い出す。結局あれはなんだったのだろう。どこからともなく声が聞こえるし、いきなり気を失ってしまうし。もしかして、魔術を使われた? 不可解なことが多すぎて頭がパンクしそうだ。
ただ、得心がいったこともある。さっきの兵士たちのことだ。痩身の男やバードの憎悪は、魔族全体に向けられたものであったのだ。だから魔族に見えるらしいぼくを襲った。
……どうして勘違いされるかは分からないけど。
長い耳に触れる。やっぱりこれ? 今までは状況が状況だったから軽く流していたけど、どう考えてもおかしいよね。
服だって、と視線を下に落とす。ずぶ濡れの制服はどこへ消えたのか、パリッとした白いシャツに、金色の刺繍で飾られた袖無しを羽織っている。お腹や腕の部分を裂かれたせいで血まみれのボロボロになっているけど、そうでなければほとんど貴族みたいな出で立ちだ。
もしかしてこの体って……いやいや、そんなまさか。
「あらぁ、お坊ちゃまお坊ちゃま。お体を洗われてはいかがですう?」
血まみれになった手でメニィは指差す。今ぼくらが歩いている谷の出口、流れる細い川の先で水の溜まり場ができていた。湖というほどではないけど、一人や二人が入るには十分な広さだ。
「えっと……そのお坊ちゃまっていうのは?」
「ああ、ワタクシ、お坊ちゃまが生まれた頃よりずぅっとお傍におりましたのでぇ。いわゆる世話係というやつですねえ」
魔族の王子と世話係。イメージに合うような合わないような。
さて。僕らは小さな池に入り、透明な水で服ごと体を洗った。少し覚悟が必要だったけど、思ったほど冷たくはなく、むしろ気持ちいいくらい。入る前、水面に薄く氷が張っているように見えたのは目の錯覚だろう。こっちで目覚めてから、一度だって寒さは感じなかった。
「お坊ちゃまぁ? どうしてこちらを見られないんですう? ワタクシ自慢の身体ですのにぃ」
むしろちょっと熱いくらいだ。
血をきれいさっぱり流し終え、川から上がる。
濁りのないきれいな池でよかった。いくら血まみれでも汚い水に浸かるのは気持ちが悪い。喉は乾いていないけれど、ついでに水を飲んでいった方がいいだろうか。お腹壊すかな。
水面を覗きこむ。見た目には大丈夫そうだけど――。
ぼくはそこで、見てはいけないものを見てしまった。
「あらまあ、お年頃ですかあ? ご自分のお顔をそんなにまじまじと」
メニィの茶化すような声にも反論できない。ぼくは、それこそ食い入るように自分の顔を見つめ続ける。
誰、これ――?
理知的で切れ長の眼。真っ白で芯の通った髪。全体的に男らしい骨格。そのどれもが、ぼくにはまるで見覚えのないものだった。血の気がなく青白い顔の中で唯一、その表情だけが、ごく見慣れた気弱で頼りないもので。
……いい加減、認めなきゃダメかな。
観念の証に、深く、絞り出すように息を吐く。
そうだ、分かっていた。だってこんなのぼくの身体じゃない。つまりぼくは人違いをされているのでも、奇妙な言いがかりをつけられているのでもなかった。
真実、魔王の息子に成り果てていたのである。