6. 黒いローブの人たち
二人の目が、驚きに見開かれている。
頭からちょび髭を生やした半裸の大男と、うさぎみたいな顔立ちをした灰色の瞳の少年。先ほどまで余裕を見せていた双方が、どのような思いからか動きを止め、ぼくの出方を見守っている。
プリーナはマントの中に手を隠し、少年を連れて逃げる機会を窺っているようだった。目を合わせ、小さく頷いてみせる。
ようやく驚きから解放され、大男がいった。
「おのれぃ、汚らわしい魔族め! まさか、堂々と我らが町に入り込んでおったとは!」
ぼくは笑い、歩み出た。肥大化した上半身から湯気を放ち続ける男に手を差し出す。
「そう構えるな。我は貴様らの敵ではない」
まっすぐにその目を見る。そして、手を取ってくれるのを待った。
けど、返された答えは――。
「ええい、白々しい!」
丸太のごとき腕が振られる。ぼくの顔に鉄のように硬い拳が激突し、体ごと吹っ飛ばした。
「魔族の言葉など信じられるものか! 次は何を企んでおる、人々の尊厳を弄ぶ怪物どもめが! 貴様が敵ではないだと? 笑わせるな! 貴様ら魔族は全て残らず人類の敵だ!」
「……違うな」
突き刺さった民家の壁からむくりと起き上がり、ぼくは再び大男へ歩み寄る。
プリーナたちは既に姿を消していた。とはいえ、彼女たちを逃がすためだけに拳を受けたわけじゃない。もう少し、対話を望みたい。
「我だけは敵ではない。何故なら我は、全ての魔族の敵対者だからだ。我だけは、人類の味方だ」
「聞く耳持たぬわ!」
鉄拳がぼくの頬に突き刺さる。またしても民家に突っ込む羽目になる。ぼくはまた起き上がり、歩み寄って手を差し出した。
「お、おのれ……!」
「分かっておるであろう。その魔術で我は倒せぬ。無論、魔王もな」
「黙れ黙れ黙れ黙れぃ!」
頭を掴まれ、顔面から地面に叩きつけられる。今度はその状態で何度も殴りつけられた。
けど、結果は同じだ。
大男の息が乱れ攻撃がやむと、ぼくは何食わぬ顔を作り、あっさりと立ち上がってみせた。
「終わったようだな」
「ぐ、ぬぅ……!」
「我と手を組め。人間が世界を救う道は、それしかあるまい」
「くどい!」
何度目か、鉄拳が頬に突き刺さる。
でも、もう吹っ飛ばされはしない。頬に拳を受けたまま、視線を返す。
「ぬぅ!」
ぼくは足の付け根から足をさらに四本生やし、計六本の足で踏ん張っていた。
「話し合いの余地はない。そう言いたいのだな」
大男は声を詰まらせた。けどその表情にはなお敵意が強く見て取れる。
「ならば貴様に用はない」
踵を返す。魔術で体重を極限まで減らし、ぼくは大きく跳躍した。建物をいくつも飛び越え、大男の視線からあっという間に逃れる。
「おのれぇ!」
悔しさを隠さない、野太い怒号が飛んできた。
「魔族だ! 魔族が出おった! ただちに捕らえて叩き潰すのだ! 絶対に逃がしてはならん!」
拡声器なんて持っていなかっただろうに、その声は敵襲を知らせる鐘のごとく町中に響き渡った。
方々でどよめきが上がり、先ほどまでの静けさが嘘のように至るところで兵士たちの鋭い声が飛び交い始めた。
「いたぞ! こっちだ!」
高速で飛び続けていたのがまずかったらしい。屋根の上に降り立ったぼくを指差し、早速兵士の一人が叫んだ。すぐさま他の兵が集まってくる。その中には小ぎれいなマントを羽織った騎士らしき者の姿もあった。
「待て。こちらに戦いの意思はない」
「命乞いなら無駄じゃあ! オメエら!」
「はい!」
騎士の声に頷き、五人の兵士が方々へ散った。一人残った騎士は首にさげた宝石を光らせる。直後彼の体が強烈な光を放ち、瞬いた。
何かまずい。そう思った時には、ぼくは真っ白な視界の中にいた。
「ここは――? いや、これは」
足元にはまだ板張りの屋根の硬さを感じる。
視界を奪われた? そんな魔術もあるのか……!
「これでオメエは逃げられん。その命、ゆっくりもらい受けるとしようかのう」
音は普通に聞こえるようだ。でもこれじゃ――。
傍で板を踏む音がした。とっさに飛び退き、さらに足の先から足を生やして跳躍する。
「チィッ!」
舌打ちの音。あと一歩で傷をもらうところだったらしい。避けられたはいいけど、どこに足場があるか分からない。
もういっそ、このまま町の外まで跳び出したほうが。そう考えた時、背中に強い衝撃を受けた。
「痛っ」
感触からするとただの蹴りだ。けど、進路を阻まれ地面に落とされてしまった。
けど、動ける。またすぐ傍で足音がして、ぼくは即座に飛び退いた。
「甘いんだよ!」
その先――道があるかもわからない前方から、熱を感じた。
直後、炎に全身を焼き尽くされる。
「がああああっ」
苦痛に叫びのたうち回る。肺にまで熱が入り込んできて、数秒後には声も出せなくなった。
まずい。これは、想像以上に。
いや、落ち着け、落ち着け。まだ体は動く。魔術は使える。
地面に手を付け破砕する。煙を巻き上げながら地面を大きく凹ませていく。
煙に紛れて逃げるんだ。本当はもう少し話し合いたかったけど、もはやそんな余裕はない。
生えていたままだった足を引きちぎり、煙の外へ何本も放り投げる。近くにいたらしい兵士が短く悲鳴を上げた。
特に意味はない。ただのハッタリだ。相手には火のついた爆弾にでも見えたことだろう。兵士たちが勝手に警戒している間にぼくは自身を塵のように軽くし、大きく跳びあがる。掌から衝撃を放つことでさらに高くへ上昇した。
視界はいつ元に戻るだろうか。それとも戻らないのか。
油断した。町中で正体を知られた時点でなりふり構わず逃げ出すべきだったんだ。マイスという脅威から逃げ延びたことで気が大きくなっていたのかもしれない。まぎれもない慢心だ。
ぼくってやつは、これだから――。
「撃ち落とせ!」
誰かが命令する。何かが鋭く風を切り、ぼくの背中に突き刺さった。
「くっ」
集中が途切れ魔術が解ける。体重が戻り、再び地面に墜落する。
白い視界の中、さっきまでより多くの足音が迫ってくる。
どうすれば……いつもなら大量の腕を生やして物量で何もかも飲み込んでしまうところだけど、相手は人間だ。一人だって傷つけるわけにはいかない。
プリーナとうさぎ顔の少年は無事に逃げられただろうか。
あの半裸の大男がぼくのことしか叫ばなかったから、兵士に襲われていることはないはず。でももしぼくを守ろうと自ら戻ってきてしまったら。
一刻も早く窮地を脱しなければ。ぼくが危険に晒されたら、プリーナの命まで危うい。外へ逃れた際の合流場所はあらかじめ決めてあった。彼女ひとりなら外へ逃れるのはそう難しくないはずだ。きっとティティも連れ出せる。
外へ出れば何とかなる。とにかく今は。
覚悟を決め、ぎりりと奥歯を噛みしめ立ち上がった時だった。
「サーネル! よかった、まだ動けるのね!」
ふいに、視界が晴れた。真っ白な世界が一転して、左右に建物の並ぶ見慣れた道が現れる。
時間の経過によるものか、誰かの仕業かは分からない。とにかくぼくは視覚を取り戻し、その絶望的な光景を目の当たりにする。
プリーナが、わずか先に立っていた。
十人近い人々に囲まれる形で。
それは兵士ではなく、魔族などでもなく。老若男女の入り混じった人々は、それぞれ黒いローブに身を包み、暗い微笑みをたたえていた。
「そこを動くなあ! 魔族め!」
後ろからは先の騎士と共に兵士たちが駆けてくる。いや、屋根の上や前方からも来ている。加えて黒いローブの集団と、捕えられたプリーナ。これじゃ、逃げ道なんてあるはずがない。
こんな展開、最悪だ。
諦めが胸を満たそうとした時、ローブの集団のうち一人が前に進み出た。
「サーネル様。お目にかかれたこと、光栄に思います。魔王ブラムスを討ち果たし、世界を救うべく参上いたしました」
芝居がかった調子で恭しく頭を下げる。目深にかぶったフードから覗く顔は青年のよう。声は凛々しくも少年の若さを持っていた。
そう、まるで、サーネルを讃えた詩人みたいな――。
「安心して! この人たちは味方よ!」
「味……方?」
プリーナが叫ぶ。すると青年は笑みを深め、
「お話は後ほど。今はまず、この場を離れましょう」
「――しまった! オメエら! そのローブの連中を……」
騎士が異変を察知する。けれど間に合わない。
ぼくの前でローブの青年は緑色の煙を放っていた。急速に広がる深緑に視界を埋め尽くされる。
「ただの煙です。今のうちに」
耳打ちされる。ローブの人たちが駆け出す音を聞き、ぼくも続いた。
「待っ……この、逃がすかあ! 風で吹き飛ばせぇ!」
背後から突風が吹きつける。でも煙は飛ばされない。混乱する兵士たちとは対照的に、青年たちの足音には迷いがない。ぼくたちは消えない煙にまぎれ、兵士の包囲から何とか抜け出したのだった。