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世界を救えば別だよね?  作者: 白沼俊
三. 新たなる道筋の章
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4. わずか五年の憎しみ

「さあ、飲め」


 畑で座り込んだ村人たちの口に、角のカップを近づける。お腹を壊さないよう、まずは具を入れずスープのみを飲ませる。


 ひどい空腹の時にはただたくさん食べさせるのは却ってよくない。お姉ちゃんが亡くなった後、しばらくぼくは食べることを拒絶し、危うく命すら落としかけた。だから身をもって知っている。その経験がこんなところで役立つとは思いもしなかった。


 今、村人たちには全員外に出てもらっている。数軒ある小屋の中は血まみれで人が入っていていい場所ではなかったのだ。


 村人は全部で十七人。老人や子どもがほとんどで、若い男の姿は少ない。若い女性に関しては一人も見当たらなかった。


 村人にスープを与えながら、他に生き残りがいないか視線を走らせる。


 どうしても見つからない。あの時の青年が。


 ボンの手で嫁を殺され、空腹に逆らえぬままその肉を貪った彼――その姿がどこにも見当たらなかった。


 やっぱり、あの後……。


 ぼくはふと目を上げる。何か違和感を覚えたことに気付いた。その理由はすぐ分かった。


 スープを口へ近づけた男の子が、口を固く閉ざしてぼくを睨みつけていた。


「どうした、飲め」


「ヤだ」


 首を振ってカップを遠ざける。仕草にもその手にもまるで力がなく、今にも気を失いそうなのは明らかだ。ガリガリに痩せ細った身体を見ても、絶対に栄養は必要だ。


「このままでは死ぬぞ。飲め」


「ヤだ!」


「どうしたの?」


 鍋に新たなスープを作ってきたらしいプリーナが、うしろで首を傾げる。ぼくは困り果てて頭を掻いた。


「飲んでくれなくて」


 どの人も空腹で頭がいっぱいらしく、匂いを嗅ぐとすぐに飲み干してくれた。それなのにこの子だけは怒りに満ちた瞳を忘れようとしない。無理にでも飲ますべきか迷うところだけど、吐かれでもしたら逆効果だ。いたずらに体力だけ消耗させることになる。


 プリーナは男の子の前でひざを付き、微笑みかける。


「大丈夫よ。わたしたちはあなたを傷つけたりはしないわ」


「イヤだぁ!」


 男の子が叫び、プリーナの頬を叩いた。やっぱり力はなく、弱々しい音しか出ない。


 けど――その瞳は見る者を凍り付かせるほどに激しく燃えていた。


「死んじゃえ! お前たちなんか死んじゃえ!」


 初めから聞く耳なんて持っていない。この子は既に、ぼくたちには想像もつかないほどの深い憎しみを抱えているんだ。こんな……まだ五歳にも満たないように見える、幼い子どもが。


 理由なんて一つしかないだろう。大切な誰かを――例えば、お父さんやお母さんを殺されたんだ。痛みと苦しみをいっぱいに与えられて。


 きっともう、取り返しは付かない。その怒りを取り払う方法なんて存在しない。


 だったら、しょうがない。


 ぼくは男の子の腕をとり、ぼくの首に突きつけた。


「ならば貴様が殺してみせよ!」


「サーネルっ?」


「我に死を望むならば、貴様の手で殺せばよかろう! さあ、やれ! 今すぐこの首を握りつぶし、息の根を止めてみせよ!」


 子どもは激情に目を見張り、獣じみた叫びをあげて首を絞めにかかる。


 けど、ダメだ。やはり力は入らない。


 ぼくは鼻で笑う。


「馬鹿なやつだ。このまま死ぬことで我が悲しむとでも思ったか? むしろ愉快でたまらんよ。貴様ら人間の死にゆく姿はいつ見ても面白い。そう、例えば――貴様の『お母さん』の死に様は格別であったよ」


「うあああああああ!」


 咆哮が上がる。けど、それだけだ。叫んだ子どもの腕には、どう足掻いたところで魔族を殺すほどの力はこもらない。


 この村に若い女性はいない。この子の母親はここにいない。カマをかけたようなものだったけど、効果はてきめんだった。


「どうした、貴様の怒りはその程度か。薄情なものだな。どうやら貴様は、『お母さん』のことがよほど嫌いだったと見える」


 子どもは首を振る。首を振りながら叫び続ける。


「違うというなら殺してみせよ! 貴様を殺す前に我を殺せ! できぬであろう! やはり貴様はその程度なのだ!」


 ぼくは子どもから手を離し、立ち上がって身をひるがえす。背後で子どもが泣き出すのを聞いた。息が乱れて、胃が軋むように痛かった。


「サーネル、待って!」


 プリーナが追いかけてくる。ぼくは振り返らない。


「あなたの狙いは分かるわ。だけどあんなの、あまりにも」


「分かってるよ。あの子には酷いことをした。でも生きてもらうにはああするしか」


 そうだ、ぼくを憎むことでようやくあの子は生きようとしてくれる。魔族を殺すためなんて哀れな理由でも、今はとにかくいきて欲しかった。


 けどプリーナは首を振るった。


「わたしが言っているのはあなたのことよ。あなたはこの村を救ったのに、こんな……みんなから恨まれるような去り方はあんまりだわ!」


「ぼく……? ぼくは平気だよ。ここに来たのは自分の気持ちに蹴りをつけるためだし、元々人に愛されたくて戦ってるわけじゃないんだから」


「またそんなこと!」


 それ以上は取り合わなかった。引き返したところであの子と和解できるはずもない。


 大体、この村の人たちに許されようなんて最初から考えちゃいけないんだ。


 少なくともぼくのせいで、二人の命が犠牲になった。ぼくが来たためにボンは人に人を食べさせるなんて見世物を披露した。ぼくが来なければ彼らは死ななかった。それなのにぼくは逃げ出して、今日に至るまで近づこうともしなかった。


 そんな人間が今さら救いに来たからって、一体どうして許しを請えると言うのだろう。


 きっとプリーナは否定してくれるから、こんな後ろ向きな考えを話したりはしないけど。いまのぼくがやるべきことは、優しさに甘えることじゃない。


「そんなことより、近くの町にここの存在を知らせないと」


 今までは助けたらそこで終わりにしていた。けど、それじゃ確実に救ったことにはならない。サーネルの名を広める意味でも、ここからの動きは重要だ。


「それは……そうね。でも、ここから一番近くといったら」


「ソーンのいる町だね」


 以前魔族を殺して回っていた事情もあって、ぼくもマリターニュの地理にある程度心得がある。そこから行くと、この近くにあって魔族からも身を守れる大きな町と言えばソーンの町しかない。


 ソーン――腕に獣の手を縫い込まれた初老の騎士。彼はプリーナの顔見知りだ。ぼくの味方となったことを知られている可能性が高い。他の兵士だってそうだ。ぼくが正体を隠したところで戦闘は避けられないだろう。


「ああ、どうしましょう。普通に話したのではきっと信じてもらえないわ」


 確かに、魔族の仕掛けた罠だとでも思われて終わりだろう。いっそ何回かに分けてでもぼくたちで連れて行こうか、とも考えたけど、一番近くといっても片道だけでそれなりに時間はかかる。魔族のぼくには大した道のりじゃないけど、プリーナやティティの身には堪えそうだ。


 ……ん? 分ける必要、ないのでは?


 そうだ、十七人全員を一度に持っていけば移動距離は変わらない。ぼくはちょっと大変になるけど。


「よし」


 一つ頷き、肩から大量の腕を生やす。それをぐるぐると渦を巻くように伸ばしていく。


「何をしているの?」


「すぐ分かるよ。ほら」


「…………これは?」


 出来上がったのは腕だけで造られた大きくて分厚いカゴだった。青白い腕が密集した様は衝撃的に気持ち悪いけど、それも含めて悪くないアイデアのはず。このグロテスクさは確実に噂になる。サーネルの名前を広めるにももってこいだ。


「村の皆をこれに入れて運ぶんだよ。乗り心地は……諦めてもらうしかないかな」


 これからはこのカゴを象徴として村や移民中の人々を救っていこう。プリーナの顔がわずかに引き攣っているけど、背に腹は代えられない。


 ともかく、これからの目論見については置いといて、村人たちを連れだすとしよう。



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