2. 敵対者
岩肌の剥き出しになった道を、巨大な根っこが縦横無尽に這っている。
そこは森だった。ただし草花の類は一切生えず、そびえ立つ木々は岩のよう。食べるものがないためか、虫もほとんど見かけない。
そんな無機質な森の中、ぼくとプリーナ、そしてティティは木の上で腰をおろしていた。
「本当に考え直す気はないのかしら」
「うん。魔王を倒すためには、避けられない道だよ」
塔のごとくまっすぐに伸びる岩の木は、幹も枝も非常に太い。枝に人が五、六人並んで立っても落ちる心配がないほどだ。身を隠しながら誰かを待つにはもってこいの場所だった。
「ぐぇ?」
ティティが首を傾げる。何かの気配を感じ取ったらしい。ぼくは木の下を見下ろし、耳を澄ませる。
「――来た」
たくさんの足音がやって来た。数人どころじゃない。おそらくは数百。軍を思わせる規模の行列が向かって来ていた。
影が見える。やっぱり目視では数え切れない。近づいて姿がはっきりしてくると、人間たちであることが確かめられる。そのほとんどは武装していないことも分かった。
間違いない。移民する集団だ。
プリーナが顔を強張らせ、中腰になる。
「サーネルが行くなら、わたしも」
「待った。まだだよ」
「え?」
「こんなことをあいつらが黙って見てるわけないんだ。多分これから――」
直後、別の方向から足音が響いてきた。
ずしん、ずしんと重々しい、怪物たちの足音。現れたのは数十体の魔族。
やがて人々の行列と魔族の集団が向かい合う形になる。
「プリーナはここで待ってて」
「えっ、わたしの言ったこと聞い……」
ぼくは枝から飛び降り、二つの集団の間に着地する。
「なっ……新手か!」
「サーネル様!」
双方を一瞥し、にやりと笑ってみせる。魔族たちのほうへ歩み寄り、リーダーと見られる虎の顔をした獣人の前に立つ。
「これはいいところに! 今より人間どもを捻ってやるところだったのです!」
「見れば分かる」
この様子からすると、まだぼくが魔王に反旗を翻したことは知らないらしい。情報管理がおざなりだ。
どちらにしても、やることは変わらないのだけど。
「いかがなさいますか? サーネル様も」
「いや、いい」
目を輝かせた虎を手で制す。その先から魔術で腕を伸ばし、頭を掴む。
「さ、サーネル……様? これは一体」
掌から衝撃を放つ。虎の頭を破砕する。
どよめく魔族たちへ向け、ぼくはさらに、洪水のごとき腕の群れを解き放った。ぼくの肩から生えたそれらは容易く彼らを飲み込み、潰し、粉砕する。
「な、なんだ。あの魔術は」
「化け物……!」
「なんで魔族が魔族を」
人々の動揺が聞こえてくる。魔族を潰した腕の群れを肩から外し、背後へ振り返る。
ぼくは足の先から何本か足を生やす形で高くへ上がり、人々を見下ろした。自身の姿をなるべく多くの者に見てもらうためだった。
数百人に及ぶ人々を前にして足がすくむ。胃の奥がきゅっと縮むような思いがした。これなら魔族を前にした方がマシかもしれない。
でも、これは必要なことだ。これからの戦いには絶対に欠かせない。
だからぼくは恐怖と緊張を吹き飛ばし、力強く宣言してみせた。
「我はサーネル! 魔王ブラムスの息子にして、全ての魔族の敵対者である!」
*
今より数時間前。
ぼくはとある町の往来を歩いていた。左右に石造りの――正確には石のような木材で造られた建物がびっしりと並んだ道を、たくさんの人々が行き交っている。
「大丈夫かな。やっぱり顔を汚しただけじゃ気づかれるんじゃ」
「前も平気だったでしょう? 変に意識した方が目立ってしまうわ」
「そ、そうだよね」
隣に並ぶプリーナに励まされつつ、ぼくはフードを心持ち目深に被る。
ぼくたちはこの石造りの町に不法侵入していた。以前プリーナの町でそうしたように、顔に砂をぶちまけて血の気の引いたような肌の色をごまかし、ぴんと張った長い耳はフードで隠した。ちなみにティティは外で待たせてある。
「それより本気なの? 人の仲間を集めるなんて」
「もちろん」
小声で聞いてくる彼女に、ぼくはさらりと答える。
「危険すぎるわ。きっとまたマイスの時みたいに」
「でも、ぼくたちだけじゃ魔王には絶対勝てない。今のまま挑むのは、それこそ危険すぎるよ」
「何もサーネルが魔王を倒すことなんて」
「ダメなんだ、やらなくちゃ。君との約束を果たすためにも」
「……あなたって、けっこう頑固なのね」
何と言われようともこれだけは譲れない。たとえプリーナの頼みであっても。ぼくは絶対に魔王を倒すつもりだ。町へ入り込んだのもそのためだった。
とはいえ無謀を行うつもりはない。一人では勝てない。絶対に。だから今度は暗殺ではなく、仲間を集めて多対一で打倒することを考えたのだ。
今のところ人類で最も強いかもしれないマイスは負けてしまった。でも、彼は一人だった。マイスのような強者が何人も揃えば、あるいは今度こそ魔王に勝てるかもしれない。
ブラムスはいくつもの強力な魔術を持っている。魔王城で見せた力が全てとも思えない。だからただ強いだけでなく、それぞれの魔術に対処できる仲間が必要だ。
例えばマイスは闇の波紋へは対応できなかったけど、巨大な青い手に対しては全く傷を負わなかった。一瞬とはいえ絶対防御の霧も打ち払ったのだ。あの剣が届きさえすれば、その時が魔王の最期となるだろう。
逆にぼくは手の攻撃でやられてしまうだろうけど、闇の波紋には手足を生やす魔術や体重を軽くする魔術を駆使すれば仲間の足場を作りつつ対処できる。それとあまり戦って欲しくはないけど、プリーナの魔術も黒い濃霧を無視して魔王に攻撃を届かせられる強力なものだ。
そうやってあらゆる魔術に対処できる戦力が揃ったら、『扉』を利用して再び魔王城へ乗り込む。単純すぎて作戦とも言えないようなものだけど、それは今までだって同じこと。方法自体は間違っていないはずだ。
問題はプリーナの言ったように、またマイスの時みたいに襲われてしまうんじゃないかということだった。
けど、その対処についても策はある。
それは――。
「……あ、まずい。足が」
ぼくは立ち止まる。魔術で生やしている足が乾き始めた。勇者に切断された足がまだ治っていないのだ。歩くためには生えかわらせないといけないけど、さすがにここではまずい。
プリーナがぼくに背を向け、軽く腰を落とす。
「乗って」
どうやら、おんぶしようというらしい。
「ご、ごめん」
恥を忍んで身を預ける。いや、散々無様なところを見せてきて今さら何を言っているんだという話だけども。せめて魔術で体を軽くして、負担だけはかけないようにした。
手ごろな路地裏に入り込み、下ろしてもらう。即座に足を生えかわらせ、ごみと化した部分は掌で掴んで破砕する。これで痕跡は残らない。
「何度見てもすごい光景ね」
「ぼくもそう思うよ」
プリーナは苦笑してから、真面目な顔を作る。
「やっぱり町の人から話を聞くのはわたしだけのほうがいいかしら」
「でもっ。ぼくが言い出したことなのにプリーナだけに任せるのは。これ以上は迷惑かけないようにするから」
プリーナはため息をつく。自身の金色のお下げをつまみ、それでぺちぺちと頬を叩いてきた。
「痛っ、痛い痛いよっ」
急に何をと言おうとして、凛とした眼差しにはっとする。
「命の恩人同士、今さら遠慮はなしよ」
「……う、うん」
そんなふうに笑いかけられたら、ぼくは頷くしかない。迷惑をかけるのも嫌だけど、彼女の真摯な気持ちを足蹴にするのはもっと嫌だった。
時を刻む鐘が鳴った。詳しい時間はよく分からないけど、朝であることは確かだ。早朝というほどでもないから、九時とか十時とかそんなところだろう。時計というものがないせいでそのあたりの感覚は大ざっぱだ。
「それで、何を聞けばいいのだったかしら」
プリーナが尋ねる。ぼくはあらためて答えた。
「えっと……これから国を移る人たちが通る場所と、やって来る大体の時間、かな」
*
「単刀直入に問おう。我と共に、魔王を殺してはもらえぬか」
ぼくは数百に及ぶ人々を前にそう言った。腕に飲まれた、大量の死体を背にして。
今、魔王の支配を受けていない最後の国々は、一枚岩になるべく人々を一つの国に集めている。戦力を結集し守りを固め、来たる最後の戦争に備えるために。それに伴い、民の大規模移動が行われていた。
武勇を重んじるブラムスは、敵が強くなるのを待つため敢えて見逃しているのだろう。けど、弱者への凌辱を望む他の魔族たちがこれを許すはずがない。
だから、助けに入るならここが狙い目だった。
これもまた単純な話だ。目の前で魔族を倒してみせることで自身が魔族の敵であると宣言する。そうすることで少しでも、共闘してもらえる可能性を得ようというのがぼくの目論見だった。
「共に……だと?」
けど、そう簡単に行くはずもない。
「信じられるものか! 穢れた化け物の言葉など!」
一番前に立っていたローブ姿の男が叫ぶ。同時にその手から赤い煙が噴き出し、襲いかかってきた。
「サーネル!」
ティティに乗ってプリーナが降りてくる。仕方がない。今は逃げるしかなさそうだ。
伸ばされたプリーナの手をつかみ、ティティの背に乗り込む。背後では男の叫びに突き動かされて大勢の人々が猛攻撃を始めていた。
「やっぱり無理よ! 聞く耳なんて持ってもらえない!」
「大丈夫。今はこれでいいんだよ」
「え?」
「きっとこれを繰り返しているうちに噂になると思うんだ。サーネルは確かに魔族の敵だってことが。時間はかかるだろうけど」
人間の味方とまで思ってもらう必要はない。一時的な共闘をするだけなら、『魔族の敵対者』という言葉さえ信じてもらえば事足りる。
魔王を倒した後のことは分からない。また命を狙われることになるかもしれない。でもそんなことはどうでもよかった。だってぼくは、誰かに好かれたくて戦っているわけじゃない。魔王を倒して世界を救い、自分を許し、そして好きになる。それさえできたなら後で誰に憎まれたってかまわなかった。
その条件ならきっと、この方法でも――。淡い期待だ。人々と共闘できたとしても、マイスほどの力を持った戦士に出会える見込みは少ない。けれどもし、そんな実力者がまだ残っているなら。今のぼくには、縋りつくしかないんだ。
これが上手く行けば、いずれはマイスをも引き込めるかもしれない。マイス一人では魔王を倒せなかった。けれど味方がいれば結果は変えられる。
人々と、そして勇者と共に魔王を討つ。それこそが世界を救うための新たなる道筋であった。