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世界を救えば別だよね?  作者: 白沼俊
序. 裏切り開始の章
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5. ぼくの正体

2019/01/18 改稿しました

 夜の森を分かつ深い谷に、愉快な鼻歌が響く。


 大きな男の体が地面を引きずられる。しっかりと紐を結んだブーツが凸凹でこぼことした岩の道で何度も跳ねた。


 ぼくたちは水がちょろちょろと流れるばかりのひどく静かな川の傍を歩いていた。少し先を行くのは胸元の開いたドレスを着たメニィという女性。長い耳を時おりぴくぴくさせながら、上機嫌な様子で首のない死体を引きずる。


 彼女の指の上では、厳つい顔の兵士、バードの頭がくるくると回っていた。バスケットボールでも回すみたいに、人差し指を立ててくるくると。


 遺体に対する配慮はわずかにも感じられない。とても見ていられなくて、もちろんやめろと言えるわけもなくて、目を背けてやり過ごした。


 月以外にろくな明かりのない谷の中を進む。そういえば、アスファルトや石畳で整備された道もここまで全く見ていない。廃墟の町ではならされていたけど全部土だった。本当にどこへ来てしまったのだろう。今はどこへ向かっているのだろう。……帰れるのかな。


 声をかけようかかけまいか、恐る恐る隣へ顔を向ける。


 目が合った。


 返り血まみれのメニィはぱっちりと目を見開いて、こちらを見ていた。


「なんですう? 気になることでもありましたあ?」


 背筋に戦慄が走る。相手は二人の兵士を一瞬で片付けた魔族だ。発言を間違えば首を飛ばされかねない。


「う、ううん。別に」


「ん~? 何か隠してません~?」


「そ、そんなこと」


 無遠慮に顔を寄せられ、視線も逸らせずぼくは凍り付く。


 本当に、全身を氷漬けにされてしまった気分だった。こんなにおっとりとしていい香りのする人なのに、見ていると激しい悪寒に襲われる。


 魔族なんて創作の産物だ。現実にいるわけがない。そうして一笑に伏すには、超自然的な現実を見過ぎた。赤い光から噴き出さんとする火柱や、自由自在に落ちる雷。しまいには、彼女自身が矢のごとく跳んでみせている。どんな手品を使ったってあんなのは不可能だ。


 彼女は不思議そうに小首をかしげると、半歩後ろへ下がる。それから、不自然なまでに朗らかな声でいった。


「ともかくぅ、お坊ちゃまがご無事で何よりでしたぁ」


 敵意は向けられていないらしいのは、とりあえず救いだろうか。


 緊張から解放され息をつく。魔族って本当に何者なんだろう。魔法陣を操ったプリーナのこともよく分かっていない。


 それにぼくも――腹を探り、今一度確かめる。散々抉られたはずのお腹は、すっかり治ってしまっていた。しかも腹筋がすごい。シックスパックだ。こんなのぼくの体じゃない。耳だって長く変形しているし。


 夢でも見ているのかな。だといいな。それにしては、森で受けた痛みはあまりに強烈すぎたけれど。大体、悪夢ならいい加減覚めてもいい頃だろう。


 帰りたい。お家に帰って眠りたい。怖い思いをするのも、お腹を刺されるのももうイヤだ。そうだ、ぼくは帰らなきゃいけない。また捕まってしまわないうちに、誰かに殺されてしまう前に、一刻も早くお家へ。


 けれどそこで行き詰まる。どうしたら帰れるか。一体どこに道があるのか。気を失っていたぼくには分かるはずもなかった。


「ところでぇ、お坊ちゃま?」


 ねっとりとした声がかかり、ぼくの肩がびくっと跳ねた。


「何故魔術を使われなかったのですぅ? お坊ちゃまならワタクシなんかよりもずぅっと手際よく片付けられたと思うんですけどぉ」


 今度は顔を見れない。体どころか顔まで固まって、視線一つ動かせなくなる。


「ああ、うん……そうかもね」


 勘弁してよ。そんなもの使えるわけないじゃないか。


 ばれたらまずい。そんな予感がある。会った時から何度も聞いている「お坊ちゃま」っていう呼び方。きっと誰かと間違えられているんだ。


 そう、ばれたらまずい。別人だなんて分かったらきっと、バードみたいに……。ごくり、と喉を動かす。


 だったら、いっそ。


「うーん、やっぱり変ですねえ。何だかお坊ちゃまらしくないですよお?」


 立ち止まる。ぼくは深呼吸を一つして、決死の覚悟で答えた。


「――分からないんだ。きみのこと」


「はいぃ?」


「覚えてないんだ。色んな記憶がなくなっちゃって」


 これは賭けだった。お坊ちゃまを演じられないなら、その必要を消し去るしかない。そう思い切っての賭けだ。


 バードの頭がごとりと落ちる。それにも構わず彼女はぼくから目を逸らさなかった。真っ向からの視線に全身から血の気が引き、嫌な汗が噴き出してくる。息まで上がってきたような気がした。


「記憶、が……?」


 視線は動かない。メニィの緑色の瞳はいつまでも見開かれ、こちらの心を覗きこむようにぼくの目の奥へ向けられる。


 沈黙がどれほど続いたかは分からなかった。何十、何百秒にも感じられる時間だったけど、実際は五秒かそこらだったかもしれない。


 ともかくメニィは表情を緩めた。何か納得したような頷きをして独りごちる。


「ははぁ。それじゃ、あのうわさは本当だったんですかねえ?」


 緊張からの解放で喉から一気に空気が流れ込んでくる。喉をひゅうひゅうと鳴らして倒れ込みそうになるのを、ぐっと歯を食いしばって堪える。


 それからようやく彼女の発言に首を傾げた。


「噂?」


「あ~、いえいえ~、こちらのお話ですう」


 よくわからないけど信じてもらえてよかった。顔を窺ってみてもこちらの言葉を疑う色はない。内心で深く息をつきながら、ぼくは続ける。


「ねえ、教えてよ。ぼくは誰なの?」


 心臓の鼓動が速まる。どう出るだろう。ちゃんと答えてくれるだろうか。分からない。でも今は、彼女しか頼れる者がいないのだ。


 高まる緊張を知ってか知らずか、場を和ませるようなおっとりとした笑みをメニィは浮かべた。話してくれるらしいと分かって、張りつめた緊張は答えへの興味に移り変わる。


「そうですねえ。では、簡潔に申し上げましょうねえ」


 コホン、とひとつ。


 ドキドキして次の言葉を待つ。その間を楽しむように微笑み、散々もったいぶってから、彼女は問いの答えを口にする。


「あなたの名はサーネル。恐るべき大魔王、ブラムス・デンテラージュ様のご子息です」



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