10. 死にたくなかったからだよ
一言だけ台詞抜けがあったので付け加えました(2019/03/11 21:25)
こんなはずじゃなかったのに。
ぼくは呆然とその光景を眺めていた。
ハイマンの森。そこにできた巨大な円状の凹みを、後になって現れた魔族たちに混ざり見下ろす。
魔王と勇者が相対する。黒い濃霧を纏う巨人と、鋼の大剣を手にした大男。両者が放つ迫力は強く吹きつける熱風を思わせ、見守るぼくたちに息を飲ませた。
この場にプリーナを連れてこなくて本当に良かった。これから始まる激突を目撃するのに、人の身ではあまりに危険すぎる。
こんなはずじゃなかった。ぼくの考えでは勇者はその圧倒的な力で全ての敵を打ち砕き、しかし最大の仇敵を見つけられず途方にくれるはずだったのだ。それを『扉』から連れ帰る、そういう予定だった。
多くの魔族は駆逐され、後にガラードやコンズが戻ってこざるを得なくなる。そうなれば、勇者からどう逃げるかという課題はあったものの、魔王暗殺に大きく近づく。そういう作戦だったのに。
けれど今、ぼくの目の前では頂上決戦が始まろうとしている。自分の考えがどれほど甘く楽観的であったか、嫌というほどに見せつけられている。
本当ならこのくらい、予想できたはずだ。
魔王の城で破壊の限りを尽くす人間が現れて、ぼくの考えの通りに誰もそれを止められなかったとして、助けを呼ぶ者がいないはずがなかったのに。
ガラードやコンズや、ぼくの知りもしない魔族が呼ばれたとしても。どこかで身をひそめていた大魔王が呼び寄せられたとしても、少しもおかしくなかったのに。
自分を信じすぎたんだ。散々自分を呪ってきたくせに。
ユニムを倒して、勇者の追跡を逃れて。あまりに上手く行きすぎていたから、自分の策に疑いを持つことを忘れてしまった。
そのためにぼくは選択を迫られていた。ここで勇者と共に戦うか、今は耐えて暗殺の機会を待つか。こうなってしまっては片方しか選べない。
魔王と勇者を会わせるにしてもそれは最後の手段。ぼくでは倒せないと確信できてからじゃなきゃいけなかったのだ。
「――出るぞ」
誰かが呟いた。直後、マイスが強く地面を蹴り、土煙を巻き上げながらブラムスに突っ込む。
剣と濃霧がぶつかる。金属同士がかち合うような高音の後、バチバチと青白い火花が散った。魔王の素顔をひた隠しにする霧は鋼鉄より固く、マイスの力をもってしても貫くことができない。
「良い、良いぞ! 貴様のような戦士を求めていたのだ!」
ブラムスが霧の奥で声を上げる。
「何故世界中に『扉』を配置しているか分かるか! あれは移動の手段などではない! 貴様のような戦士たちに平等の機会を与えるためのものだ! 我の手で屈強なる戦士どもを屠るためのものだ! これまでは愚にも付かぬ雑兵が迷い込むばかりであったが」
くつくつと笑い、ブラムスが手を伸ばす。マイスはとっさに飛び退いた。
「貴様は違うな、マイスとやら! 何者よりも鍛え抜かれたその体、確かに戦士のものと見た!」
以前ぼくが初めて彼を見た時とは明らかに様子が違っていた。魔王は勇者を前にして高揚している。武勇を重んじる、強き者を屈服させることに誇りを見出す。話には聞いていたけど、その意味を初めて教えられた気がした。
誇り誇りと言うけど、それは本質じゃない。彼は悦んでいる。これから始まる戦いの激しさに心から期待している。きっと彼には誇りなんて、後からついてきたものに過ぎないんだ。
再びマイスが突っ込む。高音が響き火花が散る。今度はその場で剣を振り、横から上から幾度となく斬りつけた。魔王が動くとまた引いて、次の瞬間には大剣を叩きつけている。短い間隔で何度も激突が繰り返された。
けど、壊れない。魔王を包む黒い霧はヒビの入る気配すら見せようとしない。全ての攻撃が躱されることなく直撃しているというのに。大規模な魔術を軽々と披露したあの骸骨さえ、勇者の剣には呆気なく両断された。それをああも平然と――。
あれが大魔王の力。分かっていたことだけど、やっぱり真正面から挑んで敵う相手じゃない。もしかすると、勇者でさえも。
どうする? 手を貸すべきか? ぼくに何ができる? 勇者一人で勝てないとして、そこにぼくが加わったところで何ができる?
せめてあの霧さえ晴れてくれれば。あれが魔術であるとしても、魔王相手に魔力切れは期待できない。プリーナのように空間に裂け目を入れられるならまた勝手は違ってくるだろうけど。
「!」
何かに気づき勇者があらぬ方へ剣を構える。何もなかったはずの場所から大樹のごとき真っ青な手が出現した。全開まで広げられた掌が迫り、向けられた大剣とぶつかる。
圧倒的であろう質量差をもってしても勇者は微動だにしなかった。ただしこれで終わりじゃない。巨大な手はもう一つあり、さらに背後から勇者を襲う。片方の手を払い飛ばし構えようとするも間に合わず、今度はもろに体を叩かれた。
勇者の体は石ころのように軽々と吹っ飛ばされ、凹んだ地面と森の境にできていた崖に突き刺さる。追い打ちをかけるように二つの手が迫った。
青い手が二つ同時に崖に叩きつけられる。直後その手が両断され、奥から勇者が飛び出す。その身は未だ無傷だった。
拮抗……してる?
どちらも容赦のない攻撃を見舞いながらも、未だ両者とも無傷のまま。互いの実力は拮抗しているように見える。
でも、今そう見えるということは。
「良いぞマイス! 惜しむことはない。その力、存分に振るってみせよ!」
巨大な手が再び現れる。四つとなった手を躱し、あるいは両断し、勇者は無傷で切り抜ける。すると手はさらに数を増し、勇者がまた平然と逃れる。それを幾度も繰り返し、気づけば手の数は数え切れないほどになっていた。
雨のように降り注ぐ手の群れが地面を砕き、木を薙ぎ、時に切り裂かれ消えていく。勇者は防戦一方だ。
この状況、ぼくはどうしたら……。
勇者には魔術がない。つまり爆発的な可能性を秘めた奥の手がない。逆に魔王は、多分いくつか手を残している。
唾を飲む。彼らの戦いに視線を投じながら、干からびてしまった腕と足を静かに生えかわらせる。ぎゅっと拳を握り、感覚を確かめた。
「ほう。未だ無傷を貫くか」
青い手が攻撃を止め、一斉に姿を消す。魔王の言葉の通り、瓦礫の山のようになってしまった地面の上で今もなお勇者は無傷だった。
「ならば、これはどうだ?」
魔王の手元に杖が現れ、軽く地面を突く。金属音が高く響き、闇色の波紋が広がり始めた。
「……! まずい、逃げろ!」
傍観していた魔族たちがざわめき、一斉に逃げ出す。
「あ、サーネルいたんだね。逃げなくてもいいのかい?」
ハイマンに尋ねられ、ぼくはわけもわからず後ずさる。一体何が起きると――魔王のほうへ視線を戻し、ようやく迫る危機を理解した。
闇色の波紋に飲まれ色を失った瓦礫たちがどろどろと溶け出していた。腐敗している。あれに巻き込まれたら絶対にタダじゃすまない。
勇者も察したか、一度飛び退き森へ逃れる。そこで一本木を引き抜き、高く放り投げた。
「自然は大事にしてほしいなあ」
呟くハイマンの声など聞こえていないのか、早くも彼は宙へ飛び出している。落ちてきた木が溶けた地面に突き刺さるのと同時、逆さになった木の上に着地した。
魔王が霧の奥で笑った。
勇者の乗った木が腐り始める。地面に触れている箇所から、急速に闇色が広がっていく。ぐにゃりと溶け崩れかけたところで勇者は再び森へ逃れた。
……ダメだ、やっぱり。
勇者には決め手がなさすぎる。マイスの力は確かに本物だけど、逆転劇を生み出す類の強さじゃない。力押しが利かなかったなら、ここからの挽回は見込めな――。
「……?」
ふと、微かに聞こえる音に気づいた。
正確には音かどうかも分からない、わずかな違和感。何かが近づいてくるような気配。
そういえばマイスは、どこまで遠くへ離れたんだ? 闇色の波紋はまだぼくの足にも触れていないのに。
「あれえ? 全然戻ってこないねえ。僕より外まで出ちゃったし。怖くなって逃げちゃったか――な?」
一瞬ハイマンが言葉に詰まる。その理由をぼくは察した。
マイスは逃げてなんかいない。見えなくなるほど遠くへ離れたのは、おそらくは腐敗から逃れるためじゃない。そう誤解させられる状況になったから、利用したんだ。
――来る!
「ブラムス!」
流星のごとく。長い助走で速度を得たマイスが、再び魔王に肉薄する。
剣と濃霧がぶつかる。金属が激しく擦れあうような大音響が耳をつんざいた。そのすさまじい衝撃は周囲にまで及び、彼らの足元は直接叩かれたわけでもないのに粉々に吹き飛ぶ。
鉄板がひしゃげるような耳障りな音がした。瞬間、黒い濃霧がぐにゃりと歪む。
そして、砕けた。
空間に亀裂が入るように霧が割れ、風に攫われ消えていく。
そう、彼は少しでも速さを得て、剣の威力を増すために遠ざかったに過ぎない。そして目論見は成功した。
流星のごとき速度で力を増した勇者の剣が、絶対と思われた防御を貫いた。
魔王の顔が露わになる。
隠されていた素顔は、想像とはまるで異なるものだった。
サーネルに似た特徴はいくつかある。白く芯のある髪と、男らしさを感じさせる骨格。切れ長の目も、サーネルと違いひらめく炎のような激しさをたたえているものの、形だけ見ればよく似ている。
だけど、違う。サーネルとはあまりにも違い過ぎる。
ブラムスの顔はぞっとするほどに皺だらけで、ガリガリに痩せ細っていた。
黒々と光る甲冑を着込んでいて体の多くは見えないけど、首元やわずかに覗く肘の細さからして、同じくほとんど骨と皮のみなのだろう。
これは、あるいは――剣が届けば、勝てる?
勇者が剣を引き、構える。そしてほぼ同時に振り抜いた。
――けれど。
「見事だ、戦士マイスよ」
魔王の体から、黒い霧が噴き出す。
「誇るが良い。我が衣を貫いた者は、この世において貴様一人だ」
たった今剥がれたばかりの濃霧が、今一度魔王を包み込んでいた。
声も出なかった。それだけの絶望を、遠くから眺めていただけのぼくでさえ味わった。
渾身の一撃を無為にされたマイスは、どんな思いだっただろう。
けど、それだけで絶望は終わらない。
剣と霧の激突時に抉られていた地面に、闇色が流れ込む。腐敗の闇が勇者の足に触れ、急速に全身へ広がった。
剣が落ちる。勇者が倒れた。
あのマイスが、どれだけ攻撃を受けても傷ひとつ負わなかったマイスが、あっさりと地に伏した。
ぼくは後ずさる。呼吸が乱れ、涙が滲む。
焦燥、恐怖、罪悪感。様々な感情が渦巻き、戦いの終わりを悟る。
ぼくのせいで、マイスが……。
勇者は負ける。それなら留まる理由はない。飛び出すか引き返すか、二つに一つだ。
真正面から戦うか、暗殺を優先するか。
……真正面からなんて、敵う訳がない。
「楽しませてもらったぞ、マイスよ。その名、しかと覚えておこう」
魔王が、手を伸ばす。
ここで勇者を見捨てれば、ぼくは人殺しになる。この場に彼を送り込んだのはぼくなのだから。
「――誇りに思って逝け」
魔王がマイスの顔を掴み、持ち上げる。
でも。それでも。暗殺でなら、魔王を倒せる可能性はある。
人を見殺しにしても。
世界を救えば――。
「何をしている、サーネル」
魔王が問う。
気づくとぼくは、大量の腕を放ってマイスを奪い取っていた。
「何故、邪魔をした」
分からない。なんでそんなことをしてしまったのか。
いや――分かった。答えは案外単純だ。
ぼくは笑って、魔王に答えた。
「まだ、死にたくなかったからだよ」




