7. 粉雪の習性
マイスがクレーターから上がってくる。
ぼくはその間に干からびてからからになってしまった足を切り離し、新しいものを生やした。
粉雪が舞い落ちる。吹きつける風に煽られて、横から叩きつけるような降り方になる。
よく見ると、マイスの手には大剣がない。海に落ちた時に失くしたのか、あまりの酷使でついに壊れたのか。どちらにせよ僥倖だ。
と、思ったのだけど。
突如、右腕を横へまっすぐ伸ばしたかと思うと、拳の中に剣の柄が現れる。そこから刃が伸び始め――四メートル級の大剣となった。
「東方の大魔術師が作り上げたとされる大剣ね。もしかしてとは思っていたけれど、今の、自分で魔術を使ったわけではないでしょう? 使ったのは武器自体。剣に魔力を持たせるなんて、並みの魔術師にできるとは思えないわ」
「ああ。この剣は、あのお方のご意志だ」
大魔術師が作った剣。なるほど道理で常識外れの馬鹿力に耐えられるわけだ。言い方から察するに大魔術師本人から譲り受けたものなのだろう。常人には扱い切れない大きさを誇るのもマイスの腕力を考慮して作られたからかもしれなかった。
本当に絵本に出てくる勇者みたいな人だ。けどそんな言い方をするからには、きっとその大魔術師も――。
草原が淡い白に染まり始める。その白を全て吹き飛ばす勢いで、マイスが飛び出した。
同時、プリーナが光らせた短剣で空を切る。マイスとぼくたちの間に空間の裂け目ができた。
この動きは予測していたらしい。低空を飛んでいたマイスは裂け目の寸前で地面に足を突き刺し、強引に体を回して躱す。そのまま回り込んで斬りつけてきた。
けど、一歩遅い。寸前にぼくが一直線に足を生やし、プリーナと怪鳥ごと開いた穴の中へ飛び込んでいた。今のは盾の代わりではなく、自分たちが飛び込むために空けた穴だった。
プリーナが意図したからか、空間の裂け目は即座に塞がった。連なる山々へ大きく近づいたぼくたちは、そのまま怪鳥を走らせ逃亡を図る。
「すごいわ。息ぴったりね」
「ぼくもちょっと驚いてるくら――」
しかし当然、これで逃げ切れるはずもない。既にマイスは再び跳躍し、開いたはずの距離を完全に詰めていた。
振り向いたぼくの肩から、大量の腕が洪水のように吐き出される。
「しまっ――!」
咄嗟のことで、反射的に魔術を放ってしまった。どれだけ魔族を殺しても、人を傷つけることだけはしないと決めていたのに。
とはいえ今回に関して言えば心配は要らなかったらしい。何故ならぼくは、彼より圧倒的に弱いから。
濁流のごとく襲いかかる腕の群れをものともせず、マイスは手を伸ばしてきた。怪鳥の脚でも振り切れないほどの速さで走り続けてくる。
彼の無機質な眼光が、容赦なく獲物を射抜く。
やがて勇者の手が、ぼくの腕――魔術で生やしたものではない、本物の腕を掴んだ。
「っ……! は、離せ!」
振りほどけない。大質量であるはずの無数の腕に飲まれながら、そして馬をも超える速度で駆けながら、彼の手は全く離れようとしなかった。それどころかみるみるうちに握力を増し――。
「ぐあああっ!」
「サーネル!」
腕を、握りつぶされた。
つぶれた腕はあっさりとちぎれ、掴むものを失ったマイスは濁流のうちに再び飲み込まれる。
けどそれもおそらくは数秒のこと。肩の先から走る激痛を堪え、必死に頭を回転させる。
頬を叩きつける吹雪に気を取られる。怪鳥が走る度に響くザクザクとした音に思考を散らされる。幾度も首を振りながら策を練ろうとして、やがてぼくは気づいた。
「……雪じゃない?」
「サーネル……サーネル!」
「えっ?」
「腕はっ? 平気っ?」
「うん、それより――突破口が見えたよ」
プリーナが息を呑む。
ぼくはあることに気づいていた。今吹きつけている雪――これは、正確には綿毛のような虫だった。灯り虫と呼ばれる、火が付くとしばらく燃え続けるらしい不思議な虫だ。以前見たものよりずっと小ぶりで、規模もずっと小さかったから、最初はあの綿毛と気づかなかった。
そして彼らが、ぼくらの逃げ道を示してくれる。
山々はすぐそこまで迫っていた。淡い白で染められた山中に、『それ』はあった。
それは世界中、ほぼ全ての土地に隠されている。
それは大抵、木々の中に紛れ、魔術を当てられると解放される。
けれど今自分がどこにいるのかすら分からないぼくに、それを探すのは難しかった。
ところで灯り虫には不思議な習性がある。誰に教えてもらったわけでもない。けれどぼくはそれを知っていた。何故ならこの目で見ていたから。
その習性とは――。
「マイスが来るわ!」
「分かってる!」
構わない。『それ』はもう、目と鼻の先だ。
前方へ一直線に腕を伸ばす。
眼前にそびえる山――灯り虫の降り積もった木々の中で、一つだけ緑を保っているものがあった。そこに、腕が振れる。
瞬間、雷が落ちたような光が閃き、空間が裂けた。
「――『扉』!」
マイスとプリーナが同時に呟く。直後、ぼくたちは開いた穴の中に飛び込んでいた。
二人の言った通り。『それ』は『扉』と呼ばれる、いわゆるワープゲートのようなものだった。魔術を当てられると反応して開くそれは、知りうる限りでは距離の制限を持たない。世界中のどんな場所とでも行き来することができる。
しかして世界中に配置された全ての『扉』は、たった一つの場所へと繋がる。
――魔王城だ。
何という幸運だろうか。今回ばかりはぼくに運が回っていたらしい。
石壁に囲まれたあの町で勇者と遭遇してからいくつもの偶然を経て、結果的にぼくはマイスを――数々の魔族を両断してきた無敵の勇者を、魔王城へ連れ込むことに成功したのだった。