表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界を救えば別だよね?  作者: 白沼俊
二. 勇者たちの怒りの章
42/137

4. 彷徨える

 真夜中。大雨の降り注ぐ平原を彷徨っていた。


 両足を失くした下半身を天に向け、逆立ちで果てしなく広がる陸地を進む。今、自分がどこを歩いているのかさっぱり分かっていなかった。


 勇者マイスの追跡を潜り抜け海に流されるままに逃げ出したぼくは、海の中で気を失い、目覚めた時には見知らぬ砂浜に流れ着いていた。留まっていても仕方がないとひとまず動き出したものの、町や村が見つかるどころかひたすら平らな草原が広がるばかり。元の世界への道どころか、ついに魔王城への帰路すら見失ってしまった。


 加えて、両ひざから下を失ったこの足だ。魔術で生やした足は時間が経つとすぐに干からびて風化してしまうから、徒歩での移動には適さない。いざという時のために魔力を温存したいこともあり、逆立ちでの移動を余儀なくされている。


 やっぱり、足が治るのを待った方がいいのかな。


 勇者に断たれた直後に比べるとほんのわずかに足は伸び、傷口も塞がり始めている。これが胴体であれば治る前に生命力の方が尽きていたかもしれないけど、現状命の危機も感じない。だから治るまで隠れてじっとしているのが一番なのだろう。問題は今までなかった空腹感が波のように押し寄せてくることだった。


 困ったことに、一キロや二キロ肉をお腹に入れただけでは一向に収まってくれない。この雨な上に火の起こし方なんて知らないから我慢して動物の生肉まで貪ったのに、むしろ食欲に火が付く結果になった。


 どこか安定して食糧――できれば果実なんかを採れる場所があるなら、そこでしばらく休みたい。けど残念なことに、目に映るのはどこまでも広がる草原、それに地平線のみ。動物も総じてネズミのように小さく、いくつも貪ってようやく腹の足しになる程度だ。だからこうして歩き続けるしかないのだった。


 濡れた地面に手が滑り、思い切り顔を打つ。休憩がてらそのまま仰向けになり、雨の打ちつける重たい空を眺める。


「……プリーナ、大丈夫かな」


 一番の気がかりはそれだった。彼女は愛されている。だからきっと命に危機が及ぶようなことはない。それでもやっぱり、町にはいられないだろう。でも、本当に気になっているのはそこじゃない。


 ぼくは、彼女の気持ちを裏切ってしまった。


 自身の進む道を信じられず途方にくれていたプリーナに、ぼくは手を伸ばした。同じ恐怖を抱いていたから。それを共に吹き飛ばすために、大きな声で誓ってみせた。いつか必ず、自分を好きになるからと。奢りかもしれないけど、その言葉で彼女も歩き出してくれたんだ。


 けどそれが、愛する家族を殺した者の誓いだったら? そんなものにどれほどの力がある?


 約束を違えるつもりはない。どの道今のぼくは、自分を許すために生きているようなものだから。


 純粋にプリーナが心配だった。彼女にだけは自身の無実を伝えられたらと、この数時間何度も思った。できることならぼくだって、自分は魔族なんかじゃないのだと、魔族の体に憑依しただけなのだと訴えたかった。


 けれども証拠がない。話を信じてもらうための確たるものが何もなかった。それではただ都合のいい嘘を並べる悪党としか映らない。魔術の存在する世界と言えども、信用なき者の言葉には証拠が必要なのだ。


 大地に投げ出した手で土を掴む。力を入れ、草が抜けるほど地面を抉る。


 憎い。


 サーネルという魔族が、憎い。


 糾弾するどころか一発殴ることすらできないのが、たまらなく悔しかった。


 ――そうして怒りで頭がいっぱいになっていたからだろう。気づくことができなかった。


 横殴りになりつつある雨の中を歩いてくる、いくつもの人影に。




          *




 丸い木のテーブルにパンとスープが並べられる。ほろほろとやわらかな煮魚の入ったスープは、マリターニュで口にする、おそらく最後の朝食だ。


「何故、こちらでお食事を?」


 テーブルをはさんだ向かいに座るマイスがいった。


「嫌だったかしら」


「いえ。滅相もありません」


 彼は食事の手を止めることもなく無表情に答える。嫌でもなければ嬉しくもない、という気持ちは十分に伝わった。


 ここはマイスの泊まる宿屋の一階、入り口からすぐの食堂だった。プリーナは夜が明ける前にここを訪れ、彼が起きてくるまでずっと待っていたのだ。


 当然他にも宿泊客の姿はある。皆一様にプリーナに気を取られて食事が一向に進んでいない。申し訳ない気もしたけれど、既に口を付けた食事を放り出すわけにもいかない。


「お父様や侍女とは、できるだけ顔を合わせたくなかったの」


 煮魚のなくなったスープを見下ろし、プリーナは呟く。


「出発前にこんな顔、見せられないもの」


 金髪の少女はひどく腫れ上がった目を細め、薄く笑った。


 マイスはぴくりとも表情を変えずそれを見返す。その手が止まっていた。


「失礼ですが、昨夜は眠れましたか」


「……少しは」


「道中で体調を崩されては危険です。出発なさる前に十分な睡眠を」


「心配はご無用よ。旅は慣れているから」


「旅慣れているなら尚更、体調管理の重要性はご承知でしょう」


 あまりの正論にプリーナは面食らう。しかしそうあっさり引き下がるわけにもいかないのだ。


「わたしが休んだら、あなたは待っていてくれる?」


「いいえ」


「それなら眠ってなんていられないわ。何と言われようとも同行させてもらいます」


「……わかりました。出過ぎたことを」


 わがままを言っているのはプリーナのほうだというのに、マイスは生真面目に謝罪する。プリーナはゆるく首を振るった。


 その時宿屋の扉が開いた。見るとワマーニュ家の騎士が立っている。あるじの娘の姿を認めると、一礼を入れて近づいてくる。


「サーネルが網にかかりました」


 こんなに早く。プリーナは目を見張る。


 騎士の肩には頭だけが異様に大きな黒い鳥が乗っている。強面こわもての騎士と同じくらい大きな頭をしたその鳥は甲高い鳴き声を一つ上げると、人の言葉を話し始めた。


「レドリーミュにて、レドリーミュにて。サーネル発見、監視中」


「睨んだ通り、そう遠くへは流されなかったようです」


 騎士がいう。確かにレドリーミュはすぐ隣の領地だ。だからこそ包囲網を張れていた。


 そう、包囲網だ。昨夜ロワーフは、マイスから「サーネルを逃がした」との報告を受けてすぐに黒い鳥を数羽放った。「魔王の息子が逃げた」という言葉を乗せて。


 魔王の息子サーネル・デンテラージュの存在は瞬く間にマリターニュの周辺各領地が知るところとなり、包囲網が敷かれる運びとなった。もっとも、捜索に割ける人員などたかが知れているから、よほど身を隠すのに四苦八苦するような土地でないと見つけるのは困難だっただろう。その点草原の多いレドリーミュなら納得もいく。


「では、ちましょう」


「ええ」


 プリーナたちは鳥からもう少し詳しい位置を確認すると、早々に食事を済ませて宿を後にする。


 外にはエラリアが待っていた。糸のように細い目をした赤毛の少女、プリーナの侍女。だけれどもう、主従関係にはない。


 見られたく、なかったのだけれど。


「プリーナ……様」


 朝の冷え込んだ、青ざめた町の中で向かい合う。わずかな時を挟み、プリーナは歩き出した。


「――愛しているわ」


 それ以上は、また気持ちが溢れて止まらなくなってしまいそうだったから。


 たったそれだけの言葉を残して、金の髪の少女は去る。


 風に流れて、誰かのすすり泣く声が聞こえてきたような気がした。




「ですが、よろしいのですか」


 町の出入り口、修復中の門までたどり着いたところで、最後の確認と言うようにマイスがいった。


 エラリアのことかと思えばどうやら違うらしい。プリーナがどの道町にはいられないということを彼も察しているようだ。


「プリーナ様はサーネルの友人だったのでは。母君の仇敵とはいえ、目の前で殺されては目覚めが悪いのではありませんか」


 今度こそ本気で面食らって、プリーナは数秒返事ができなかった。悪気などこれっぽっちもなさそうな無表情を見返し、苦笑する。


「あなた、何を今さら――。昨日は問答無用だったじゃない」


「それは、返す言葉もありませんが」


「心配いらないわ」


 少女ははっきりと答える。その目に強く凛とした光を込めて。迷いなど欠片も感じさせない、確かな覚悟の込められた声で、彼女は答えるのだった。




「あれはもう、ただの仇よ」




 そうして少女は、黒髪の勇者と共に町を発つ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ