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世界を救えば別だよね?  作者: 白沼俊
二. 勇者たちの怒りの章
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3. 理由にはならない

 勇者が歩いてくる。四メートルを超える刃を持つ大剣を引きずり、無機質な視線でぼくを射抜いて。


 ぼくは動かない。地面に這いつくばって、勇者が向かってくるのをただ見返している。


 無理だ。こんな化け物から逃げ切れるわけがない。そう思うと全身から力が抜けて、魔力さえ失ってしまったかのような錯覚にとらわれる。


 その瞬間はすぐそこだ。既に勇者は剣を真横に上げ、トドメの準備を始めていた。


 ――苦い笑みをこぼす。


 ぼくは両足を失った体を無理やりに起こした。


 とっくに諦めはついている。どんなに足掻いたって無駄に決まっている。そう思ったのは本当だ。


 けどそれは、今のぼくが立ち止まる理由にはならない。


 まぶたの裏で、誰かの象徴みたいなポニーテールが揺れるから。


 ゆるく結ばれた、二束のお下げが揺れるから。


 たとえどこまで追い込まれても、最後の最後まで醜く足掻かなくちゃならなかった。


 それに。


 欠片ほどの希望にもならないけど、まだ試していないこともある。


 ――いいですかぁ? お坊ちゃま。


 思い出すのはメニィのおっとりとした声。魔王城のコロシアムみたいな訓練場で教えを受けた時のこと。


 ――お坊ちゃまには本来、四つの魔術が扱えるはずですぅ。


 そう。サーネルが使っていたという魔術の教えを。


 一か八かの大博打おおばくちだった。何せ今まで、乱発していた二つの魔術以外は使えた試しがない。練習の中でさえだ。


 それをこんな土壇場でなんて、無謀過ぎるのは分かってる。でも、今を逃せば試すことすらできなくなるんだ。


 だったら今、やるしかない。


 掌から火花を散らす。地面に断続的に衝撃を与えて激しい土煙を巻き上げる。時間稼ぎにもならないただの煙幕だ。


 煙の中に身を隠し、全身の感覚を研ぎ澄ませる。わずかな音にも耳をそば立て、皮膚を撫でる風を感じ、体内を巡る血の流れに意識を集中する。下半身からの痛みすら手放さず、勇者の足音も聞き逃さない。


 咆哮を上げた。立ち向かうと決めた時、ぼくはいつも叫んでいる気がする。


 そういえば、殺人鬼に向かっていったお姉ちゃんもこんな声を上げていたっけ。全然似てはいなかったけど、やっぱり姉弟だってことかな。


「邪魔だ」


 マイスが呟く。突風が吹きつけ煙の衣を剥がされる。どうやら剣を振るっただけでそれだけの風を巻き起こしたらしい。


 汗が噴き出す。それでもぼくは集中を解かない。血が出るほど唇を噛み、わずかに身を震わせながらも必死にその感覚を探した。


 魔術を扱うその瞬間、カチリと歯車が噛み合ったように血流が加速するあの感覚。魔術の発動に成功する、その合図を。


 再び、メニィの声がよみがえる。


 ――一つは体から腕や脚を生やす魔術ですぅ。これはもう使ってましたよねえ。


 マイスが足を止める。剣が届く間合いに入った。


 ――もう一つは掌から衝撃を放つ魔術ですねえ。お坊ちゃまが一番好んで使われていたものなんですよぉ。


 マイスが両手で柄を握る。剣の先が夕日を反射した。


 ――それからもう一つは……これはあまり使いたがらなかったようなんですけどぉ。


 そう。それが希望。


 もう一つ。サーネルの使った第三の魔術。


 それこそが、今残された最後の希望だった。


 マイスが後ろへ剣を引く。同時、ぼくは後ろへ飛び退いた。


 わずかに遅れ剣が振り抜かれる。切っ先は届かない。鼻先近くで空を裂くのみ。


 届いたのは、理不尽なまでの力で巻き起こされる、嵐のごとき暴風だけであった。


 カチリ。耳の奥で音がする。


 狙い通りだ。


 暴風が全身を打ち付ける。ぼくの体は真正面から押し出され、いとも容易く宙へ浮かばせる。そしてそのまま――。




 空高くへと吹き飛ばされた。




 これまでの何倍も速く、そして高く、ぼくは宙を飛んでいた。既に石壁の上を越え、町の外へと抜け出している。真下には大海原が見えていた。


「や……やった。使えた。逃げ……きれた」


 両足を断たれ、ひざは今も強い痛みを訴えてくる。それでも安堵の息は自然とこぼれた。


 これが、サーネルのもう一つの魔術。自身の体重を軽くする魔術だった。


 記憶の中で、メニィはくすくすと笑う。


 ――魔王様に似て戦いへのこだわりがお強いですからねえ。他の魔術と比べて迫力が少ないのが気に入らなかったんだと思いますぅ。


 当然ぼくにそのこだわりは理解できない。でも、きっとそれがぼくを救ってくれた。


 勇者がこの魔術を知っていたら、こうはならなかっただろうから。


 勇者の狙いは分かっていた。多分彼は、またぼくが腕を生やして跳びあがると想定していたのだろう。するとぼくは空中で動けなくなる。両足を断った時のようにその隙を突き、今度こそトドメの一撃を見舞おうとしていたのだ。


 でもまさか、ここまで引き離されるとは考えもしなかったに違いない。ぼくだって予想外だ。せいぜい石壁を飛び越えるくらいのつもりだったのに。


 ぼくを飛ばしたのは魔術じゃない。今使ったのはあくまで自重を減らす力であって、自力で空を飛んだわけではないのだ。


 一気に町を出てその先の海まで来られたのは、そして未だ高速で飛び続けられているのは、勇者が剣を振るった、その風圧がした技であった。


 たくさんの偶然が重なった結果だった。魔術が使えていなければ。勇者が魔術を知っていれば。大剣の振り方が少し違っていれば。今ぼくは生きていないだろう。運は悪い方と思っていたけど、今回ばかりは神様に味方してもらったような、そんな気がしていた。


「そろそろ大丈夫……だよね?」


 魔術を解く。重さを取り戻し、ぼくの体が落ち始める。


 後は海の中に隠れるだけ。ちょっと苦しいけど、それくらいは我慢しよう。


 強い空気抵抗を受けて視界がひどくブレる。風を切る音が聴覚を占領する。


 ――その中でも『彼』の声は、はっきりと聞き取れた。




「そんな魔術も使えたとはな」




 目を見張る。


 ……なんで。これで終わりじゃないのか。助かったんじゃなかったのか。


 ごくりと唾を飲み、視線だけを声に向ける。


 広大な大海原の上。暗色が混ざり始めた夕空を背に、超重量の大剣を持った勇者が降ってきていた。


 この人、どこまで……!


 自力で大地を揺らせるのだ。空高く跳びあがるくらいやってのけても不思議じゃなかった。けど実際目にすると、目眩のするような絶望感に襲われる。


 ぼくはぐっと唇を噛み、気持ちを切り替えた。


 固まりそうになった頭を無理やりに回転させる。きっとまだできることは残っている。今の状況は最悪だ。ぼくは今、空中で動けずに無防備を晒している。何かしなきゃ、今度こそ殺される。


 落下の速度は向こうがはるかに速い。このままでは海に落ちるまでに追いつかれてしまう。それ以前にあの大剣を投げつけられる危険もあった。


 考えろ、考えろ。今できることは? ここから生き残る方法は?


 方法は――。


「終わりだ。サーネル」


 いいや、まだだ!


 全身から自身を抱くように腕を生やし、幾重にも重ね、腕の鎧を作り上げる。重さを増した体が加速した。


「なるほど。海へ逃げ込むつもりか。だが」


 マイスは剣を片手に持ち、肩の上に構える。そして、投げた。


 ――ぼくは口の端を上げた。


「逆だよ」


「!」


 そう、逆だ。海には逃げない。ぼくは魔術で体重を軽くする。


 同時に、身を包んだ何本もの腕を一斉に広げた。


 受け続けていた空気の抵抗と、大きく広げた円盤のごとき腕がぶつかり合う。極限まで軽くなったぼくの体は、強引に軌道を捻じ曲げられた。


 大きくブレたぼくの傍を、超重量の大剣が突き抜ける。その風圧でまた大きく軌道をずらされ、瞬く間に勇者から遠ざかっていった。


 勇者の投げた剣の威力はすさまじかった。海に巨大な裂け目を作り、わずかな時海底すら露わにさせた。遅れて勇者自身も飛び込んでいく。


 海の裂け目に滝のように水が流れ込む。割れた海はすぐさま元の姿を取り戻し、大剣もろとも勇者を飲み込んでしまった。


 海が静けさを取り戻す。ぼくの耳に届くのは、体を押し上げる風の音だけ。それ自体も吹き飛ばされた当初よりはだいぶ弱まって、慣れた耳には静かすぎるくらいだった。


 ……でも。


 ため息をつく。この後の展開くらい予想は付いている。どうせ、海の底からも跳びあがってきちゃうんだよね。


 宙に浮きながら腕を組み、ぼくは黙考する。


 さて。どう逃げ切ったものだろうか。




          *




 横から上から海水が迫ってくる。山崩れが可愛く見えるほどの猛烈な勢いだ。


 海の底に刺さった大剣を掴み、マイスは襲い来る水に備えた。


 全身を大量の海水が打ち付ける。その重さはいかほどか。常人であればまず無事では済まないだろう。体は弾け、血の一滴すら海に溶け去り跡形もなく消えてしまうに違いなかった。


 だが、耐える。勇者の体は圧倒的な重量を五体満足に受けきった。そもそも海を割ったのは彼自身。ここで無残に砕け散るほど常識的な作りはしていない。


 刺さったままの大剣の柄を強く握る。軽く膝を曲げ、直後、鋭く息を吐いた。


 海底の地面が砕ける。勇者は大剣ごと跳びあがっていた。彼の身が海上に姿を現すまでそう時間はかからなかった。


 はるか前方、暗くなった空に影を見つける。サーネルはまだ風に乗って飛び続けていた。


 マイスは大剣を逆手に持ち直し、肩の上まで持ち上げる。跳躍の勢いがなくなり落下が始まったところで、剣を思い切り――。


「……これは」


 思いとどまる。マイスの目にはいくつもの人影が映っていた。


 否。肉の塊だ。大量の腕を鎧のように纏った影が、いくつも水面を浮いている。それぞれが恐ろしく軽いのだろう。容易く風や波に攫われたそれらは見事なまでに散らばり、四方八方を漂っていた。


 海に落ちる。マイスは水面から顔を出し、無駄と知りながら肉塊以外の姿はないか視線を走らせた。当然、逃亡を図る者の影は見当たらなかった。


 サーネルの本体がどれに包まれているか、あるいはどれにも包まれていないのか、一見しただけでは判別がつかない。一つ一つ斬っていけないこともないが、それには多くの時間を要するだろう。


「やられたな」


 マイスは無表情に呟く。彼の素早さはどの馬鹿力ゆえだ。地面を蹴れば直線的な速さは出せるが、この大海原の中、それもかなわない。どこまで読んでのことかは不明だが、マイスにしてみればこれ以上とないくらい厄介な策だった。


 おそらくサーネルは海中を泳いで逃げている。だが裏をかいて肉の塊のどれかに紛れている可能性もある以上無視するわけにもいかない。マイスは仕方なく、一つ一つに泳いで近づき、全てを叩き斬ることに決めた。


 ――だが。結局その中のどれからもサーネルの本体は見つからなかった。



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