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世界を救えば別だよね?  作者: 白沼俊
一. 消えぬ幻の章
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19. 間が悪いにも程がある

2019/01/26 改稿しました

 渇きが癒えない。


 角のカップから口を離し、プリーナはぷはっと白い息を吐いた。


 石壁沿いの殺風景な道を歩く。町の壁沿いには深い堀が作られており、防御と同時に避難路としての役割も担っていた。今はそこをこっそりと歩いている。


 隣にカップを差し出す。軽く頭を下げて受け取るのはそばかすの目立つ赤毛の少女。プリーナの侍女じじょだ。キツネのような糸目は一見計算高そうだけれど、もらってすぐカップを落っことしそうになる姿や普段からののんびりした様子を見れば印象はがらりと変わるだろう。


「あの、プリーナ様。やっぱりあたしも」


「ダメよ、エラリア。来てはいけないわ」


 だからいつも外へ行く時、このいたいけな少女を連れることだけはできなかった。


 侍女はぎゅっと唇を噛み、俯いてしまう。


「……ごめんなさい。あたし、全然お役に立てなくて」


「ああ、そんなことを言わないで。あなたが待っていてくれるから、苦しい時でもわたしは生き残ってこられたのよ。それに」


 今から外へ赴くのは、人々のための見回りばかりが目的ではない。自分が我慢できなくなったから出ていくというのが本当のところなのだ。そんなことに大切な家族を巻き込むわけにはいかなかった。


「プリーナ様?」


「……いいえ」


 心配そうな眼差しに首を振り、プリーナはできうる限りの愛を込めて微笑んだ。町を出て、魔族と戦って、それから再び笑顔を交わせるとは限らないから。


 門のそば、長めの階段を上る。早くも体がうずうずしていた。


 この前殺したばかりなのに。この身はどうしてこんなにも……。


「うえええんっ」


 階段の一番上まで来たところで、子どもの泣き声が聞こえてきた。門からまっすぐにのびる人気の多い中央通りで、片膝を抱えて男の子が泣いていた。転んでしまったらしい。


 すぐに周囲にいた大人が駆け寄り声を駆ける。別の女性は濡れた布を持ってきた。この町の人たちは本当に優しい。心から誇りに思えるマリターニュの宝だ。


 けれど、プリーナだけは違う。その場において、他の人と比べるまでもなく明らかに異常な反応を示していた。


 体は火照り、息もわずかに乱れて、体はうずうずと微かに震える。とろけた眼を隠すように、彼女は人々から目を背ける。


 ダメなのだ。泣いている人を見ると、たとえどんなに愛していても熱くなってしまう。もっと苦しめたいという甘い欲望が頭を満たして、痺れたように何も考えられなくなる。


 プリーナはぎゅっと唇を噛み、門の傍で構える兵士の前に立つ。子どもに気を取られていたのか、領主の娘の姿に初めて気が付いて若い兵士は目を見張った。


「門を開けて」


「はっ、ただいま!」


 がらがらとび付いた音を立て、大きく重たい門が開いていく。それを待ちながら、すぐ後ろのエラリアへ振り返る。


「行ってくるわ」


「はい。いつまでもお待ちしております」


 真摯な眼差しだった。そう言われては、生きて帰らぬわけにはいかない。


 門が完全に開いた。プリーナは踏みだす。皮のマントをまとい、柄に宝石を散りばめた短剣を携えて。抑えきれない欲望を胸に、愛する町をった。




          *




 プリーナの背中が完全に消えないうちに、鉄の門がゆっくりと閉まり始める。


 その傍で、角のカップがことりと落ちた。


 彼女の侍女、エラリアはプリーナを見送らず、早くも階段を駆け下りていた。その手の中で小さな緑色の宝石が輝く。


「プリーナ様。出過ぎた真似をお許しください」


 そばかすの少女の体がふわりと浮き上がる。エラリアが使える唯一の魔術。主人にさえ話していない唯一の秘密でもある。


 ただ飛べるだけ。それで何ができるのだろう。自分でも分かっている。けれどもう、自分ばかりが安全な場所で待つなんて耐えられない。赤毛の少女はみるみるうちに高い石壁の上まで浮かび、そして――外に皮のマントを羽織った後ろ姿を見つけた。


「あたしはどんな罰でも受ける覚悟です。だから……」


 言いかけ、口をつぐむ。


 守らせてください、なんて畏れ多くて口にはできなかった。けれど、せめて。


 せめて身代わりになるくらいならできるだろうか。


 髪や肌は繊細で、表情は凛として格好良くて、いつでも誇りを忘れない。それにとても愛の多い人。でもそのためにいつもその身を危険に晒し、領主の娘という立場に甘んじることなく戦い続ける。


 彼女の身を守るためなら、たとえ命を投げ出しても惜しくはない。もちろんそんなの侍女の仕事ではないだろう。だからこれは、誇りや信念のための振る舞いなどではないのだ。主人へのひたすらの愛をもっての行動であった。


 ふわふわと草の生い茂った地面へ下っていく。見つからないよう距離を空けつつ、エラリアは主人の後を追い始めた。




          *




 冷たい水を頭から浴びる。ぼくは首を振り白い髪から水気を飛ばした。


 海辺の黒々とした岩場で体を洗っていた。潮の臭いが気にならなくもないけど、さすがに血まみれのまま歩くわけにもいかない。


 この後はひとまず魔王城に戻るつもりだった。魔力を使い過ぎてしまったから休まなくちゃいけない。


 目の粗い麻の服を着る。クヌールたちのいた村で拝借してきたものだ。つまりは盗みを働いたわけで、本当は結構悩んだ。けど、元々着ていた服は大部分が破けてしまっていたし、残った部分も血にまみれて洗うのも不可能だった。そんな格好で魔族と鉢合わせて詮索されたらたまらない。


 とは言えやっぱり、民家に押し入って服を奪い去る魔族なんて略奪者以外の何者でもなかった。


「……けど、世界を救えば別だよね」


 言い聞かせるように呟いて、岩場から引き返す。とりあえず来た道を戻ってプリーナのいる町まで行くつもりだった。実はそこからしばらく進んだところに『扉』――魔術で開くワープゲート――が設置されているはずなのだ。


 黒々とした岩山を周り込み、クヌールの町を無視して荒野に出る。


 遠くから悲鳴を上げる人影が駆けてきたのは、それからすぐのこと。


「た、助けてっ。助けてくださいっ」


 ひげをたくわえた初老の男性だった。丸々と太った見た目にもかかわらず、必死に叫んで逃げるその足は驚くほど速かった。それは命の危機から逃げのびるための最後の底力だったのかもしれない。


「助けっ……」


 ぼくの顔――つまりは魔族の顔に気づいて、彼の足は止まった。


「そ、んな……」


 希望を見つけたばかりの顔が、一瞬で絶望に染まる。次の瞬間、その腹が内側から弾けた。


 否、後ろから貫かれたらしい。絶望を蓄えたままに倒れ伏す男性の背後から、小さな影が姿を現す。


「わあ! サーネルお兄ちゃん!」


「どうしてここにいるのぉ?」


 二人いた。どちらも小さな子どもみたいな姿をしている。


 一人は、白髪に褐色の肌の、少し痩せた女の子。もう一人は桃色の髪に白い肌をした、わずかにふっくらした女の子だ。魔王城で出会ったララとリリ――サーネルをよく慕う子どもの魔族たちであった。


「ね、ね。頭撫でて~!」


 桃髪のリリが頭を差し出してくる。少々面食らいながら言う通りにする。するとララも近づいてきたので、両手でそれぞれの頭を撫でた。二人してぴょんぴょん飛び跳ねる。


「お前たちこそ、このような場所で何を」


「見回りだよ~!」


「そうだよそうだよ! 一人でね、歩いてるね、人間をね、見つけて殺すの!」


 ……なるほど。


 マリターニュというかどこでもそうだけど、今はいつ戦争が起きるか分からない状態。一定以上の戦力を主要な町に集中させて常に守りを固めておかなければならない。これから他の国と合流しようというなら尚更だ。だから町の外ではプリーナのような例外を除いて魔族狩りが行われることはないという。逆に言えば、人間狩りをするにはもってこいの環境なわけだ。


「他の子もいーっぱい! 来てるんだよ~!」


「いっぱいいっぱい!」


「ほう。今はどこに?」


「岩山~! こそこそって住んでる人がいないかって!」


 小さな集落とかがあれば皆で潰そうというわけか。


 上手いこと外から隠れているような山間の村が見事に支配されていたりするのは、そうして虱潰しに探索されているからなのだろう。だとすれば見過ごせないけど、今は――。


 魔力も空ではないけどほとんど使ってしまったし、相手の数も分からない。今暴れるのは自殺行為だ。


 ぐっと唇を噛み、決める。今は無視するしかない。


「そうか、わかった。では我は――」


「おやサーネルさん、どちらへ?」


 ぎょっとした。


 足音が来る。乾いた土を踏みながら何者かがやって来る。


 白い羽を生やした青年のような魔族――ユニムだ。


 どうしてここに。まさか、ぼくを追って? けど、一度海に入ってずいぶん離れたところまで泳いだのだし、足跡なんて見つかるはずが……いや、ある程度の当たりをつければ。


 視線を感じた。息が詰まる。


 ユニムの目はやはりぼくを捉えている。視線は微動だにしない。もはやこれは、ぼくをサーネルの偽者と睨んで追ってきたに違いなかった。


 けれど彼は、すぐに戦闘に移るような真似はしなかった。


「わあ! ユニムお兄ちゃんまでー! どうしたの~?」


「いえ。先日部下が殺されましてね」


 ララの問いにユニムは無表情で答える。


「一人や二人であれば気に掛けるほどのことでもないでしょうが、今回に限った話ではないのです。サーネルさん、あなたもお噂は耳に挟まれているのでは?」


 冷や汗が伝う。でもこの話はぼくに関することじゃない。噂のことなら確かにメニィと彼が話すのを聞いていた。


「……たった一人の人間の仕業、なのだろう」


 威厳を見せるように落ち着いた声を返しながら、こっそり視線をやって顔色を窺う。


 おや、と眉を上げる。


 ユニムはぼくをじっと見ていたけど、そこに疑念の混じった執拗しつようさは感じられなかった。実際、彼はあっさりと頷く。


「その通りです。私は噂の真偽を確かめ、あわよくばその人間を仕留めようと周辺の探索に参りました。ここまでも幾度か、魔族の死体を目にしましたよ」


 ユニムの視線が遠くの山稜へ移るのを見て取り、ぼくは内心で安堵の息をついた。杞憂……だったのだろうか。ここで会ったのは本当に偶然で。


 白い羽の生えた青年は続ける。


「驚くべきことですが、あのクヌールまでもがやられていました。魔族相手ならともかく、人間を相手取った際には私以上の実力を発揮できたはずです。怒った彼の俊敏さは驚異的ですから。その彼がやられるというのは――」


「クヌール? クヌールお兄ちゃん?」


「負けちゃったの?」


 ぼくは無意識に息を止めた。二人のあどけない表情に目を奪われる。


 ……この子どもたちも悲しむのだろうか。


 ごくりと唾を飲んで、ユニムの返答を待った。


「ええ。殺されていました」


「えー! すごいすごーい! 倒しちゃったんだー!」


「強いね強いねー! 人間なのにー!」


 ララとリリはぴょんぴょん跳ねる。愛らしく見えてもやはり魔族らしい。少しだけほっとした。


 けど、今気にするべきことは別にあったようだ。


「――人間、ではありませんよ」


 ユニムが言う。ぴたりと、時間が止まったような感覚に陥った。


「今回は違ったようです。噂の人間は、相手を必ず両断して殺すという話でした。ですがクヌールのやられ方は違います。首から上が跡形もなく弾けていました」


 ぎろり。ユニムの視線がぼくを射る。


 ……まずい。


 息が上がる。体中から汗が噴き出す。胃が縮んで悲鳴を上げる。


 魔術で生やした腕は処分した。ちゃんと全部、一つ残らず。だから大丈夫だ、噂の者の仕業じゃなくても、すぐにぼくだとは決められない。そんな証拠、ひとつもない。


 大丈夫、大丈夫。ばれているわけが――。


「おや、サーネルさん。顔色が悪いですね」


「――!」


 右足に痛みが走った。


 いつの間に抜いたのか、細剣がぼくの足を貫き、地面に縫いとめている。


「まだ気づきませんか! もう全部ばれているんですよ! 私はあなたの足跡を辿ってきたんだ! その先々で魔族が殺されている! それもほとんどが頭を失くして! あなたがやった! そうでしょう! サーネルさんの偽者であるあなたが!」


 早口で捲し立て、ユニムはぐちゅぐちゅと剣を動かし足を抉る。直後に引き抜き、同時に腹から肩までを一気に切り上げた。


「ぐぁッ……!」


 血が噴き出す。体がふらつく。ララとリリは声も出せずぼくたちを見守っている。


 ユニムの声だけがこの場で、高らかに響いていた。


「安心してください、この件を報告などしません。何故ならあなたは、今この場で私に裁かれるのですから!」


 魔力はほぼない。相手はメニィに警告された強力な魔族の一人。


 間が悪いにも程がある。本当に最悪のタイミングで追いつかれた。


 天使のごとき羽を生やした恐るべき魔族、ユニムとの戦いが今、幕を上げた。



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