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世界を救えば別だよね?  作者: 白沼俊
一. 消えぬ幻の章
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18. 君なんか知らない

2019/01/26 改稿しました

 身内の裏切りを知った時、魔族はどんな顔を晒すのか。


 その答えの一つを、たった今見せつけられていた。


「ぐ……!」


 ぼくの首を片手で掴み上げ、犬の獣人クヌールはグルルと唸り声をあげていた。


 鼻面には皺を寄せ、口元は震えて歪み、剥かれた瞳はぎらぎらと殺気立つ。顔だけ見ればほとんど丸きり獣である彼の形相は、体の芯を震わされるには十分な迫力だった。


 憤怒、激昂――当然の反応だ。分かっていたことだけど、こうも激しい感情をぶつけられると体が勝手に怯んでしまう。息ができないというのに、ちっとも振り払おうと動くことができない。


「なあサーネル。これは立派な裏切りだぜ。テメエはやっちゃいけねえことをした。誰の命令かテメエの意思かは知らねえが、それだけは確かだ」


 少年の声が冷酷に響く。メキメキと首が音を立てた。喉を潰され血がこぼれる。


 崩れた民家の瓦礫に落とされ、尖った石に背を刺された。


 見ると、白猫の獣人がいつの間にか近くにいて、瓦礫の中に手を入れている。


 下で何かが光っていた。


 瓦礫から漏れ出すのは緑色の光。光源は民家の床だ。これは……まさか。


 じゅくじゅくと音を立てて首が治っていくところに、容赦のない蹴りが入る。クヌールだった。


「オレの相棒に手を出したやつは、たとえテメエでも許さねえ。前に言ったはずだよな。それを破るっていうんなら、オレがテメエを殺しても、ちっとも裏切りにはならねえよなぁ!」


 爪先であごを撃ち抜かれ、ぼくは軽く宙に浮く。同時にクヌールは飛び退いていた。瓦礫から漏れる光が、より一層強くなる。


 間違いない。この光は、プリーナたちに捕えられたとき処刑台で見た――魔法陣。それが今輝いているということは。


 クヌールが後ろへ引いたということは。


「くっ!」


 もはや考えている暇などなかった。


 ぼくは真下へ向け、後ろ手を伸ばした肩から大量の腕を生やす。洪水のごとき勢いで、瓦礫の底から湧き上がってくる何かを相殺した。


 これは……岩だ。盛り上がる岩のような感触がある。肩から生える腕と同じように、圧倒的な物量の岩がぶつかってきていた。大地の怒りのごとき攻撃は留まるところを知らず、ぼくは必死に腕を放ち続けた。


 十秒ほどそれが続き、ようやく魔法陣の攻撃が止まる。


 ぼくは息を切らし、地面に突き刺さった腕の上に尻もちをついた。


「えー。さすがに反則じゃないかなー。今の防ぎ切っちゃうんだぁ?」


 白猫の少女が本気で参ったような声を出す。ぼくのほうも焦っていた。今のでだいぶ魔力を使ってしまったのだ。無数の腕を使った防御は、そう何度もできるものじゃない。


 それに、一人でも厄介だった相手に増援が駆けつけたこの状況。魔力の量なんかに関係なく大ピンチだ。


 たった一つ救いがあるとすれば、彷徨っていた人々がまばらに建った民家に隠れてくれたこと。意識なんてほとんどないみたいな様子だったけど、ある程度の理性は残っていたらしい。これなら腕を生やしての戦いもやりやすい。


 けど、そもそもこの二人の動きについていける自信がなかった。


「っていうか照れるねー。相棒とか呼んでたんだ」


「う、うるせぇ! 今は真面目にやれ!」


「はいはーい」


 これだけ見ると小さな獣人たちの微笑ましい光景だ。けど彼らの実力は侮れないどころか命の危機すらもたらすほど。ぼくはしっかり身構えながら、瓦礫が砕けぼくの腕だらけになった民家から降りた。


「でもさ、クヌール」


 白猫が呟く。


「うれしかったのは本当だよ。ここまで怒ってもらったら、死ぬわけにはいかなくなったかな」


 まるで血の通った感情でも持っているみたいな台詞を口にして、少女は本当の猫のように両手を前に付き、低く構えた。


 次の瞬間、少女の姿が消える。


 左、右――現れては見えなくなる。先ほどよりさらに速さを増していた。


 そうくるなら、また全身から腕を――。


「おっととと!」


 ぼくが力むと同時に、白猫がぴょんと後ろへ下がった。


「だからそれ反則だって! クヌール、代わって」


「おう。任せろ」


 今度はクヌールが駆けだす。ジグザグと軌道を読めないように跳び、気づくと姿が見えなくなる。


 どういうこと? クヌールなら平気なの?


 というか、前に殴り合った時より明らかにフットワークが軽すぎる。あれは本気じゃなかったのか。


 怯むうち、脳天にかかとを喰らう。ぐらりと視界が揺れたけど、何とか持ちこたえた。


「こんの……!」


 頭から拳を生やす。けど掠りもしない。


 しょうがない、迷ってなんていられない。この速さで魔術なんて撃ち込まれたらあっという間に殺される。


 ぼくはまた、栗の棘のように全身から拳を放った。そして。


「……痛ぇな」


 捉えた。視界が腕に包まれて何も見えないけど、お腹から突き出した拳に感触があった。


 でもこれは……。


「だけどなぁ、腰が入ってねえんだよ!」


 拳に大岩でもぶつけられたような衝撃があり、ぼくの体が吹き飛ばされる。腕をばらばらと切り離しながら地面を跳ね、何とか着地する。クヌールは拳を前に突き出していた。


 腕から伝わる感触と彼の様子で分かった。今クヌールは、放たれた腕に拳を合わせ、殴り返したのだ。そして見事に押し返した。


 最悪だ。早くも打つ手をなくされた。


 と、その時。クヌールがふいに横に飛び、陰からこぶし大の石が飛んできた。咄嗟に飛び退いたけど間に合わず。肩を思い切り撃ち抜かれた。


「あ……がっ!」


 石を飛ばしたのは、やはり白猫の少女。そして今のは、おそらく魔術だ。


 右腕がだらりと下がる。肩が治ろうとする気配はなかった。魔術で壊された箇所は、たとえ魔族の体でもなかなか元通りにはならない。つまり、致命傷になり得る。傷が治り切る前に体力が尽きればそれがその魔族の最期だ。


 もう一発来るかと思ったけど、少女はそれ以上石を出さず、さっと姿を消した。


 犬の獣人と白猫の獣人。それぞれの姿が現れては消え、消えては現れる。渦を巻くようにぼくの周りを駆け、徐々にこちらへ迫ってくる。


 目では追えない。強引に腕を放ってもダメ。だったらどうしたらいいんだ?


 腰に蹴りが入る。今度は腹に拳。為す術もなく体の至る箇所を殴られた。


 気づくと後方でまた白猫が構えていた。石を放つつもりなのだと気づき、ぼくは慌てて飛び退く。それを追うようにクヌールに目、あばら、尻を蹴り抜かれる。一体どんな身のこなしをしたらここまで素早く攻撃できるのか、視線でさえ追えないぼくには見当もつかない。


 体の至る箇所が悲鳴を上げる。体の全部から痛みが響いてくる。まずい、まずい、まずい。今度こそ本当に殺されてしまう。


 ――あれ?


 痛みに翻弄されるのに少しだけ慣れてきて、思考が働くようになってくる。そこで初めてぼくは気づいた。


 じゃあ、なんで。なんでぼくは、まだ立っていられるのだろう。


 なんでまだ――体のほとんどが無事でいるのだろう。


 視界の端で、白猫が構えている。


 ――ああ、そうか。


 ぼくは飛び出す。クヌールの猛攻は無視して。


「……っ! テメエ、待てっ!」


 背中、肩、頭に連続で拳を受けながら、ぼくは止まらず突っ込む。


 自分の方へ突っ込んでくるとは思わなかったのか、白猫の少女は動けなかった。その代わりに、向かい撃つように石を放つ。


 でも、今度は喰らわない。




「君たち、魔術が下手くそなんだね」




 既にぼくは、圧倒的な物量の腕を放っていた。


 大蛇のごとき腕の群れが少女を飲み込む。確かにその感触があった。


「シエル!」


 クヌールの叫びが虚しく響く。


 予想通り。今言ったように、二体の獣人は想像よりも魔術の扱いに慣れていなかった。


 魔術を使う時、ぼくやメニィはほとんど一瞬で放ててしまうけど、例えばプリーナとかは少し溜めの時間を要する。どうやら彼らにもそれが必要だったらしい。だから立ち止まらないと魔術が使えない。だから、素早い動きで翻弄しておきながら魔術で畳みかけることができなかった。


 そうと分かったら動いている方は無視すればいい。痛いけど、意識さえ強く保てば動けなくなることはない。魔術を使うべく構えている方のみを狙えば、格段に戦いやすくなるという思いつきだった。


「おい、やめろ! サーネル! やめろ、やめろよ!」


 背中を殴られながら、ぼくは腕の増殖を止めない。ここで一気に片付ける。白黒の悪魔で実証済みだけど、腕の群れはれっきとした魔術だ。これで潰せば魔族でも殺せる。


「やめてくれよ、お願いだ! やめてくれえ!」


 ――白猫の体の全部が砕けて潰れるのを、確かに感じた。


 ぼくが動きを止めると、同時に背後でクヌールが凍り付いた。


「……おい。待て。待てよ! なあサーネル! 生きてるよな! シエルはまだ生きてるんだよな!」


 ぼくはゆっくりと振り返る。さっきまでの殺気はどこへやら、すっかり怯えきった様子のクヌールに視線をぶつける。


 無言で頭へ手を伸ばすと、彼ははっとして後ろへ引いた。


「テメっ、サーネルっ」


「生きてるわけないじゃないか」


「!」


「君たちを生かしておく理由なんか、ぼくにはないよ」


 もう演技はしなかった。どうせ裏切りはばれているんだ。窮屈な言葉は必要ない。


 クヌールはゆらゆらと後ずさった。転がった石ころにつまずいて尻もちをつく。くつくつと、その肩が揺れた。


「ああ、そうかよ。そうだったなぁ。テメエはもう、裏切り者だったもんなぁ」


 声がわずかに震える。ぼくはどきりとした。


「オレはテメエを戦友と思ってたのによ……こんなの、あんまりじゃねえか」


 きっと顔を上げたクヌールは、目に涙を滲ませていた。


 ――なんだよ、それ。


 ずきりと、胸のあたりに痛みが走ったような気がした。でもそれは気のせいだ。


 ぼくはみぞおちにぎゅっと手を当て、静かに息を吐く。


「悪いけどぼくは、君なんか知らない」


 だって、戦友だったのはぼくじゃない。本当のぼくは、訓練場で会ったクヌール以外は何も知らないのだ。


 だから。ちっとも迷いなんてない。


 プリーナの町を守りたいから、世界を救ってみせたいから。ぼくは簡単にこいつを殺せる。


 ぼくは手を伸ばす。尻もちをついたままのクヌールは動こうとしなかった。


「……どういうつもりだよ」


「あ?」


「どうして向かって来ないんだ。ぼくはまだ生きてるのに」


 何を聞いているのだろう、ぼくは。さっさと砕いてしまえばいいのに。


 こんな会話は、自分の心を惑わすだけなのに。


 どうしても聞かずにはいられなかった。


「さっきまでの怒りはどこに行ったんだよ。何をそんな、死んだような顔してるんだよ」


「もういい。れよ」


 返された声は、今にも脆く崩れ去りそうなくらい弱々しかった。


「テメエのことなんかもうどうでもいい。オレはシエルをみすみす死なせた。だったら今さら暴れたってしょうがねえじゃねえか」


 犬の獣人は力ない声でそう言うと、がっくりと項垂うなだれる。


 もうクヌールは動かない。本当に死んでしまうつもりらしい。


 ぼくは気づくと、強く拳を握りしめていた。


 頭が熱い。手が震える。歯を強く食いしばってしまう。


「……ふざけんな」


 ついにぼくは、我慢できなくなって叫んだ。


「この村を見ろよ、ここにいる人たちを見ろよ! 頭おかしくなるくらい人の体弄んだくせに! 散々苦しめて愉しんできたくせに! 今さら人の真似ごとかっ? 涙なんて流した振りして! ふざけるのもいい加減にしろ!」


 勢いに任せ手を伸ばす。クヌールは動かない。


 手から火花が散った。このまま触れれば、一瞬で頭が吹き飛ぶ。容易く殺してしまえる。


 それなのに。


「どうした。殺さねえのかよ」


 ぼくの手は、止まってしまっていた。


「この……この! お前なんか!」


 パチパチと火花は散るのに、手がそれ以上伸びてくれない。すぐにでも殺してやりたいのに、体が言うことを聞いてくれない。


「なんで、なんでなんだよ。なんで魔族のお前が、そんな苦しそうな顔するんだよ」


「……うるせぇな。テメエだって魔族だろ」


 クヌールがむくりと腰を上げる。ぼくの掌に頭を差し出す。


「もういい。自分でやる」


「――!」


 言葉の通り、宣言通りに、彼の額が掌に触れた。


 火花が散る。瞬間、彼の頭が爆ぜた。


 血の煙が舞い、風に圧され、消えていく。


「――なんだよ、それ」


 ぼくは何故か、ふらりと崩れ落ちていた。



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