17. テメエを殺すことにした
2019/01/26 改稿しました
手に触れた頭が爆ぜ、三メートル級の巨体が地に伏す。土煙が舞った。
プリーナの町で眠った翌朝、早くもぼくは裏切りを再開していた。今は海沿いの小さな町を襲っている。森林地帯の集落と違って石壁に囲われている上に民家も多いけど、大部分が無惨に消し飛ばされ、今やただの焼けた瓦礫。大災害の跡地と言って差し支えないほどの様相だ。
岩の巨人の姿をした魔族たちは七体。たった今一番大きいのを潰したから残りは六体。これまでとさほど変わらない。あまり散らばられては困るから、「父上から伝達がある」とあらかじめ呼び集めてあった。
町の中央の広場にて、巨人の転倒で巻きあがっていた煙が晴れる。
既にぼくは、もう二体――二メートル半くらいの巨人の頭を掴んでいた。魔術で腕を生やし、伸ばした手で二つ同時に破砕する。
「なっ……! サーネル様っ?」
狼狽しているところにさらに腕を伸ばす。けど今度はかわされた。これでもう不意は突けない。
あと四体。肩に生えた余分な腕を切り捨て、全焼した家々に囲まれた広場で向かい合う。手を広げ火花をパチパチと鳴らすと、彼らはあからさまに怯え後ずさった。
「お、お待ちください! 何故このような!」
答えない。ぼくはかかとの先から足を生やし、その反動で跳躍した。
一気に距離を詰め、また一体、頭を掴む。
「や、やめっ……!」
破砕。
次――宙を舞ったままの状態で、すぐ隣にいるもう一体を殴りつける。のけ反ったところへ腕を伸ばし、砕いた。
「あと二体――」
足を生やすのは初めてだったけど、やってみるものだ。
生やした足を捨て、着地する。生き残りに向け、ぎろりと視線を突き刺した。
「ち、畜生があああ!」
一体が怒声を上げ体当たりしてくる。岩の巨体が寸前まで迫り、ぼくは反射的に飛び退いていた。
でも攻撃はやめない。跳びながらもちゃんと腕は伸ばす。あらぬ方向へ突っ込む頭を呼び止めるように掴み、吹っ飛ばした。
残りは一体。完全に戦意を喪失し、棒立ちになっている。やがてがくりと大きな音を立てて膝を突き、土煙を巻き上げた。
手を伸ばす。当然、迷いはしなかった。
広場にできた、瓦礫のごとき死体の山を見下ろす。大丈夫だ、いける。丸一日休んだおかげで、身も心もすっかり回復した。慣れてきたのか吐き気もない。いける。これなら戦える。
戦い方も分かってきた気がする。体の使い方というか、魔術との連携の取り方が頭に馴染んできた。サーネルの戦闘勘が移ったのかもしれない。
殺しを再開したらまたすぐに悪夢にとらわれてしまうんじゃないかと危惧していたけど、予想よりはるかに好調だ。
この町を守っていたという領主の館を睨む。半壊した石造りのそこに人々が捕えられていたらしい。けれどもう全員息絶えていた。生かさず殺さずの管理ができなかったそうだ。……つまりぼくは助けられなかった。
沈みそうになる気持ちを、首を振って追い払う。こういう結末もあるからこそ、悩んでいる暇なんてないのだ。
「――次」
もうここに用はない。ぼくは町を後にする。
それからしばらくはなかなか村や集落に行き会わなかった。人の住みにくい荒野が続き、遠くの山稜を望みながらひたすらに歩く。足取りはさほど重くないけど、みるみるうちに日が高くなっていき、少しだけ焦りを覚えた。めいっぱい休んだ分急いで動かなきゃと。
日が最も高く昇った頃、ようやく新たな村を見つけた。
そこは黒々とした岩山の麓、頑健な石造りの民家がまばらに建つ全体にごつごつとした雰囲気の村であった。
低い石壁に囲われたその土地を、二十を超える人影が死者のごとく彷徨っていた。
プリーナの町に行く前にあの堅牢な町を見ていなかったら、彼らを魔族と思い込んだかもしれない。
あの町で出会った初老の騎士――ソーンは、腕を縫われ凶悪な獣のようにされていた。けど、この町の光景はそれより惨い。皮膚のありとあらゆる場所に毛皮を縫い込まれ、全身から硬い毛を生やしていた。ただ、全身を覆われるというにはあまりにまばらな生え方で、病的で胸の悪くなる姿を作り出していた。
「うーん、なかなか上手くいけんねぇ」
血まみれの針と毛皮を手に持って、民家から一体の獣人が現れる。ぶつぶつ呟きながらこっちへ歩いてきて、途中でぼくの姿に気づいた。
少女らしい白い毛をした獣人は五、六才くらいの背丈で、猫のような耳とひげを生やしていた。
「おー? キミは確か……誰だっけ?」
「サーネルだ」
ぼくのほうは相手の顔を知らないけど、向こうがサーネルを知らないことはないはずだ。今まで見てきた魔族に名前を忘れられていた例はない。
でも、獣人の子はぽかんとしていた。
「知らねー……まあいいや。なんか魔族っぽいし」
調子の狂う反応だ。ぼくは咳払いを一つして顎を上げる。
「これでも魔王の息子だ。覚えておけ」
「あーなるほど。なんか見たことあると思ったよ」
彼女は驚いた風もなくうんうんと頷き、それからきょとんと首をかしげた。
「で? そんなのが何の用?」
「ひとまず皆を集めてもらおう。話したいことがある」
「へえ。何?」
「一度に話す。先に皆を呼べ」
「ふーん」
獣人の少女は毛皮と針をぽいと捨て、ぽりぽりと頭を掻いた。
「必要ないよ。今ここにいるのはウチだけだし。ウチ強いから」
「今、というのは?」
「ホントはもう一人いるんだけどさー、魔王城のほうにいるから」
顎に手を当て考える。強いというなら好都合かもしれない。奇襲するにしても、なるべくは一対一が望ましい。
「で、話ってー?」
「……ああ、そうだな。この村では人間と毛皮を縫い合わせているようだが。そのやり方を見せてはもらえぬか」
「えー? まだ全然成功してないんだけどー」
「そうなのか?」
少女はむっとして、近くを歩いていた住人の一人を捕まえる。首根っこをつかまれた不完全な獣が、ひどく掠れた呻きを漏らした。
「城のやつにはちゃんと報告してんだけどなー、まあいいや。ウチ、こいつらを獣人みたくしてやりたいと思ってんだよねー。こんないかにも縫ってまーすって感じじゃなくてさー、もっと完璧に? だからまだあんまり見せたくないんだけど。職人としての誇りみたいな?」
ぼくは軽く目を見張った。
……完璧に? 本物のように? そんなことが実現されたら。
下手をすれば、人が間違えてそれを殺してしまうような事態に――まさか、それが狙いで?
身体がぶるりと震えそうになるのをぐっと堪え、平然とした風を装いつつ腕を組む。
「不完全でも構わぬ。ぜひ見せてもらいたい」
「ウチがイヤって話なんだけどなー。はあ、まあいいや」
ため息をつき近くにいた住人を地面に倒す。針と毛皮を持ってどっかりとあぐらを掻いた。
「偉いやつの頼みならしゃあなしだね。いいよ、もうここでやる」
「ひぃぃぃっ!」
視界の中に針を捉えたのか、ぼんやりした顔で呻いていただけだった青年が、初めて人らしい悲鳴を上げた。そんな彼の腹を殴りつけて黙らせ、少女は自分のほうへと引き寄せた。
ぼくは彼女の後ろへ回り込んだ。これから始まる作業を覗きこむような振りをしてすぐ傍に立つ。
「なるべくゆっくりやってみせよ。我も真似てみたいのでな」
「はいはい、ゆっくりねー」
少女は疑う素振りも見せず針を構える。よく見ると糸が垂れていた。本当に裁縫のような付け方をするとは思わなかった。
だが、もちろんそんなことはどうでもいい。そんなもの見たくもない。
ぼくは息をひそめる。そっと、風を切るわずかな音すら立てないように、少女の頭へ手を伸ばす。
この獣人はここで殺す。死者のように彷徨い続ける人々を見捨てて置けるわけがなかった。
針がゆっくりと、押さえつけられた青年の首に近づいていく。同じくらいの早さでぼくの手も迫る。
心臓が鳴る。脈を感じる。掌に汗が滲んでいく。
針よりも先にぼくの手が、少女の頭に触れ――。
「キミさー、血の臭いぷんぷんさせすぎ」
瞬間。突然少女が振り返り、鋭い爪でぼくの腕を引き裂いた。
「っ……!」
赤い煙が舞う。手首からどくどくと血がこぼれた。
読まれていたっ? まさか!
狼狽えて後ずさるぼくの前で、少女が悠然と腰を上げる。
「見くびられちゃってるよなー、ホント。さすがのウチも警戒するって」
少女が構える。ぼくは小動物のように飛び退いた。
手首に触れる。血が止まらない。けど、これは治る傷だ。無視して身構える。
どうやら本当に今までと勝手が違うらしい。蹂躙するだけで終わる戦いにはならないようだ。
けど、それはそれで構わない。いずれ相対するであろう強敵打倒に向けて、少しくらいまともな戦いをしてみてもいいだろう。
白猫の獣人はむっとした様子で低く構えると、
「ムカつくね、キミ」
跳んだ。矢のごとき速さで駆け、右へ左へジグザグ動き、迫る。
速すぎて目では追えない。ぼくは手を前に突き出した。
パチパチと火花が散る。けどそれは少女の身を捉えない。代わりにぼくの腹へ強烈な蹴りが見舞われた。
「――ぅぐっ!」
「びびってたくせに、急に余裕な面しちゃってさー」
背中、太もも、後頭部。少女の体がぼくを中心に渦を巻き、何発も蹴りや肘を打ち込む。その度に息ができなくなり、ふらりとひざを付きそうになる。けどそれも新たな蹴りで無理やり立たされ許されなかった。
――まずい。この獣人、本当に強い。
メニィは確か、ぼくを殺せる魔族はあの四体だと言っていた。でも、これは――いや、そうか。あの時彼女が言ったのは魔王城の中にいるかもしれない者だけのことで。
もういい、考えている場合じゃない。今は目の前の敵をどうするかだ。
「どうしたのどうしたの? 全然手が出てないよー!」
わき腹、ふくらはぎ、顎――容赦のない打撃は未だ立て続けに放たれている。激しい痛みで前後不覚になり始めていた。
「そらそらそらぁっ! うんうん、テンション上がってきたよー!」
こんな目にも留まらない攻撃、どうやって。
……いや。違う。
まだ手はあった。
肩だけじゃなく足からも出せたんだ。だったら。
「舐めるなあああ!」
「げっ、やばっ!」
見えないなら、相手が来るであろう場所、全部を殴り飛ばせばいい。
全身から、全ての方向へ腕を生やした。栗を包む棘のように全力の拳を一斉に放つ。
「――っ痛ぁ!」
入った。白猫の体が吹っ飛ぶ。都合五つの拳を叩き込んだ。
けど浅い。わずかに躱しきれなかったという風情だ。
その証拠に、全身に生えた腕を切り離している間に彼女も起き上がっていた。
でも。
「痛たた……嘘でしょ、そんなの有――」
まだふらふらとして、隙があった。
「うわっ?」
ぼくは飛び出していた。足を生やし、手を伸ばして。
そして頭を、掴んだ。
「!」
「喰らえっ!」
この機は……逃さない!
――けれど。
「何してんだ、テメエ!」
わき腹に強烈な一撃を喰らった。少女の頭から手が離れ、ぼくの体が飛ばされる。そのまま民家に突っ込んで、石の壁を突き破った。あまりの衝撃で屋根が崩れ、石の瓦礫の下敷きになる。
「な……なんだ、今の」
真っ暗な視界。その向こうで、瓦礫をかき分ける音がする。
あっという間に視界が開け、目の前に新たな人影が現れた。
胸ぐらを掴まれ、持ち上げられる。
「サーネルテメエ……今、何してやがった」
そこにいたのは子ども。人間なら五、六才くらいの。全身を毛で覆われた獣のような風貌で、彼もまた獣人であるらしい。長い鼻先と円らな瞳からすると犬のよう。
その少年は獣耳をぴくりと動かし、咆哮を上げた。
「いいや良い、答えるな! もうオレは、テメエを殺すことにした!」
クヌール。魔王城の訓練場で戦った少年がそこにいた。