16. わたしの理想
2019/01/26 改稿しました
宿屋にて。
「本当にすみませんでした……」
二階の個室でぼくは改めて謝罪をしていた。とりあえず床の上で正座。
燭台の炎に照らされてそんな恰好をしていると、なんだか特殊な裁判でも受けているみたいな気分になる。
「もう忘れて。その話はおしまい」
「で、でも」
「お、し、まい!」
強い口調で言われ、ぼくはぶんぶんと首を縦に振る。
プリーナの頬は赤かった。あまり長く謝るからさっきの言動を思い出させてしまったらしい。土下座したくなった。
一応あのあと、例の若い兵士にはプリーナが説明をしてくれた。おかげで取り押さえられることはなくなったものの、あの部屋で起きた事件は知られてしまい「神に感謝して死ねええええ!」と散々肩を揺さぶられた。
――こほん。と咳払いがひとつ。
「それより」
彼女は声のトーンを少し下げ、空気を変えた。
「今夜休んだら、もう行ってしまうのかしら」
「――うん。行くよ」
プリーナのおかげで、自分が何を守るべきかちゃんと分かった気がする。彼らの生活、笑顔を見て、命だけじゃない、多くのものを守りたいと強く思えた。
そう、と呟き、プリーナはベッドに腰かける。ぼくも隣に座るよう、軽く手を添えて示した。目を丸くしつつそれに従う。
「ねえ、サーネル。今のうちに聞いておいてもいい?」
「? いいけど」
「サーネルはどうして、魔王を殺めようと思ったの?」
弱い視線。彼女にしては小さな声。それは同じ部屋の中だからとか隣に座っているからとか、そんな何でもない理由ではないように思えた。
「その、あんまり立派なことは言えないんだけど……むしろ個人的すぎるというか」
ゆらめく炎が碧い瞳の奥で頼りなく揺れる。少女の中に迷いを見て、だからぼくは、できるだけはっきりと答えた。
「自分を好きになりたいんだ。それだけだよ」
その時確かに、碧の瞳がわずかに大きくなるのを見た。本当に小さな動きだったのに、ひどく薄暗い部屋の中でも見逃せないくらい確かな反応だった。
唇が、さらに小さく開かれる。
「――同じだわ」
プリーナはぼくの手を取った。ほとんど無意識らしい様子で、ぼくの目をしっかりと見据えたまま、両手でそっと包み込むようにする。
「わたしも、理想の自分に近づきたい。愛する人たちの幸せを一番に考えて戦える人になりたい。そのために、醜い自分を引きずり出してでも戦うと誓ったの――でも」
彼女は目を伏せた。
「魔族を殺める度に、どんどん欲望が強くなって……もっと苦しめたい、もっと甚振りたいって。むしろ、理想から遠ざかってしまっているみたい。サーネル、あなたは迷ってはいないの?」
……ああ。なんて。なんて情けない。
こんな時、すぐにでも胸を張って頷けたらいいのに。あれだけ励ましてもらっておいて、何も返してあげられない。
今のぼくがそれを言えば、きっと嘘になる。だから今は、苦く笑って答えるしかなかった。
「分からないよ」
プリーナはどう思っただろう。もしこの言葉が彼女を傷つけてしまったなら。こんなに怖いのに、取り繕うための台詞すら出てきてくれなかった。
顔も見られず、部屋を仄かに照らす燭台に視線を向ける。
守りたいものは見えた。けど、あの悪夢は胸の奥に重たく居座っている。怪物を殺して回るだけの化け物。四年前から憎んでやまない殺戮鬼。お前はそれに成り果てたのだと糾弾されたらきっと否定できない。
……世界を救えば、別なのかな。
ゆらりと視線を隣にやると、プリーナは立ち上がっていた。
「また会いましょう。必ずどこかで」
顔は見えない。けどその声は、いつもの凛とした響きを伴っていた。
「うん。必ず」
プリーナが出ていく。音のない空間だけが残った。
ベッドで横になる。ともかく、戦わなくちゃ答えを返せる日も来ない。ひとまず今は目を閉じて、余計なことは忘れよう。
けど結局、その夜はなかなか寝付けなかった。
*
――見つけた。
青年が低く呟く。彼は空を飛んでいた。
天使のごとき羽を生やした人の顔をした魔族――ユニムは、常人にはおよそ判別できないであろう足跡を空中から見分け、悠然と地面に降り立つ。
森林が広がる地帯。その中に点在する数々の集落は壊滅していた。捕えた人々は解き放たれ、管理者である下っ端どもは皆殺し。ここはそのうちのひとつだ。頭の爆ぜた小さな魔族が三体転がっていた。世界中を支配するために魔族を広く散らばらせたことが完全に裏目に出ている。弱い人間が相手なら問題はなかったが……。
サーネル。大魔王ブラムス・デンテラージュの息子。その偽者。
やつの足跡は魔王城を出、『扉』を抜けてから、一度海へ消えていた。
何故そんなことを? 決まっている。ユニムの追跡を恐れてのこと。
つまりやつは裏切った。魔王の慈悲を、与えられた幸運を。
あれが魔族か人間か、そんなことはどうでもいい。考慮すべきは彼の反逆。偽者はその巨大な力をもってして、魔王の支配に綻びを入れようとしている。重要なのはその一点のみだ。
ならば殺す。この手で殺す。魔王が彼を疑わないのなら、強さで正しさを示す他ない。それがブラムス・デンテラージュを納得させる唯一の方法だ。
本気で戦うのはいつ以来だろうか。ユニムは考える。全世界の支配が始まった当初は休む間もなく戦線に飛び込んだものだった。それが今や、魔王城で侵入者や裏切り者に目を光らせるのみ。鍛錬を怠らなかった分、満ち足りなさは日々募っていった。
じゅるりと音を立て、ユニムは舌なめずりをする。端正な顔を醜く歪め、くつくつと肩を揺らした。
「――ああ、本当に。いつ以来でしょうね」
嬲りたい、削りたい、くり抜きたい。潰したい抉りたい砕きたい――内側に潜む本能的な衝動を隠しもせず、魔族は嗤う。
ようやく見つけた足跡を、ユニムはゆっくりと追い始めた。腹の奥で欲望を高め、ぐつぐつと泡が立つほど熱く昂ぶりながら。