15. プリーナの町
2019/01/24 改稿しました
「さあさあ大漁だよ! クシンにラッカン! 新鮮揚がりたてだ! 身が大きくてぷりっぷりのがたくさん穫れたよ!」
「新入荷~! 新入荷~! バミユーンの蜜酒ですよ~! 甘ぁくて、ぽっかぽかになれますよ~!」
「白爪鶏が穫れたぞォ! 今日のは上物だぜェ! 祝いの一品にどうだい!」
「メムの実はこっち!」
「マインの粉が買えるのはウチだけ!」
張り上げられた声が右から左から飛び交ってくる。
人々がごった返し、風を押しのける勢いで熱気を放っていた。
「…………」
ぼくはぽかんと棒立ちになる。
馬車に乗ってやって来たのは、高く強固な壁に守られた大きな町。門をくぐってすぐに見える広場で、盛大な市場が開かれている。この世界で目にしてきたものとはまるで異質な、生活の匂いにあふれた光景だ。
「これが――プリーナの生まれ育った町」
あまりの活気に圧倒されて、後ずさりすらした。
「ええ。そして、わたしの愛する人たちよ」
馬車でここまで運んでくれた御者に銀貨を渡しながら、誇らしげにプリーナがいった。
「ここにはマリターニュに住むほとんどの民がいるわ。いわば最後の砦なの。だから皆、生活を忘れない」
市場には様々なものが売られていた。目立つのはやはり食糧。野菜や魚や肉やお酒や、甘い香りのする砂糖菓子まで見える。目がチカチカするほど色の強い果物もあったけど、青魚やワインらしきお酒のように、見慣れた風のものも多かった。
他にも、地面に敷いた布の上で手袋やランプなんかを並べる商人や、花を売る者まであった。
と、多種多様な品々に目を奪われていると、プリーナがいなくなっていた。
慌てて見回し、すぐに見つける。太鼓腹の商人から布の包みを差し出されている。なんだろうと思っていたら、プリーナがぱんと手を叩いた。
「まあ、まあ! とってもいい匂い! 甘いお菓子なんて久しぶりだわ!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる勢いで大はしゃぎする。子どもみたいに笑みを弾かせた。
あんな顔もするんだなあと、ぼくは驚きながら頬を緩める。
「サーネル! 後でいっしょに食べましょう!」
にこにことしたままプリーナが駆けてくる。見る人に幸せを分け与えてくれるような無邪気さに、ぼくはすっかり見惚れてしまった。
分かった気がする。どうしてここに連れてこられたのか。
プリーナは他に蜜酒も買い付けた。一杯分。マントの中から角みたいな形のカップを取り出し、そこに注いでもらう。湯気が立ち、甘くとろけそうな香りがした。その場で口をつけ、少女はほっと息をつく。お酒……飲んでもいいのかな。
「はい、サーネルも」
当たり前のようにカップを差し出される。彼女が使ったカップを。
「えっ? で、でも」
これは……。
「ん?」
きょとんと小首をかしげる。意識しているのはこっちだけらしい。変に遠慮するのも悪いかなと悩み、結局受け取る。
未だ湯気の立つ蜜酒に、そっと口を付けた。
「どう?」
「美味しい……甘くて、あったかくて」
「でしょう! わたしも蜜酒は大好き!」
もっときつい味かと思ったけど、これならいけるかも。
二人で白い息を吐き、代わる代わる飲み干した。
市場の賑わいは収まらない。人混みではぐれないよう手を繋いでぼくたちは歩く。その感触はどこか懐かしく温かった。
「どこへ行くの?」
手を引かれたまま尋ねる。なかなか前に進めない。時折プリーナの身分に気づいて目を丸くする人もいたけど、白熱する買い物競争のためか大抵道を譲ってはもらえなかった。
「ひとまずは宿かしら。ベッド付きの個室で入れるところがあるの。そこならあなたも安心して休めるわ」
「え……わ、悪いよ。お金もないし」
「命の恩人であるあなたからお金なんて取りません」
でも、と言いよどむうち市場を抜ける。そのまま強引に手を引かれ、さらに往来を進む。また大きな広場があって、そこでもたくさんの人々が売り買いをしていた。ズボンやお椀、チーズやお肉と、やっぱり様々な品が並んでいる。
「ここよ」
プリーナが差すのは、賑わう広場に面した大きな二階建ての建物。木造ではあるけど、村で見たような茅葺屋根のそれとは違い、とても頑丈そうでより人工的だ。もしやかなり良い所なんじゃないかと気後れするぼくを、プリーナは気にせず引っ張る。
その後は早かった。領主の娘の登場にかしこまる主人を素早く制し、ぼくを二階の個室まで案内させた。十分すぎるらしいお金を渡すとさっさと主人を退散させ、気づけば二人、部屋の中に残された。大きなベッドがひとつと、隅っこに椅子と机が用意されている。
「今日だけでもここに泊まっていって。それともやっぱり、休む暇なんてないかしら」
「……ううん。甘えさせてもらうね」
素直に返すと、プリーナはまたぱっと顔を輝かせた。
それからぼくらは再び外に出て、もう少しだけ町を見て回った。壁に囲まれているにもかかわらず、本当に広い町だった。隅から隅まで回ったら、きっと一日や二日なんてあっという間に終わってしまうくらい。
壁の内には畑や水路も見かけられた。小さな森や湖まであって、外に出ずとも色んな景色が見られた。
その途中でプリーナが立ち止まる。石造りの立派な屋敷があった。さっきの宿が目にならないくらい大きく、低いながらも石壁に囲われている。
「ごめんなさい、少し待っていてもらえる? すぐに戻ってくるから」
どうやらワマーニュ家の別邸であったらしい。別邸って……しかも同じ町の中に。本当にお金持ちなんだな。
断る理由もなかったので了承すると、彼女はすぐ屋敷へ入っていった。
一人、壁の傍で待つ。吹きつける風にフード付きのマントを煽られながら、無言で立つ。
急に自分が魔族であることを思い出して、心細くなってきた。
けどまあ、プリーナだってバレないだろうと言っていたし……。
「ちょっといいかな?」
「…………」
早速話しかけられた。
なるべく顔を見せないようにしつつ、ぼくは答える。
「は、はい?」
「こんなところで何してるの?」
声をかけてきたのは兵士。鉄板のついた長衣を着た、高校生くらいの青年だった。
「い、いえ。何も。人を待っているだけで」
「待つって、それだけ? 困るなあ。ここ領主様の別邸の真ん前だからさ。立たれてるとこっちも警戒しなきゃいけないんだよ」
なるほど。場所が悪かっただけか。
ほっとして顔を向けようとして、あることに気づく。
あれ? この人、どこかで見たことが……。
思い出すのはプリーナに付き従っていた三人の兵士。厳つい顔のバードと痩身の兵、それから高校生くらいの若い男……。
あ、まずい! この人あの時の!
「あのっ、ああああの! ぷ、プリーナ様に待っててと言われたので! で、ですから怪しいとかそんなこととか全くなくて!」
「急に怪しくなってきたな……」
墓穴を掘った。
「ほ、本当なので! プリーナ様呼べば分かりますから! っていうかもう呼んできます!」
「あ、こら! 待っ……うわああ!」
「あ……」
肩を掴まれたので振り払ったら結構な勢いで吹っ飛んだ。地面をぐるぐると転がり、別邸向かいの水路に落ちる。
じゃぼーん、なんて音久しぶりに聞いたなあ。
さて、逃げよう。
こうなっては彼女に頼るしかない。素早く門を越え、敷地を駆け抜け屋敷に飛び込む。玄関前を通る廊下で、折りたたまれた服を運ぶ召使いらしき少女と鉢合わせた。
「へっ? 何っ?」
「プリーナ様はどこに!」
「ああああのっ?」
「プリーナ様はどこに!」
「は、はいっ! 二階に!」
強引に手を掴み、勢いに任せて案内させる。
「こんのぉぉぉ! よくもぉぉぉ!」
兵士の声が聞こえてきた。水路から這いあがってきたらしい。
「今のはっ?」
「気にしないで! 後で話すから!」
階段を上がり、花瓶や絵が飾られた廊下を走る。
「あ、あなたはっ?」
「ごめん、それも後で! あの部屋でいいんだよねっ?」
「は、はい! あ、でも今は!」
何か止めるような仕草を見たけど、構わず扉に飛びつく。躊躇わずに開いて中に入った。
「プリーナごめん! ちょっと来……」
言葉が引っ込む。後ろであわあわと焦りの声。
金の髪をほどいたプリーナが、素肌の露わになった背中を向けていた。
「…………………………………………………………………………えっと」
みるみるうちに真っ赤になる横顔。震える肩。
「ご、ごごごごごめん! そんなつもりじゃ!」
ぷるぷると震える彼女の目には涙さえ浮かんでいる。
後ろからは兵士、前からはプリーナ。絶体絶命の大ピンチ。
彼女は思い出したようにマントをつかみ取る。それで体を隠すつもりなのだろう。きっと彼女も、その瞬間まではそのつもりだったのかもしれない。
しかし――何が彼女を突き動かしたのか。
プリーナは何故かマントを捨て、突如がばっと両腕を開いた。
「わたしは誇り高きワマーニュ家の娘! この程度で動じたりはしません!」
何言ってるのこの人っ?
「領主の娘として、常に堂々たる振る舞いを」
「まままま待って! 落ち着いて!」
「そうですプリーナ様! どうかお気を確かに!」
「落ち着いています! 動じてなどいません!」
召使いが加勢しても彼女は止まらない。むしろ勢いを増して、一歩ずつ進み出てくる。
「ひ、ひとまず服をっ」
「必要ありません!」
「ありますよ!」
「いいえ、いいえ! たとえ! 衆人の前にこの身を晒されようとも! この誇りは! 決して! 揺るぎま! せん!」
「いいから! いいから早く服を着てえええ!」
屋敷に、いやこの一帯にぼくの声が響き渡る。
この一件は後に「裸の誇り事件」として脳内に刻み付けられることになったけど、さすがに胸の奥底にしまい込むことにした。