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世界を救えば別だよね?  作者: 白沼俊
一. 消えぬ幻の章
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14. とても頑張ったんだから

2019/01/26 改稿しました

 夢を見た。


 真っ暗な空間にぽつんと光が差す。そこには背丈が二メートルほどもある大きな熊が立っていた。こちらに背を向けた熊の体には剣が突き立っている。


 その剣を掴む。勢いよく引き抜くと血が噴き出し、途端に熊が絶叫した。


 ぼくは後ろへ振り返る。暗闇の中、同じく光の当たった犬顔の小男がいる。剣を振るとその首が跳び、ぼくの手の中にくるくると飛び込んだ。それはたちまちひび割れて、問答無用で破砕される。


 振り返る度新たな魔族が現れ、その全てが、一つ一つ丁寧に壊されていった。


 降り注ぐのは赤い雨。生々しく悪臭を放つ返り血。


 これは現実だ。現実に起きた出来事、殺戮の記憶。脳裏に焼き付いたそれらの光景が、より激しく、より冷徹に繰り返される。


 ただの鬼がそこにいた。怪物を殺して回るだけの化け物がそこにいた。


 ぼくが憎んでやまない殺戮鬼さつりくきが、そこにいた。


 殺す、殺す、殺す――。何度も何度も剣を振るい、刺し、抜き、怪物どもの頭を握り砕く。血飛沫で視界を埋め尽くされても、その手は命を奪い続けた。


 ふいに目の前が晴れる。


 そこには、怯えた顔の子どもの姿があった。人間みたいに可愛らしい、栗色のふわふわとした髪をした少年――けどこれも、魔族。何故かそれだけは理解していた。


 そこでふと夢の中のぼくは気づく。


 これは、夢だ。


 ぼくは夢でも誰かを殺している。


 ――握った剣の先が、子どもの胸に突き立った。


 イヤだ。見たくない。


 剣の先がめりこんでいく。


 やめろ、やめろよ。


 ずぶずぶと血があふれだす。


 早く終われ。目を覚ませ。


 子どもの瞳が、ぎょろりとうごめき白目を剥いた。


「――うあああああああああああ!」


 胸が丸ごと裂けるような叫びが喉を貫く。視界がノイズだらけになって、あっという間に何もかもが見えなくなる。


 はっと目を覚ました。


 心臓がばくばくと音を立てる。わずかに息を切らして、悪夢から逃れたのだと思い至る。目から耳へかけ、涙が流れていた。


 頭を抱えてうずくまる。起きたばかりにもかかわらず、ひくひくと泣きじゃくってしまう。


 眠れば少しは楽になるかと思った。でも、一層胸は痛くなって、抑え込んでいた苦しみを自覚してしまっただけだった。


「大丈夫よ、大丈夫」


 うずくまった背中に、誰かの手が、優しく触れた。


 視界の端で、さらさらとした金の髪がこぼれる。


 髪をほどいて肩に垂らした女の子が、ぼくを撫でてくれていた。


「え……?」


 それでようやく、自分が見知らぬ部屋にいることに気づく。まず目に入るのは家畜みたいな臭いが染みついた目の粗い土壁、それから剥き出しになった茅葺かやぶきの屋根裏。部屋の入り口にはドアの代わりか布がかけられている。


 身を起こすと、ついた手がシーツに沈んだ。この感触は、わらだろうか。


「どうして……」


 少女は今まで着ていた皮のマントを脱いでおり、腰にコルセットを巻いた白のワンピース姿だった。襟元で蝶々結びになった細い紐が長く垂れている。室内でも寒いのか、赤いケープを羽織っていた。


 見慣れない姿。でも、分かる。ぼくは彼女を知っている。


「プリーナ。どうして君が」


 問いかけに微笑みを返される。また髪が絹糸みたいにさらりと揺れて、日向のような優しい匂いが鼻腔をくすぐった。


「あなたを一人にしてはいけないと、神様が告げられたの」


「……へ?」


「偶然、本当に偶然あなたを見つけたの。森であなたが眠っていたから、ここまで連れてきたのよ。あんな広い場所で出会えたんですもの。きっと神様が、あなたと一緒にいてあげなさいと仰っているのだわ」


 プリーナは両手を握るように合わせ、祈るように目を伏せる。本当に神様の声を聞いたとかではないらしい。


 でも、わからない。


「どうして、そんなことを神様が……?」


「決まっているわ」


 プリーナが身を乗り出した。ぼくは目を見張る。


 頭を抱かれた。頬を胸に抱き寄せられ、両腕で頭を包まれる。いきなりのことで反応できなくて、ただ身を預ける。


 頭をそっと撫でられた。


「こうするためよ。あなたはとても頑張ったんだもの」


 声を出せない。振り払えない。だってぼくは、こうしてもらいたかったんだ。


 温かさが全身に広がっていく。凍った心を溶かすように、緊張した身体がじんわりとほぐれていく。


 拭い忘れた涙の上から、また熱が溢れた。




          *




 プリーナが皮のマントを羽織り、フードを被る。結んだ二束のお下げを外に出した。


「ごめんなさい、剣は置いてきてしまったわ。折れてしまっていたから」


「うん、いいよ。どの道捨てるしかなかっただろうし」


 ぼくたちは家屋を出る。そこは森に囲まれた農村だった。人や家畜の気配は全くなく、平たく広がる畑も枯れ果てている。何が起きたか察しは付くけれど、ひどく不安に駆られる空気だ。茅葺屋根の建物はどれも無傷で血の跡もなく、端を流れる川で回り続ける水車がなんとも不気味に映った。


「ここはね、本当はマリターニュの土地ではなかったのだけど。領地に人が誰もいなくなって、なし崩し的にマリターニュの一部になったの。そういうことがたくさんあって、今のマリターニュはとても……とても大きくなったわ」


 少女の声には感情を押し殺す響きがあった。横顔はけれど、凛と前を見据えている。


 ぼくとそう歳は変わらないように見えるのに、なんだかずっと大人びていた。


「プリーナ……本当に、ありがとう」


 わずかに頬を熱くして礼を言う。さっきの温もりを思い出して、上手く顔を直視できない。


「もう大丈夫だから。行くよ」


「そうね、行きましょう」


 手を握られる。暖かな感触に心臓が飛び跳ねた。


「やっ、ち、違くて、そのっ」


「いいえ、違わないわ。サーネルはわたしと一緒に行くのよ」


 問答無用。強引に手を引かれ、村の外、森を拓かれた一本道へと連れ出される。馬車も通れそうな太くならされた道だ。


「ま、待ってよっ。行くってどこへ」


「さっき、マリターニュは大きくなったと言ったでしょう? この辺りは元々、わたしの住む町ではないの」


「そ、それが……?」


「わたしの生まれ育った町に行きましょう! マリターニュ中から集まったたっくさんの人がいるのよ!」


「へっ?」


 足を止める。引っ張られる。二秒で負けた。


「なんでっ? まずくないっ?」


「あなたは休み方というものを知るべきだわ! 剣を執ったなら尚更ね!」


「わけわからないよ!」


「魔族を連れ込むのは本当はまずいけれど、サーネルなら耳を隠して顔を砂まみれにすればバレないと思うの!」


「やっぱりまずいんじゃないか! いいよ、休んでる暇なんてないし!」


「まあ! 聞き捨てならないわ! こうなったら手足を引きちぎってでも連れて行きますからね!」


「それはシャレにならな……あっ、待って! 待ってったら!」


 どの辺りが聞き捨てならなかったのか。すっかり気圧されたぼくは、もはや為す術もなく連行された。


 無理やりに腕を組まれ、まず連れて行かれたのは近くの町――といっても一時間は歩いたけれど。耳の長さを隠すように包帯を巻かれ、顔に砂をぶちまけられて、木でできた重厚な造りの門の前に立つ。


 そこには当然見張りがいた。門の前に二人、それから壁の内側に立つ二つの見張り台にそれぞれ一人ずつ。もしかすると、他にも一人か二人くらいには見られているかもしれなかった。


 本当にこんな変装とも言えない変装でばれないのだろうか。ごくりと唾を飲み込んで、彼らの前へ進み出る。


 鉄板の付いた長衣を着た二人の兵士は、プリーナの姿を認めると直ちに敬礼した。


「プリーナ様でしたか! どうぞお通り下さい!」


「ありがとう。連れの者も構わないわね?」


「それはもちろんですが……」


 二つの視線がちらりとぼくを射る。どきりと心臓が跳ねるのを隠し、ぼくは小さく俯いた。


「彼はとても傷ついているわ。今は大目に見てあげて」


「それは、しかし……」


「傷が治らないことはわたし自身が確認しています。この包帯だってわたしが巻いたのよ」


 兵士たちは目を見合わせる。その動作に体が強張るのを感じた。


 きっと決まりがあるのだ。やり取りから察するに、門をくぐる者が魔族かどうか確かめるというものだろう。体にナイフとかで傷でも付けて、それが治らなければ人間として通すと。確かに意識して傷の治りを止めることはできないし、判別方法として間違いはなさそうだ。


 それはつまり、ぼくに試されたらまずいということでもあるわけで。


 彼らはどう出る……?


 プリーナの横顔は一向に動じない。凛と兵士たちを見返し堂々と構えている。


「――分かりました」


 やがて彼らは表情を崩し、後ろへ下がった。


「どうぞ、お通り下さい。プリーナ様がそう仰るのでしたら間違いはないでしょう」


「ええ、保証するわ。ありがとう」


 門を通される。ぼくはこっそり胸を撫で下ろす。


「ほら、大丈夫だったでしょう?」


「結構ぎりぎりだったような……」


 ともあれぼくらは町に入った。


 真っ先に目に飛び込んできたのはお城。門からまっすぐ伸びた大通りの先に立ち、堅牢な石壁に囲まれている。


 通りをたくさんの人が行き交っていた。大きなとうのカゴを背負った少年、水のたまった桶を運ぶ老人、丸々と太った鳥を片手にさげる青年。その誰もがこん棒や斧など、思い思いの武器を腰に提げている。けれど張りつめた感じはなく、皆日々の生活を送っている様子だった。


 大きいながら質素な町並みだ。城を中心に幾層もの壁のごとく木造の民家が広がり、ぎっちりと守りを固めている。町を円状に囲む、ギザギザとした頭をした岩壁は、分厚い上に城よりも背が高く作られていた。言われなくともこれが魔族と戦うための作りであることは理解できる。門からまっすぐ伸びる土の道にしても隙には見えない。こんな場所を一斉に走り抜けようものなら、魔術で丸ごと貫かれるのが目に見えた。


 この町についても事前に調べは付けてあった。以前にこの辺りを攻め落とし多くの村を支配したという魔族たちによると、ここだけは守りが異様に固く、その上騎士の生き残りが十人も集まっているために彼らでは叩けなかったとのこと。騎士というのがどれほど強いのかは分からないけど、ここが人にとって安全であることは確からしい。


 そういえばぼくがプリーナたちに捕まってメニィに助けられたとき、兵士たちがメニィを「騎士相当」と評していた。騎士という称号がこの世界で当たり前に使われるものなら、メニィと同じくらい強い人たちが世界中にいると考えていいのかもしれない。じゃあなんでそれでも魔族に支配されるかといったら――やっぱり、大魔王のせいなのだろう。


 歯がゆい気持ちで町を眺めていると、未だ組まれたままの腕をぐっと引かれた。


「ほら。行きましょう」


「あ、あの……そろそろ解いてもらっても」


「ダメ。逃げられたら困るもの」


 袖越しに伝わる熱と感触にまだ慣れないぼくである。何せ、女の子とまともに手を繋いだこともない。


 プリーナは平気なのだろうか。ちらと顔を窺ったけど、近すぎるのが恥ずかしくて結局まともに見られなかった。


「おや。これはこれは!」


 勝手に一人ドギマギしていると、渋い声をした初老の兵士が駆けてくる。ブロンドの髪をした身なりのいい男性で、碧い宝石のブローチでマントを留めていた。右目から右耳へかけて大きな傷があり、そちらだけ眼球がなかった。


 武器は見当たらないけど、大きな宝石からすると、もしかして騎士の一人?


 けど、腕が――。


「プリーナ様。おひさしゅうございます」


「久しぶりね。ソーン」


「そちらの少年は」


 どきりとする。じろりと疑わしそうな目を向けられ、ぼくは固まってしまった。


「村を襲われて逃げていたの。安全なところまで連れて行きます。ここもいいけれど、これ以上は食糧が足りないでしょう?」


 図星なのか、ソーンと呼ばれた彼は苦笑した。


「すると、馬車をご所望ですかな?」


「ええ。お願いできる?」


「ははっ。少々お待ちを」


 一礼すると彼は迅速に駆けていく。民家の裏へ回っていき、すぐに見えなくなった。


「ねえ。今の人、腕が」


 ぼくは問うた。彼の腕がまるで、猛獣の手のようだったから。


 プリーナはそっと目を伏せ、答えてくれた。


「縫い付けられたの、魔族に。彼が元々住んでいた町は、本当はずっと遠くの場所でね。そこは完全に支配されてしまっていたの。そこで魔族たちに弄ばれて」


「……そっか」


「でも、その後ワマーニュ家から兵が送られてソーンは助かった。魔族はひとつ残らず倒されたと聞いたわ。たくさんの人が救われ、生活を取り戻したの」


 それからふいに声の調子を落とし、少女は続けた。


「だから、ね。サーネル」


 思い詰めるような間が空く。初めて腕が解かれる。


 その動きでお下げが浮き上がり、一瞬、横顔が隠れた。


 次に見たプリーナの顔には、ひどくぎこちない笑みが浮かんでいた。


「わたしたちが魔族を殺めるのは、決して、道を外れるような行いではないのよ」


 自らに言い聞かせるようなその口ぶりだった。


 ぼくは初めて、彼女の気持ちを打ち明けられた気がした。



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