12. 一人と一人
2019/01/22 改稿しました
「我はサーネル我はサーネル我はサーネル我は……」
ぶつぶつと繰り返す。台詞の練習のつもりだったけど、考えてみれば全く使う予定のない名乗りだ。何せ相手はサーネルの顔をよく知っている。
武器庫から頂戴してきた鋼の長剣を手に、森の手前、眼前の集落へ向かう。
そう。ぼくは魔王城を出て作戦を実行に移しに来ていた。作戦、なんて言えるものとは自分でも思えないのだけど。
魔王の居場所を突き止めるために、まずぼくはガラードとコンズと探さなければいけない。足を使って彼らを探すのは無謀極まる行為だ。そこでぼくは、彼らが自らこちらへやって来る状況を用意することにした。
やることは簡単。彼らの部下たちを何十体も殺してみせるのみ。
たくさんの部下を失ってこれ以上の痛手は避けたいと思うようになれば、自然と彼らの足は部下がやられた現場、あるいは魔王城へ向かうはず。そこですかさずこちらから会いに行く。そして魔王の居場所を突き止めるための唯一の手掛かり、バンリネルという魔族と会わせてもらおうという算段であった。
ただ人探しのために殺戮を行うことにはさすがに抵抗もあったけれど――。
集落を睨む。茅葺屋根の家々が十数軒あるだけのごく小さな集落だ。
そこでゴブリンみたいな人型の魔族が這いつくばった人々を蹴って笑っていた。どんな凌辱をなされたのか、呻く彼らの顔には線状の傷がびっしりと付けられていた。その身は痛みに痙攣し、呼吸困難に陥って涙を流すことさえかなわない。
ああ、これだ。これが魔族だ。ここまでやってのけるなら、わずかにも躊躇う必要はない。
地面に横たわる十人ほどの若者に対し、一メートルもない背丈の魔族が三体。それでも力の差は歴然らしい。ならばこそ、ぼくが戦う意味はある。
ここからは戻れない。悪魔たちに殺されかけたあの時と違い、今度は正真正銘無抵抗の身内を殺す。考えるだけで緊張して手足が震えた。しかし、地に伏す人々の流す血を見れば、その呻きを聞けば、いくらぼくだって剣を握れないことはない。
ぼくはいずれ魔王を殺し、世界を救う。これはその第一歩。
「これはこれはサーネル様! ちょうどよいところに!」
犬のブルドックのような顔をした魔族が女を仰向けに押さえつけたままにやりと笑う。
「よいものが見れますぞ! そこで呻いてるやつがありますでしょう! あれと同じのをこれから作るところだったのです!」
「最近近くの村で反乱が起きたって言うモンですからな! 調教を施してたところでサァ!」
「いやあこれがもうたまらん声で! ささ! サーネル様も聴いていってくだせえな!」
「……」
答えず、既に抜いてある武器を構える。
「新しい剣を受け取った。試し斬りがしたい。構わぬな?」
「へへえ! そりゃもちろんですとも! そんじゃァ残念ですが、この女を斬っちまってくだせえ!」
まるで警戒されていなかった。押さえつけられた女性の方は見ていられないほど青ざめてガチガチと歯を鳴らしている。目を合わせないようにして、刃を後ろへ引く。
この集落には魔族が三体しかいないらしい。事前に調べは付けてあった。ここにいるだけで全てなら、仕事はずいぶんやりやすい。
どくどくと音がする。心臓が、首元が、手足までもが大きく脈打ち、全身が緊張を訴える。初めの一刀。これをしくじれば後の手際に大きく響く。焦りやすい自分の性格は心得ているつもりだ。
だから、ここで――。
「さあ、さあ! やっちまってくだせえ! サーネル様!」
血の気が引くあまり真っ白になる女性、愉快そうに手を叩いて喜ぶ魔族。
しかして首を落とすのは、後者だ。
「げ……ぇ?」
次。
迷わず、後ろで驚く二体を斬る。自分が斬られるなどとは夢にも思わなかったのだろう、頭が落ちてもなお、目を見張ったまま黙っている。
さすがはサーネル、魔王の息子。すさまじい腕力だ。ただ乱暴に剣を振るっただけでこの威力とは。魔術を使って以来ようやくこの身体にも慣れてきたのか、常人ならざる力を振るえるようになっていた。
剣を振り血を払う。落ちた頭の一つを拾い、見下ろした。
まだこれは死んでいない。斬っただけでは魔族は死なない。首をくっつけて放置すれば、元通り動けるようになるだろう。そんなこと、許すはずがなかった。
その手に魔力を込める。パチパチと火花が散る。メニィから教わった、サーネルの新たな魔術。
「悪いな。――死んでもらう」
破砕。
掌から衝撃を放つだけのシンプルな、そして強力な魔術だ。
残りの二体が目を見張ったまま硬直する。その片方の首に、大きく広げた手を伸ばした。
ここからはもう引き返せない。そう、世界を救い切るまでは。
手が震えた。それでもぼくは、次の頭を握り砕いた。
最後の一つに手を伸ばす。今さら迷いなどあるはずもない。
そうしてぼくは呟くのだ。
そうだ。今こそ。今度こそ。
裏切り、開始だ――。
*
体液が飛び散る。
四メートルにも及ぶ超重量の大剣が、巨大ななめくじのごとき魔族を両断する。その身は衝撃で破砕され、ねばねばとした雨が降った。
「救いようがないな」
体にかかる体液も意に介さず、その大男は剣を引きずる。
そこは山奥の静かな隠れ里だった。魔族から逃れ傷を負った人々が集まり、互いを支えながら守ってきた土地だ。それでも剣で斬っても死なない怪物には敵わず、ついに蹂躙を許すに至る。
ただしそれも、たった今までのこと。
その男は剣を振るった。ただそれだけだった。
にもかかわらず村に押し寄せた怪物は両断され絶命した。剣で斬っても死なない化け物が、何故か剣によって打ち倒されたのである。
怖気づいた生き残りが逃げていく。すかさず追い、上から叩き斬る。
その動きに一切の迷いはなく、浴びた返り血にすら反応はない。体液と血でべとべとになった顔を拭いもせず、男はさっさと引き上げていく。
村人たちは呆気に取られ、感謝の声もかけられなかった。そのことにもやはり、頓着はしない。
遠くで悲鳴が響いた。本来聞き取れないほど離れた声に、男だけがぴくりと止まる。
「――次だ」
低く呟く。足は早くも動き始める。
救った人々や切り伏せた魔族のことなど忘れてしまったかのように、男は前方だけを睨んでいた。
ひたすらに命を守り続ける。あるいは彼も、物の怪の類であった。
*
何度目か、涙が出るほど大きくえずく。
ぼくは川を覗きこむようにして吐いていた。もっとも、初めからお腹の中は空っぽで、吐く感覚だけを何度も味わっている。
それから、思い出したように手の汚れを洗う。べっとりとこびりついた紫の血はいくら水で流しても落ちてくれず、それを見るたび握った頭の砕ける瞬間がフラッシュバックした。
一度は殺しているから平気だと高を括っていたけど、結構ダメージは大きかった。前の殺しはあんな風に、怯える相手の顔を見ながらではなかったから。まぶたの裏に張り付いた血は、どう拭っても取り切れそうになかった。
もう一度吐く。やっぱり何も出ない。息を切らして口元を拭った。
苦しい。胸の奥が押し潰されたみたいだ。殺すという行為がここまで心をかき乱すなんて想像していなかった。大切な人ならまだしも、相手は悪逆非道の魔族なのに。分かっていても、心の本能的な部分が許容してくれないのだった。
腰を上げる。口元を押さえながら、また一つえずいて立ち上がる。
止まれない。苦しいからって、今さら止まることはできない。もうぼくは裏切ってしまった。殺しを経験してしまった。後戻りは許されない。
世界を救えば別だよね。この免罪符の前提は、最後まで決して立ち止まらないことだ。
目を閉じ、若者たちの顔を思い起こす。すだれのように全身を裂かれた彼らは、もうまともに喋ることすらままならなかった。
次の場所へ向かおう。どれだけ躊躇っても、仮に魔王を殺すことを諦めても、最終的には殺しに手を染めねばならない状況は必ず来る。直接魔族の首を跳ねるか、襲われる人々を見殺しにするか。違いと言えばそれだけだ。それで剣を執らない道理なんてありはしない。
どうせ戦いを避けられないのなら一刻も早く理不尽を取り除きたい。色んな理屈を抜きにしても、あんな仕打ちを見過ごすことだけはできない。
剣を帯び、森のはるか向こうを睨む。次の村はその先にあるはずだ。
唇を噛みしめて、ぼくはまっすぐに歩き出した。