8. 尋問
2019/01/21 改稿しました
「ん……」
少し唸って、まぶたを開ける。
森に落ちた時の衝撃は覚えている。だからそれほど長く気を失ったつもりはなかった。
だけど、目の前の光景にそんな自信は完璧に消し飛んだ。
「おお! やぁっと起きたか小僧ォ! 気分はどうだあ?」
「ははは、いいに決まってるさ。だってお昼だよ。ねえ?」
「いや意味わかんないし。これから死ぬ奴の気分なんてどうでもいいでしょ」
「そうもいきません。受け答えができなくては尋問も敵いませんので」
包帯ぐるぐる巻きの怪物と、黒目がちどころか白目の見えない少女、それと白鳥のごとき汚れのない羽を生やした青年が並んでいた。ぼくの手足には木の枝が絡まり動けない。
羽を生やした人のような魔族――多分、メニィの言っていた追跡が得意という魔族だ。つまりこれは。
ガラード、コンズ、ハイマン、そしてユニムの四体が揃ってしまった。
メニィの姿は見当たらない。別の場所で拘束されているのだろうか。
「さて。あなたには聞きたいことがあります」
ユニムが一歩進み出る。眼鏡の似合いそうな中性的で理知的な顔立ちだ。騎士のようにすら見える誠実そうな眼差しが、まっすぐにぼくへぶつけられる。
「侵入の目的、仲間の有無です。侵入が単独であったかもお聞きしたい」
それから、腰につけていたレイピアを抜き、切っ先を首に突きつける。
「あらかじめ言っておきましょう。私に嘘は通じません。私の眼はどんな些細な表情の機微も見逃しませんので。――ですがその前に、ガラード様」
ユニムは細剣を引っ込め、包帯の怪物に向き直る。流れるような赤の髪が揺れた。
「何故彼がサーネルでないと見破ったのか、その理由をお聞きしても?」
「ああ、そうね。アタシも聞きたかった」
「言われてみれば確かに気になるなあ。僕にも聞かせてもらえるかい?」
「んん? そりゃあお前さん、簡単な話だ」
万華鏡模様の黄色い瞳を光らせて、ガラードはにたりと笑った。
「本物のサーネルはワシが殺しちまったからなあ! がっはっはっは!」
一瞬、ガラード以外の全員が凍り付いた。
「こ、殺したぁっ? なんでそんなことになったのよっ?」
「なんでも何も、魔王様から直々の命令だ。理由は聞いとらんから知らん!」
「ブラムス様から? ますますわけわかんない」
瞳が震えた。
呆れたような声音をするコンズに対し、ぼくのほうは本気で混乱していた。
殺された? サーネルが?
おかしい。そんなはずはない。だったらこの体はなんだ? ぼくはサーネルの体に入り込んでしまったんじゃなかったのか?
「ねえ、本当に殺したの? ちゃんと死んだとこ確認した?」
「なんだァコンズ。ワシを疑っとるのか」
「いやだって、根拠がアンタの言葉だけってのはさぁ」
そうだ、彼女の言う通りだった。サーネルが死んだと言っているのはガラード一人。彼の勘違いということも十分に考えられた。いや、そうとしか考えられない。
「少なくとも、頭の半分と胸のど真ん中は貫いてやったぞ?」
「確認してないんじゃない!」
やはりだ。サーネルはガラードの目を逃れ何とか生き残った。そういうことだったのだろう。
だが包帯の怪物も譲らない。
「十分だ、あの傷では助からんかった! 絶対だ! そんであやつ、そのまま深い谷底へ落ちおったんだぞォ? ついでに底へ向けて魔術をぶっ放してやったしなあ! ワシの魔術でつけた傷なら十日は消えん。頭と胸を抉られたまま、それだけの時間生きておれるわけがなかろう!」
「ううん、それは確かに、そうねえ」
いや、それでも。何とかして生き残ったのだ。ここは魔術の有るような世界だ。思ってもみないような抜け道があったのかもしれない。
く耳持ってもらえるのではと期待したのだけど。
「……まだ、信用に足る情報ではありませんね」
「なんだユニム! お前さんまで!」
「申し訳ありません。ですがこれに関しては、本人に直接尋ねたほうが良いでしょう」
ユニムがぼくと目線を合わせ、再び鋭い眼光をぶつけてきた。
心臓が跳ねる。ガラードの話に夢中で自分の状況を忘れかけていた。
「――今の話に、覚えは?」
彼の濁った灰色の瞳が、じっとぼくの目を捉える。
ごくりと唾を飲んだ。そういえばさっき、嘘は見破れると豪語していた。
嘘はつかない方がいい。けど、そのまま全部正直に話せば、間違いなく殺されるだろう。
だったら。
「知らぬ。我は昨日まで、我がサーネルであることすら知らなかった。この体が負った傷のことなど知りようもない」
芸がないとは思うけど、またこの線で行くしかない。ただし今度は、嘘を封じられた上で。
「なるほど、記憶がないと仰るわけですね。魔術で頭を削られたのですから不自然ではありませんが――」
「どうだい、ユニム? 嘘を言っている感じはあるかい?」
ハイマンの声。ユニムは顎に手を当てる。
「いえ。今の言葉は真実です。それは確かのようです」
ほっと息をつきそうになった。今ので勘付かれたら危なかったけど、これならいけるかも。
と、思ったのも束の間のこと。
「ですが……」
次の瞬間、ぼくの両頬をレイピアが貫いていた。
「――!」
「嘘はついていない! 確かにデタラメは言っていませんが、今あなた、私をたばかろうとしましたね! 分かるんですよそんなのは! これで決まった! あなたは侵入者だ! 今すぐ尋問を開始する!」
早口でまくしたてる様に言って、頬を貫くレイピアを横に引く。勢いよく口を裂かれた。
彼の背後で、ガラードが鉄筒を、コンズがナイフを構える。明らかな臨戦態勢だ。
「あらためて問いましょう。侵入の目的、仲間の有無、そして侵入が単独であったか。聞きたいのはこれだけです」
こうなってはもう頭も回らない。ぼくは冷や汗をだらだら流しながら、目を剥いて胸ぐらを掴んでくるユニムを見返すことしかできない。
それを黙秘と受け取ったのか、一層目を剥き興奮した様子で、一撃頭突きを見舞われた。
「さあ話してください! さもなければこれから丸一日かけて、私が知り尽くす限りの痛みを味わってもらうことになる! 途中で話そうとしても無駄です、明日になるまで私は聞かない! そこでまた話さなければ、今度は二日かけて同じことをさせてもらいます! さあどうします! 明日になってから話すのでも私は構いませんよ!」
狂気、狂喜。この男は尋問を愉しんでいる。我を忘れ昂ぶっている。彼は本気だ。答えなければすぐにでも拷問を始めるだろう。みぞおちが震えた。喉が震えた。がちがちと歯が鳴って、言葉が出なかった。
答えなきゃ、喋らなきゃ。焦るほどに声は出なくなる。口を裂かれてこんなに震えて、まともに答えられるわけがない。
「話すつもりはないですか! いいでしょう! それなら!」
今度はお腹を突き刺される。その衝撃で一瞬我に返った。
ユニムは、笑っていた。
この男、答えられないことを知った上で……!
「こ……のォォォ!」
「ガラード様! 腕が来ます!」
「よし来たァ!」
ぼくの肩から無数の腕が飛び出すと同時、ガラードが鉄筒を光らせる。
轟音、爆発、突風。数百の腕と数百の光弾が連続して解き放たれ、すさまじい迫力を伴って相殺を繰り返す。
それがしばらく続いて、やがて互いの攻撃が止んだ。巻きあがる煙の中、自分以外の全てが見えなくなる。
「はっはっはっはっは! こりゃあたまげた! まさかここまでできるたァなあ!」
煙の奥から声がする。ガラードは健在らしい。手加減すらされた節があった。こちらは全ての魔力を使い切ったのに。
そうだ、仮にも彼はサーネルを死の寸前まで追い詰めた怪物。ただ力押しで挑んでもこうなることは見えていた。
けど、それでもいい。
機会は作れた。
肩から腕を生やした影響で、ハイマンの拘束が解けていた。偶然のことだったけど、この煙で身を隠せるうちに逃げ出すしかない。
身を翻し走り出す。煙を抜け、木々にぶつからないように駆け抜ける。
海へ――ともかくこの場を抜け出して、海を探すのだ。
「ねえ、アンタ馬鹿なの?」
「!」
その足を、後ろから刺し貫かれる。ふくらはぎに風穴が開き、ぼくは大きく転倒した。
煙からコンズが出てくる。ナイフを指の上で回しながら、呆れたように肩をすくめた。
「今さら逃げられるわけないじゃない。ああそれとも、口割る前に死のうとでもしてた?」
「誰、が……」
「そ。別にどうでもいいけどね。ユニムのやつがうるさいからさ」
「酷いですね」
遅れてユニムも姿を現す。
「ホントのことでしょ」
これで今度こそ本当に打つ手がなくなった。もうできることなんてない。
……でも、死にたくなかった。
「まだ逃げる気ぃ? 往生際悪いわね」
「杭で打ち付けちゃうのはどうかなあ? 作るかい?」
「そんなの要らないわよ。踏みつけとけば十分」
宣言通り、背中にかかとを叩き込まれる。血を吐いて、ぼくは地に伏した。
意識が朦朧とする。息ができない。もう疲れた、動きたくない。でも。
まぶたの裏で、誰かの象徴みたいなポニーテールが揺れるから。耳の奥で、少女のすすり泣きが聞こえるから。
どうしても、動くのをやめられなかった。
まだ死ねない。だってぼくは、世界を救えていない。お姉ちゃんを殺して、それだけで死んでいくなんて絶対に許せない。
ぼくはまだ、お前を許さない。
「アンタねえ、いい加減に!」
「もう良い」
ぴたりと、周囲の全てが音を止めた。
幻想的なまでの静寂が、この歪んだおぞましい森に広がり始める。
その中に、重たく、そして悠然とした足音が響いた。
「――魔王様」
ユニムの声に、顔を上げる。
そこには深い闇があった。ひらめく炎のような激しさがあった。
ブラムス・デンテラージュ――暗闇。黒い霧の塊。この森に夜を引き連れた張本人がそこにいた。