2. ぼくはこれから殺される
2018/01/16 改稿しました
何故か、追いつめられていた。
三本もの槍の刃先がぼくの首を取り囲む。
「まったく、手間かけさせやがって」
背後には足場がない。十メートルを余裕で超える谷ができていた。わずかにでも下がれば真っ逆さま。ちょろちょろと水が流れるだけの、剥き出しになった岩の地面に直撃だ。見事に逃げ場を塞がれている。
槍を構えるのは三人の男だった。厳つい顔に、軟派な顔、痩せこけて骨ばった顔。鉄の帽子と金属板で補強された長衣で身を守る、いかにも兵士ですと言わんばかりの者たちだ。見るからに話が通じなさそうで、ぼくの体から、みるみるうちに血の気が引いていく。
何故こんな状況になったのか。話はさほど複雑じゃない。
ぼくのお腹を掻きまわした金髪の少女――あの殺人鬼を何とか撒いて、森を抜け出した矢先のこと。眼前に広がる平野を、皮のマントに身をつつんだ彼ら三人が歩いていた。最初は手に提げたランプの光が見えただけだった。だから助けが来た! と近づいて行ったのだけれど。
よく見ると変な恰好をしていた上、手に槍を持っていた。本物かどうかはともかく、悪びれもせず凶器を晒す姿に怖くなって、結局引き返した。
それがまずかった。来た道を戻ろうとなんてしたから、ちょうど森を出てきた殺人鬼と鉢合わせてしまい――。
「あなたたち! その者を捕まえなさい!」
そして信じられないことに、少女は男たちを呼び寄せた。その後はもう簡単。ぼくはまた森に逃げ込み、でも撒くことができずに、気づけば森を割る谷の手前で追い込まれたのだった。
「動くなよ。下手なことをすれば首を落とす」
一人――厳つい顔つきをしたガタイのいい男が、張りつめた調子で凄む。
三人ともが緊張に瞳を震わせ、じっとこちらを睨んでくる。その様子には違和感があったけど、痛みへの恐怖でそれどころじゃなかった。
槍先がきらりと光る。痛いのはイヤだ。あんな苦しいのはもうたくさんだ。
「ま、待って! 待ってよ! ぼくは無実です! 襲ってきたのはそこの女の子だよ!」
必死になって指を差す。
男たちの背後、月に照らされた少女は手やマントを血まみれにしている。そのくせ特に動じることなく、真っ向から睨み返してきた。その顔に、先ほどまでの妖しげな笑みはない。
その反応に却って慌てる羽目になったぼくは、直後、腕を槍で突かれた。
「ぐっ、あああ!」
「動くなっつったろ。ボケ」
有無を言わさぬ一撃に、頭を駆けまわっていた焦りが消し飛ぶ。
槍は本物だった。刺し突かれた腕からは血が噴き出し、シャツの袖を瞬く間に赤く染める。よろめいて後ろへ落ちそうになるのを何とか堪え、踏みとどまる。
ダメだ、これは。こっちの話なんか聞いてくれない。
諦めが胸をすっかり満たし、ぼくはだらりと腕を垂らす。
それを見てもなお警戒を崩すことなく、男たちは槍を構え続ける。
「大体お前、あのお方がどなたか分かってんのか?」
「……し、知りません」
声を掠れさせるぼく。それを鼻で笑い、男たちがわずかに身を引く。
彼らの後ろに隠れていた少女が視界に現れ、一歩前に出た。
「いいわ。教えてあげましょう」
こぼれる砂のようなさらさらとした囁き。少女は碧い瞳を凛と見張り、まっすぐと力強い視線を突きつける。
しかして胸に強く手を当て、高らかに名乗りを上げた。
「わたしはプリーナ・ワマーニュ。このマリターニュを守る領主の娘よ」
すっかり気力を失っていたぼくだけれど、その芝居がかった名乗りを聞いてわずかに面食らった。名前や勢いにではなく、その地名に。
マリターニュ……ってどこ? 半ば青ざめながら考える。
聞いたことがない。ぼくの住む町にも、その周りにも、そんな外国めいた名前の土地はないはずだった。
額を汗が流れる。視線がわずかに泳ぐ。ごくりと喉が動いた。
ぼくは、どこへ来てしまったんだ?
*
連れてこられたマリターニュの町は、異様な様相を呈していた。
まず簡単なことから言えば、灯りが違う。町の入り口からまっすぐ伸びる大きな道には篝火が並び、仄かに町を照らしている。電灯の類は一つもない。そういえば道中も街灯は見当たらなかった。まばらに建つ木造らしき家々からも明かりが漏れる気配はなし。
だが問題はそこじゃない。
平らに広がる町の、見渡す限りの家々は……その多くが半壊し、中身を晒していた。まるで大災害の後みたいに。そこから人の気配は感じられず、明らかに廃墟と化している。
町には水路が通っていて、そこには水車なんてものもあったけど、それも半分ほどを砕かれた状態のまま放置されていた。
ここ……日本?
立ち止まると、舌打ちと共に背中を蹴られた。
前のめりに倒れて、驚きで動けずにいると、左隣にいた一番若い、高校生くらいの歳の兵士に立たされた。
と、そこでその兵士が目を丸くする。
「え? ちょっ、バードさん。こいつ泣いてますよ」
バードと呼ばれたのはぼくの手に槍を刺した、一番偉そうな厳つい顔の兵だ。蹴ってきたのもこいつ。
言い訳はしない。だってしょうがないじゃないか。お腹を刺されて手を刺されて。そんなやつらに連行されて、怖くないやつなんているもんか。
バードはふんと鼻を鳴らした。
「同情でも誘うつもりか悪党が。お前たちのしてきた仕打ちに比べりゃ、こんなの赤子のいたずらにも劣る」
「そんな。ぼくは何も」
反射的に言い返した、その瞬間だった。
バードはいきなり髪を掴むと、一切の躊躇なくぼくを倒し、顔面を固い土に叩きつけた。即座にひっくり返し仰向けにさせると、首を絞め、鬼の形相で叫ぶ。
「何もだと! 母さんも父さんも、メイもコンラートも傭兵も皆! 皆お前たちが殺したんだろうが! 待っていろ、今すぐお前の内臓を引きずり出してやる!」
興奮し切った兵士の怒号に動けなくなる。またあの痛みが――びくりと身を固くすると、彼の肩に手が置かれた。プリーナ・ワマーニュだ。
「バード。気持ちは分かるわ。けれどもう少し待って。槍では殺せないもの」
「……すみません。見苦しいところを」
バードは息を切らしたまま立ち上がる。繊細な金の髪の少女は慈愛を込めた聖母のような笑みをたたえる。ぼくを襲った影とはまるで別人に見えた。どう考えても本性を隠しているだけだけれど。
そして遅れて気づく。今、槍では殺せない、と――? 先ほどから重なり続ける様々な疑問が渦巻く中、一つだけ確信する。
これからぼくは殺される。
手足が痺れるような、胃の奥がぎゅっと縮むような感覚がした。体の芯が震え、血が回らなくなる。そのくせ心臓の鼓動はどんどん速まって、脈打つ音が耳にまで届いてきた。
土に背をつけたまま、呆然と月を見上げる。涙があふれ、視界が歪む。
違うよ。違うんだ。ぼくは本当に死にたかったわけじゃない。
ぼくが死ねばよかったのに――確かにぼくはそう言ったけど。
自分が生きていちゃいけないような気がしたから、投げやりになっていただけなんだ。
「……イヤだ」
イヤだ。イヤだ! こんなの望んでない! 死にたくない!
ぼくはただ、生きることを許してほしかっただけで……!
誰か、ぼくを許してほしい。
そんな心の叫びを踏みにじるように、無理やり立たされ連行される。
廃墟と化した町の中央――篝火の並ぶ道の先。真っ赤な血のこびりついた処刑台へ向けて。