7. ハイマンの檻
2019/01/21 改稿しました
逃走における方針が決まった。
まず、圧倒的に足の速いガラード、コンズに対しては、腕を捨てたり地面を強く蹴ったりといった痕跡を残さないことで対処。後は偶然見つかることのないよう幸運を祈るのみ。
次にユニム。執拗に逃げ道を辿ってくるらしい彼には、海へ飛び込むことで対処。それまでに追いつかれることがないよう、できうる限りこの森で差をつける。
最後にハイマン。この森を覆い尽くす歪んだ木々――彼の体に触れないこと。ぶつかれば最後、ぼくらの居場所は多くの魔族に告げられ、たちまちガラードたちと相見えることになるだろう。さらにハイマン自身からも激しい攻撃を見舞われる。
まとめると、木々を次々とかわしつつ二本の脚で全力疾走だ。
言うのは簡単だけど、かなり精神のすり減る作業だった。サーネルの体にも馴染んできたのか、息は軽く乱れた程度で済んでいる。けど集中力のほうはそう保たない。うっかりすると木の根に躓いてしまいそうだ。
「――あらぁ。凶報ですよぉお坊ちゃまあ」
「なんでそんな吉報みたいに言うのっ?」
「ハイマン様がやっと騒ぎを聞きつけたみたいですう。これからは木々が道を阻んでくると思うのでぇ、お気を付けくださいねえ」
「阻む……って!」
ふいに前方の木が鞭のようにしなった。姿勢を低くして何とかかわす。それを起点として、周りにある木という木がデタラメに暴れ始めた。
「なっ、何これっ?」
「動き始めたみたいですう!」
右から上から斜めから、四方八方の枝や幹が襲いかかる。他の木を殴りつけようとお構いなしの乱れっぷりだ。一つ一つは直線的でも、こうも一気に押し寄せられると――。
「こっ、こんなのどうしたらっ」
反則すぎる。虱潰しにも程があった。
「下ですう! 地面に穴を空けてくださあい!」
「わっ、分かった!」
迷ってなんていられない。躊躇せず腕を生やし、力いっぱい地面を殴りつけた。
土が盛大に砕け、二人が入るには十分な凹みが作られる。
木の根を切ってしまわなかったか心配したけど、運よく避けられたようだ。
ぼくたちは凹みに飛び込んだ。上ではハイマンが暴れ続けている。
まさか本当にこの森全体が魔族だったなんて。桁外れすぎてついていけない。
「ど、どうしよう」
「すみませんお坊ちゃま、読み違えましたぁ……。本来ならこうなる前に抜け出すつもりだったのですけどぉ」
痕跡を残せず木々にも触れられない。こんな制約があっては思ったように逃げられないのも当然だ。こうするしかなかった以上、メニィを責めるわけにもいかない。そんな時でもない。
問題なのはもう策がないらしいこと。地下を掘り進むなんて方法も考えたけど、根っこに当たりかねないし、何よりそんなやり方じゃ魔力も体力も保たないだろう。
メニィの豊満な体を背中に感じるけど、さすがに恥じらっていられるほどの余裕はなかった。
「早く、早く動かないと」
「ええ。ユニムが来てしまいますう」
策があろうとなかろうと、ここから出ないわけにはいかなかった。ユニムに追いつかれれば結局ハイマンにも気づかれてしまう。そうなってからでは遅い。だったら今すぐ、木々を押しのける覚悟で飛び出す他ない。
「メニィ。つかまって」
彼女も同じ考えなのだろう。何も言わず、ぼくの体に腕を回す。
凹みの底に手を当てる。息を深く吸い、肩に力を入れた。
飛び出す。細く長く腕を伸ばして、一気に森の上まで跳びあがる。当然、しなり続ける木々を跳ね除ける形になった。
びくんっ、と驚いたように森の動きが止まった。一瞬の静寂ののち、宙を飛ぶぼくたちの耳に、低い地鳴りのような声が届いた。
「やあ、メニィ。偽者くん。そんなところにいたのかい」
森全体が話しかけてくる。ざわざわと葉を揺らし、仲間の全てに伝えるように。
次の瞬間、土を豪快にぶち上げて、一本の木が打ち上げられた。まっすぐぼくらを追ってくる。ただし届かない。重量の問題だろう、ぼくたちよりもずっと早く落ち始めてしまう。
けれど警報としてはすさまじい威力を発揮した。打ちあがった瞬間の轟音はもちろんのこと、墜落したときの土煙も火山の噴火を思わせる激しさだ。これでこちらの居場所、そして跳んだ方向がばれてしまった。
「……くっ」
唇を噛む。覚悟の上だけど、これは厳しい。
「ううん、すごいなあ。触れた感じは完璧にサーネルだったよ。これはコンズちゃんも顔負けだなあ」
「ちょっとハイマン。後で覚えてなさいよ」
森の言葉に、答えるような声があった。
「いやあ、失言失言。今のはなかったことに」
「絶対イヤ」
こちらは飛んだまま。軌道は変えられない。
そんなぼくたちに容赦なく、影が向かってきていた。
「あらあ。結構近くを走ってたんですねえ。こんなにすぐ駆けつけられちゃうなんてぇ」
……最悪だ。
今のやり取りとこの状況で、察さないわけにはいかない。
こちらへ飛んで来る少女。さらさらと輝く銀髪の彼女こそ、警戒すべき脅威の一人、コンズに違いなかった。ほとんど人間みたいな風貌の中で唯一、黒目がち過ぎる双眸だけが人らしさを欠いている。猫やネズミのような獣みたいに、ほとんど白目が見えない。
「アンタが侵入者? ふうん、ホントそっくり。やるじゃない」
純白のケープの下に覗く、細くしなやかな肢体がなめらかに動く。直前までなかったはずの計六本のナイフが、両手の指にはさまれる形で現れた。
投げて狙い撃ちにする気だ。何とか軌道を――考えて、ぼくは下へ向けて腕を伸ばす。木を掴めれば強引に方向を変えられるはず。
「逃がさないっての!」
けれど、それより早くナイフが飛んだ。
「お坊ちゃま!」
メニィがぼくを突き飛ばす。二人の体は離れ、共々わずかに軌道が逸れた。
そしてそれを見越したように、ナイフは双方を貫いた。
「アンタは相変わらずだね。はっきり言って虫唾が走る」
体に空洞ができていた。肩、お腹、太もも、合計三つ。多分メニィも同じだ。ナイフが通った痕とは思えない、丸く大きな穴。それらを中心に、全身を燃え上がるような痛みが突き抜けた。体中を凌辱し尽くさんとする炎に、声も出せず、喉が掠れた。
意識が、薄れていく。
「メ、ニィ――」
薄れる視界の中、わずか先の影に手を伸ばす。腕は伸びない。それどころか、支えの肩を失って、ぐったりと折れた。