6. ぼくを殺せる四体の魔族
2019/01/21 改稿しました
ハチの巣を思わせる無数の穴が、眼前で白銀の輝きを帯びる。
倒れたぼくの顔に突きつけられた鉄の筒が、今、残酷までに強烈な光を解き放った。
無数の轟音が上がる。地面が絶え間なく粉砕され激しく煙が舞った。
音は一つや二つではない。数えるのも不可能なほどたくさんの光弾が地面を砕き、抉り、深く深く掘り進む。無数に放たれた弾の一発一発が大地を揺さぶり、容赦なく破壊してみせた。
鉄でできた巨大な筒は太陽すら凌駕する眩さを伴い、さらに多くの光弾を連射し続けた。煙は勢いを増し、やがて筒を担ぐ包帯の怪物までをも包み込む。
ぼくはそれを上から眺めていた。白髪とシャツを風になびかせ、自由落下で地面に降り立つ。
間一髪だった。光弾が放たれる直前に飛び退いていたのだ。肩から二本の腕を生やし、伸びる力を使って跳びあがることで、倒れ伏した状態で何とか難を逃れたのだった。
サーネルの魔術。体から腕を生やすこの力は、腕の群れをつくり洪水のように放つばかりでなく、こうして数を調整することもできるらしい。この程度なら魔力も枯渇せずに済む。
「魔術まで真似るか! こいつァたまげた!」
鉄筒を担いだ包帯の怪物は、立ち昇った煙からゆらりと出てきて豪快に笑った。
「お前さん何モンだァ? ちと興味が湧いてきたぞォ!」
万華鏡模様の黄色い瞳がぎらぎらと光る。その背後で煙が晴れ、破砕された箇所が露わになった。さっきまでぼくが倒れていたその場所には、底の見えないほど深く暗い大穴が出来上がっていた。
背筋を戦慄が走り抜ける。あんなのをまともに喰らっていたら、今頃――。
「お坊ちゃま!」
遅れて、城にできた穴からメニィが飛び出してくる。ぼくらの間に入ろうとするのを、ボロ袴の袖を伸ばして怪物が制す。
「ガラード様! 何のおつもりです!」
「ぐははははっ! よもやお前さんが騙されるとはなあ! よほど優れた魔術らしい」
「何を」
どくんどくんと心臓が鳴る。治り始めた背筋が焦りと恐怖で震えるのを感じた。
そんな。なんで。まずい。どうして。
この体はサーネルのはずだ。だって身近にあったメニィが信じるんだから。じゃあぼくの振る舞いが原因? でも、いつだ? いつからぼくは見られていた?
ガラードと呼ばれた怪物は顎を上げ、黄色い目をにたりと細めた。
どんと重たい音を立て、鉄の筒を置く。
「その小僧は偽モンだ。何せ、小僧が生きておるはずがないからなあ」
周囲からざわめきが上がった。気づくと多種多様な魔族たちがぼくらを取り囲み見物している。城の周囲には元々見張りがいた上、立場の低い者たちの住む小屋もある。
数十にも及ぶ環視の中で、ぼくは今、「偽者」であると断じられた。
なんでばれた? わからない。わからないけど、まずい。
殺さなきゃ。殺さなきゃ! 目を血走らせ、顔を右へ左へ振り乱す。全ての口をふさぐんだ。全ての命を潰すのだ。じゃなきゃ、ぼくのほうが殺される!
肩に力を入れる。意識を集中する。今のぼくに使える唯一の魔術を、全力で解き放つ!
歯を食いしばり、包帯の怪物を睨んで――。
「どうしたァ、小僧! 暴れんのかあ!」
でも、できなかった。
掌にあの感覚が、命を砕いた感触が蘇り、縛りつけられたみたいに動けなくなってしまった。
いくらでも殺してやると、決めたはずなのに。
「お坊ちゃまはぁ、暴れませんよお」
張りつめた空気の中で、艶やかでゆったりとした呟きが落ちた。
一歩、二歩。メニィは穏やかな笑みをたたえ、ゆっくりとぼくの傍らへ歩み寄る。その意外なほど落ち着いた様に、今度はガラードも止められなかった。
「ガラード様がどのような根拠で断言しているかは分かりませんけどぉ、こちらにいるのは、間違いなくお坊ちゃまですぅ。それを殺められるというのでしたら――」
雷が落ちる。青白い光に周囲から悲鳴が上がった。
「ワタクシ、容赦しませんからあ」
ガラードは筒を担いだ。押し黙り、黄色い瞳でメニィを睨む。
周囲を囲む魔族たちは少しずつ増えていた。騒ぎを聞きつけ、ガラードの発言を又聞きして、ぼくたちへ驚きの視線を飛ばす。
ガラードは周囲のざわめきを意に介さず、じっと黙り込んでいた。
その沈黙が、崩れる。
「――はっ、ははははは」
低い笑い。直後、弾けたように大笑が響く。裂けるほど大きく口を開いたガラードは、どんと強く片足を踏み込み、メニィに向けて白く閃く眼光を叩きつけた。
「よっしゃあ! じゃあお前さんも死にな!」
ガラードが跳ぶ。いつの間に構えたのか、筒の先を前方へ向けて。
メニィは動かない。雷を落とすためか、手を掲げ立っている。
その時ぼくは迷わなかった。
「メニィ!」
「えっ――?」
腕が伸びた。正確には伸ばした。
ぼくの両肩から一直線に腕が伸び、メニィもろとも、ぼくの体を吹っ飛ばす。ガラードへ――ガラードの斜め上へ向けて。
「なぬゥっ!」
無我夢中だったこともあるだろう。その動きはガラードの意表を突き、ぼくらは背中合わせの恰好でその場の離脱に成功した。
前とは違い、範囲を広げず細く長く腕を生やしている。より早く、より遠くへ跳ぶことができていた。
途中で地面近くの腕が叩き潰され切れてしまったけど、その時既に森の奥へと飛び込んだ後だった。
棘棘とした木の葉に引っかかれ、触手みたいな枝に舐められ、固い土を転がって、最後はねじ曲がった幹に背中から受け止められる。ぼくらは魔族。こういう怪我ならへっちゃらだ。
森に突っ込んだ際離れたメニィはすぐ近くに倒れていた。呆けた様子で立ち上がり、ぱちくりと瞬きする。
「行くよ!」
その手を取って走り出す。ここにいては危険だ。腕を伸ばして逃げるのは一長一短。速度は出るけど痕跡が残ってしまう。
なんで魔族を助けているんだろう。そう思わないでもなかったけど、今さら気にしていられない。とにかく今は逃げのびないと。
あの怪物、多分相当強い。だってメニィが「様」といった。魔王城において立場の上下が単純な強さで決まるなら、ガラードはメニィより強いということになる。正面切って戦うべき相手じゃない。
……でもこれで、魔王城にはいられなくなった。立場を利用できなくなった。魔王を殺す絶対要のアドバンテージを失ってしまった。
ダメだ、考えるな。今は逃げなきゃ。首を振り、きっと目を上げる。
「メニィ! どっちへ、っていうかどう逃げたらいい!」
手を握って走ったまま、ぼくは叫ぶ。
「……」
「メニィ!」
「へっ? え、ええ。そうですねえ」
まだ呆気に取られていたらしく、後ろから裏返った声が返った。
「大丈夫?」
「ええ。……やっぱりお坊ちゃまはお優しいです。記憶はなくても、ワタクシの知るあなたそのものですよ。偽者だなんて、誰であろうと言わせません」
「――そうだね」
「とりあえずぅ、このまま走って逃げましょう。お坊ちゃまの魔術ではガラード様に気づかれますからぁ」
「わかった! 他には何かある?」
「そうですねえ。どんな追っ手が来るかによって対策が変わりますけどぉ」
メニィは考え込む。
「脅威となるのは四名ですぅ――今からワタクシたちに追いつき、お坊ちゃまを殺める。そんなことができる方は、それくらいしか思いつきません」
――四体。想像よりはずっと少ない。けど楽観視できる状況でも決してなかった。追いつかれた時、仮に再び逃げ出せたとしても、そこで時間を稼がれ他の敵に追いつかれたら目も当てられない。そうなれば最悪、四体どころか大群で押し寄せられる危険だってあるのだ。
追いつかれたら最期。それくらいに覚悟しておいた方がいい。
波打つ土を駆け、歪んだ木々をかわしながら、時折後ろを確認する。追っ手の気配はとりあえずない。
「一番危険なのはガラード様――お坊ちゃまを襲った方ですねえ。ただ、足は速いですが追跡が得意なわけではないのでぇ、見当違いな方へ走り去ってくれる可能性はありますう。これに関しては運に頼るしかありませんねえ」
運、か……急に自信がなくなってきた。
「他は?」
「ユニムという、白い羽の生えた人間のような方がいますぅ。二対一であれば何とか勝てると思いますけどぉ、厄介なのは彼の目です。土の上を走る限り足跡を見逃されることはないでしょうしぃ、扉を使って遠くへ飛んでも、魔術の痕から辿られてしまうでしょうねえ」
「え? それじゃあ、どこまで逃げても」
「海に飛び込んだりすれば、逃げ切ることはできますよぉ。ユニムは飛べば速いですが、森の足跡を追うには羽を広げるわけにもいかないでしょうからぁ、ここを抜けた後警戒すべき相手、ということになりますねえ」
なるほど……今のうちに、できうる限り差を付けなくてはならないわけだ。
「もう二人は?」
「一人はガラード様の次に足の速い、コンズという方ですぅ。こちらも運頼みですねえ。お城にいなかったことを祈りましょう」
メニィの言葉に頷きながら走っていると、ふいに手を引かれ右へ向かわされる。
「海に近いのはこちらですぅ。ここからはワタクシが先を行きますねえ」
ぼくが下がると途端に速度が上がる。この奇妙奇天烈な歪んだ森を、何もない草原でも走るようにするすると進んでいく。このおぞましい森と一つにでもなってしまったみたいに。
これなら逃げられるんじゃ……そんな期待が胸をよぎった。
と、そこでメニィが声を上げる。
「あっ、大事なことを言い忘れていましたあ!」
素っ頓狂な調子で彼女は続ける。
「くれぐれも木々にはぶつからないでくださいね! 根っこにもですぅ!」
「なんでっ?」
「ぶつかったら、居場所がばれちゃいますからぁ」
「!」
眼前に幹が現れる。首を横に倒し何とかかわした。
「どういうことっ? 魔術か何かなのっ?」
「いえ、そういうわけではないんですけどぉ。実はですねえ」
メニィはいつものように語尾を伸ばす。そんなつもりはないのだろうけど、焦らすみたいな間があった。
伝わってきたのは苦笑の気配。困り果てたように力の無い吐息。
それからメニィが言った言葉は、とてもじゃないけど信じられないものだった。
「この森の木々、ぜぇんぶ一人の魔族なんですう」
何も言えない。反応できない。できるのは、言われた通りに木々をかわすことだけ。
理解なんてできるはずもなかった。常識外れも良いところじゃないか。
森だって? 木じゃなくて? そんなのって、いくら何でも――。
けど、それで終わりじゃなかった。
戸惑うぼくにメニィは告げる。さらに絶望を深めてくれる言葉を。
やっぱりその言葉にも、ぼくはまともに反応できなかった。
「お坊ちゃまを殺められる四名のうち最後の一人。それがこの森、ハイマン様です」