5. 成りすますのも楽じゃない
2019/01/20 改稿しました
一晩しっかりと休息を取ったぼくは、メニィと城の中を歩いていた。蛇のようにうねった廊下はほとんど真っ暗だけれど、灯りのある部屋もちゃんとある。そこはとても助かった。サーネルの目を借りているからよく分かるけど、魔族だからと言って夜目が利くわけではないのだ。
城にはたくさんの部屋があった。魔族たちの個室あるいは大部屋、食糧庫、武具庫、戦馬の部屋、訓練場等々……。訓練場は特別広く頑丈に造られていて、武勇を重んじるブラムスの性格がよく表れていた。
「せっかくですしぃ、ここで魔術の練習しておきますう?」
「そうさな。自らの手の内くらいは把握しておきたい」
勇ましい口調を忘れずにぼくは頷く。ちゃんと出来ている手ごたえはあまりないけど。
というわけで、コロシアムのごとき訓練場での鍛錬が始まった。円形の大きな部屋は天井が吹き抜けになっており、空からの光を受けられる。黒い霧に阻まれてはいても、わずかに輪郭を見せる太陽は視界をよくしてくれた。壁際に並んだ篝火のおかげもあって、暗い廊下とは大違いだ。
今の今まで槍や剣を振るっていた人型の魔族たちがすごすごと退いていく。こんなに広いのに……それでも避難したくなるくらいサーネルは強かったんだ。
なら、その力を最大限まで発揮しなければ。あるいは本当に魔王を倒す算段も付けられるかもしれない。今は全く自信がないけど、それは元の体の感覚が抜けていないせいだ。ひとまずそう決めつけることにした。
「では早速、ワタクシが目にしている魔術についてお教え……」
「オラオラオラァッ!」
「えっ?」
突然の掛け声とともに爆発が起きた。
もくもくと煙をあげるのは訓練場のほぼど真ん中、数瞬前までぼくたちがいた場所。何とか飛び退いたけど、状況を把握できない。
攻撃された……? なんでいきなり?
煙が晴れる。
さすが特別製の訓練場だけあって傷ひとつ付いていないけれど、心配すべきはどちらかと言うとぼくたちのほうだ。
そこにいたのは子ども。昨日のララやリリと同じくらい小さな、人間なら五、六才くらいの。あの二人と違うのは、全身を灰色の毛で覆われた獣のような風貌であること。すなわち、獣人だ。長い鼻先と円らな瞳からすると犬らしい。
少年は獣耳をぴくぴくと動かし、吠える。
鳥肌を立て身構えるぼくを、獣人の子はじろりと睨んだ。
と、そこで――臨戦態勢と思われた子どもの目が丸くなる。
「お、悪い悪い。いたのか」
「……は?」
「気づかなかった」
唖然。
気づかなかった、って。本当に全く何の理由もなく攻撃を仕掛けられたらしい。
面食らいながら、半分ほっとする。敵意剥き出しとかで、いきなり戦闘になるのは困る。その気がないなら穏便に行こう。
「いや。気にすることは……」
「お坊ちゃまあ!」
メニィがほとんど胸ぐらを掴む勢いで迫り耳打ちする。
「ここは怒るところですぅ! 不自然になりますよぉ!」
「え……」
「少し罵倒するくらいの気持ちでお願いしますねえ」
そんな。
せっかく何事もなく済みそうだったのに?
っていうか、怒るなんてぼくにはとても。
戸惑いながら、でもぼくは気づいていた。先ほどすごすごと退散していった魔族たちが、訓練場の出入り口から戦々恐々とした視線を送ってきている。怒るぞ、怒るぞ。あのバカ、サーネル様の逆鱗に触れたぞ……! みたいな。
喧嘩するなと叱られたことはあったけど、逆は全く初めてだ。
やや緊張気味に獣人の子を睨み、あからさまに不機嫌な声を出す。
「目が付いていないのか、貴様」
「――あ?」
めちゃくちゃドスの利いた声が返ってきた。ぶわっと冷や汗が噴き出す。
なんか、思ったより怖いんだけど。
「や、その……」
「お坊ちゃまぁ……!」
「聞こえなかったか? 目が付いていないのか、と言ったのだ」
ああ、なんでぼくはこんなこと言ってるんだろう。
犬の獣人がぷるぷると震えている。グルルル、とか聞こえてくる。まずい、まずいよこれ。
視線で助けを求めたのに、メニィはむしろ目を輝かせて頷くばかりだった。楽しんでない?
「サーネルテメエ、もういっぺん言ってみろ」
「なんだ貴様、耳まで付いておらんかったか。すると頭の上のそれは飾りか、ははは」
「……おい」
「ははは、なんとも趣味の悪い。見るに堪えん飾りよな、ははは」
「それ以上の侮辱はテメエでも許さねえ」
「はっ、許さなければどうなると? 犬公の分際で」
「――ぶっ殺す!」
「えっ! 待っ!」
「お坊ちゃま!」
「身の程を知れェ! 獣風情が!」
頭のどこから出てくるんだろう、こんな台詞。
そんなこんなで、拳と拳を突き合わせる羽目になった。
*
ぜぇぜぇと息を切らしながら、双方傷だらけになって仰向けに倒れた。
「手加減、しやがって……クソッタレ」
「ふ、ふん。たかだか犬公を蹴散らすのに全力を振るう馬鹿がおるか」
「テンメエ……はあ、もういいや。帰る」
そう言うと犬の子はふらふらと訓練場を去っていく。もちろんぼくは本気だったのでもう一歩も動けない。
上からメニィの緑色の瞳が覗きこんできた。しっとりとした髪が垂れ、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「お坊ちゃま。お見事でしたあ」
「……お坊ちゃまはやめろ」
ため息混じりに返すと、にこにこと頷かれた。
成りすますのも楽じゃない。大変だろうとは予想していたけど、これほどとは。
「ところであれ、なんて子?」
「クヌールですよぉ」
クヌール、獣人、犬の子……要注意人物だ、しっかり覚えておこう。
「ちなみに聞くけど、ぼくって結構襲われるの?」
「まさか~、クヌールくらいですよぉ、お坊ちゃまと戦いたがる方なんて。お坊ちゃまは本当にお強いんですからあ」
「そ、そっか」
自分のことじゃないのにちょっと照れた。
疲れた身体を無理やり起こし、立ち上がる。ふらつくほどじゃないにせよ、このまま鍛錬というのは辛い。それを見て取ってか、メニィが尋ねてくれる。
「どうしますう? 一旦お城の案内に戻りますかあ?」
休憩がてら、ということだろう。ぼくは頷いた。勇ましさを意識し直し、できうる限り男らしく笑ってみせる。
「ああ。そうしてくれると助かる」
「お坊ちゃまぁ、笑い方が気持ち悪いですう」
今のはとても胸に効いた。
*
気を取り直し、訓練場の外へ。
訓練場は城の中心に位置していて、ぐるりと廊下に囲まれている。外側にたくさんの部屋が付いている形だ。この球状の部分はいわゆる怪物の胴体。そこから肩が尖ったり腕が伸びたり頭が生えたりして、ぐにゃぐにゃにうねった城をさらに歪にしていた。しかも頭が胴より巨大で、下から見上げると今にも倒れてきそうな迫力を作り上げている。
廊下を歩きながらふと思い出し、尋ねる。
「メニィ。父上の部屋はどこに?」
「地下ですねえ。お城の下に大きな空洞ができていて、城内で休まれる時はいつもそちらに座られていますぅ」
王ならば城の中心や高い所にいそうなものだけど、そこは魔王。より暗く寒い地下のほうがそれらしくもある。
「大きな出来事――例えば戦に出られるようなことがあると、皆さんそちらに集まって魔王様のお話を聞くんですよぉ。ですのでお部屋というよりは集会場といったほうが近いですねえ」
「だが、そこで眠るのであろう?」
「ええ。空洞内のいちばぁん高いところで、お座りになったまま休まれますう」
そんな場所、普通は落ち着かなくてろくに気が休まらないだろうけど。王様だって寝る時は静かな寝室で休みたいはず。それとも心を休めること自体、あの魔王には必要ないというのだろうか。
そこでメニィが立ち止まる。見ると扉のない入り口があって、大きな窓の付けられた部屋に長テーブルが並んでいた。
「食堂か?」
「こちらで食べていかれますう?」
「そうだな。どのようなものがあるかも見てみたい」
考えてみればこっちの世界に来てから何も食べていない。全くお腹が空かないことには今さら驚かないけど、決して食欲がなくなったわけじゃなかった。
石壁の簡素な食堂には五つのテーブルがあった。今は誰も座っていない。ただし奥に見える部屋では火を使って誰かが調理をしている様子だ。香ばしい肉の匂いが食欲をそそった。
「……人間の肉か?」
「いえぇ、人の肉は美味しくはないのでぇ」
素晴らしい。ならば遠慮なく舌鼓を打つとしよう。
ぼくは意気揚々と踏み出し、奥の部屋へ向かおうとする。
けど、二歩目に移ろうとしたとき、何故かぼくの体は後ろへ吹き飛んでいた。
「ガッ……!」
息が詰まる。その苦しさで、首根っこを掴まれて投げ飛ばされたのだと気づく。
大きくのけ反った身体は廊下の壁、さらには奥の部屋の壁までを突き破り外に出、散々地面を転がってようやく止まった。
遅れて強くなる痛みに、血を吐きながら悶絶する。
「な、にが……」
背骨が折れている。皮膚が破れ血が溢れていた。
さっきのクヌールとは違う、明確な害意。今度こそ間違いなく、ぼくを狙っての攻撃だ。
「はっはっはっ! 大魔王の息子に成りすますたァ、面白ェこと考えやがる!」
震えながら顔を上げる。ぼくは怪物のごとき城から十数メートルも離れた場所、石畳の広場にいた。遠く背後には、小屋が密集した魔族たちの寝床がある。動けないまま自分が飛んできた方を見ると、城に空いた穴の中から、ガリガリに痩せ細った人影が飛び出す。
その全身は包帯で巻かれ、肩には頭の部分だけが異常に膨れ上がった鉄の筒を担いでいた。その先にはいくつもの穴が開いていて、中から弾でもはじき出されそうな――銃口にも似た威圧感を放っていた。それこそ、近代のバルカン砲のように。
ボロボロの袴を着たその影は、裂けるほどに唇を広げ、包帯の間から大きすぎる黄色い瞳を覗かせる。
「だが運がねェ! 笑っちまうほど不憫なやつだ! 最低最悪の偶然でこのワシに会っちまったんだからなァ! がっはははは!」
年季と迫力を感じさせるその声の持ち主は、細すぎる体にそぐわない豪快な足取りで踏みだす。黄色い目がぼくを見下ろした。万華鏡のような独特な模様をしたその瞳が、殺意にぎらりと閃いた。
「お前さんが誰かは聞きやしねえ。サーネルの小僧なんぞに成りすました時点で、侵入者だっちゅうことは決まっとるからなあ! さあ、この場で潔く爆ぜろ!」
筒の巨大な口が下を向く。地面に倒れたぼくの顔に、無数に空いた小さな穴が突きつけられる。冷たい鉄色の塊が、白銀の輝きを帯びた。
しかして今――熱を帯びた残酷なまでに強烈な光が、一瞬の迷いもなく、解き放たれる。