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世界を救えば別だよね?  作者: 白沼俊
一. 消えぬ幻の章
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3. それは激しい炎のような

2019/01/18 改稿しました

 あらゆる光が吸い込まれていく。渦を巻くように呑み込まれていく。


 暗闇とは静かで冷たいものだ。何もなくて、孤独で、ぽっかりと空いた穴のような。ぼくの知る闇とはそういうものだった。


 けれど、今目の前には炎にも似た激しさがある。馬に乗った巨人を包む黒い霧は、輝きすら思わせるすさまじいまでの熱を放っていた。


 あれが、魔王――ブラムス・デンテラージュ。殺さなきゃいけない敵。


 拳を握る。殺意を漲らせる。


 けど、覚悟に満ちたぼくの表情は、みるみるうちに引き攣っていく。


 闇が一歩近づく度、炎が一歩迫る度、血の気が引いていくのを感じていた。


 戦いを始めたわけでも、その強さを目の当たりにしたわけでもないのに、本能が理解してしまう。全身の皮膚がピリピリと悲鳴を上げる。


 殺意が、戦意が音を立てて砕ける。牙を剥いた蟻が人に気づかれることもなく潰されるように、呆気なく。


 まだ大きくなる。まだ激しくなる。


 こんな――こんなの、聞いていない。


 やがて暗闇がすぐ傍にたどり着いた時には、体が完全に凍り付いていた。


「ほう、サーネルか」


 ひとつの呟きで、ぶるりと大地が揺れる。武将らしく勇ましいはずの声は、地獄から伸ばされた腕のような禍々しさをもって、ぼくの身を芯から震わせる。


 声が出ない。


 間近で見て確信した。こんなの、ぼくが殺せる相手じゃない。


 魔王の身は黒い霧に包まれたままだった。見えるのは巨大な影と、彼を乗せた黒馬のみ。


 気づけばメニィは膝をつきこうべを垂れている。いつも見せる余裕は闇に払われ、顔を強張らせ、畏れの色を露わにしていた。


 何か、何か言わないと――分かっているのに、唇が動いてくれない。


 魔王が見ている。黒霧の奥で、鋭い眼差しがぼくを射る。


 言葉を返せないでいると、やがてブラムスは激情を覗かせるように鼻を鳴らした。


「我が前に姿を晒すとは。みくびられたものだ」


「……!」


 息が止まる。


 下ろされた視線に満ちるのは、ひらめく炎のようなあざやかな怒り。まさか、とぼくの足が後ろへ引く。


 まさか、気づかれて――。


 けれど魔王は何もしなかった。黒馬を蹴り歩きださせると、もう振り返りもしない。呆気に取られたぼくは、その背をただ見送るしかなかった。


 その馬が一度だけ足を止める。


「貴様は強さを示した。ここにいることは認めてやる」


 そういって去る魔王にぼくが尻もちをつくほど安堵したのは、きっと無理もないことだ。




          *




 おかしい、おかしいよ。勘弁してよ。なんだよあれ。あんなの反則じゃないか――頭の中で動揺と恐怖と怒りが渦巻く。


 メニィに連れられ道を行きながら、ぼくはひぃひぃと頭を抱えていた。


 正直、心は半ば折れている。せっかく世界を救うと決めたのに、こんなにも早く力の差を見せつけられてしまうとは。仮にも魔王の息子になったのだから、奇襲さえ仕掛けられればどうにかなると高を括っていた。


 立ち向かうにしても今じゃない。せめてサーネルの持つ力を引き出せるようにならないと、どうやっても勝ち目はない。ただ前に立っただけにもかかわらず、嫌というほど思い知らされた。


 今のままじゃダメだ。今の力じゃどうしようもない。サーネルの力。悪魔たちを一瞬で葬った無数の腕のような――圧倒的なまでの力を使いこなせるようにならなくては。


 そのためには、そもそもこの体がどんな力を備えているかを知らなくちゃいけない。けれどもその点はメニィに聞けば何とかなるだろう。これだけ近い関係にあるのだ。彼の手札は知り尽くしているはず。


 それに正々堂々「よーいどん」で戦い始めるわけじゃない。魔王城に入り込めている時点で優位はこちらにある。何も化け物は相手だけというわけでもなし、希望は潰えていない。折れた心を無理やりくっ付けて、気を引き締めるべく両頬を叩いた。


 蔦のびっしり這った岩の門を三つもくぐると、ようやく城の入り口に着く。そこまでにはたくさんのボロ小屋がびっしりと並んでいて、様々な色や形をした魔族たちが喧嘩したり酒を飲んだり駆けまわったりしていた。さながら城下町、もといスラム街のようである。


 そして、唯一まっすぐ伸びていた一本道が終わり、視界はいよいよぐにゃぐにゃの渦に呑み込まれる。城の入り口は森と同じようにめちゃくちゃに歪んでいた。


「お坊ちゃまぁ? 入る前によろしいですかあ?」


 一体の怪物のような城の手前で、メニィが指を立てる。


「何?」


「記憶喪失であることは、なるべく隠した方がいいと思うんですよお。お坊ちゃまはどう思われますう?」


「そうだね……」


 顎に手を当て考えてみる。ぼくを襲った白と黒の悪魔は、本来のサーネルでは有り得ないであろう有り様を目にして下剋上に踏み切った。裏切るにしてもああいう事態はなるべく避けたい。それに。記憶喪失の振りをするにしても、今のままでは異変に気づかれかねなかった。


 一つ頷き、隣に笑いかける。


「じゃあさ、メニィ。普段のぼくのこと、もっと詳しく教えてよ」


 ここはひとまず、サーネルを演じることにした。




          *




 蛇のようにうねる暗い廊下を進む。魔王城の中にいた。


 壁も床も黒い石で造られ、灯りは手に提げたランプのみ。夜闇のため外からの明かりもないわけだから、足元以外はほとんど真っ暗闇に近い。何度か転びそうにもなった。せめて廊下がまっすぐであれば助かるのだけど。


「我はサーネル、我はサーネル……」


 ぶつぶつと繰り返しながらこんな場所を歩くと、本気で正気を失いそうになる。


「基本的にはですねぇ、魔王様とおなぁじような話し方をされていればいいかとぉ」


 今はメニィに案内されサーネルの部屋に向かっていた。しばらくはぼくの部屋になるのか。


「そうか。こんな感じでよいのだな?」


「こんな感じ、なぁんて言いませんよぉお坊ちゃまは」


「う、うむ」


 どうにも慣れない。古典的な演劇にでも出ているみたいだ。


 ちなみに入り口からここまで色んな魔族――青銅の像とか筋肉ダルマとか全身にキノコを生やしたのとか――とすれ違ったけど、挨拶されても無言で通った。気が乗れば言葉を返し、でなければ無視、というのがサーネルの性格らしい。助かると言えば助かるけど、挨拶を返さないのもそれはそれで緊張した。


「でもこうなるとぉ、普段のお坊ちゃまは魔王様に寄せて威厳を示していらしたのかもですねえ。なんだか微笑ましいですう」


「ふ、ふむ」


「ダメですよお。ここは照れ隠しに怒るところですう。ちなみにぃ、『お坊ちゃま』って呼ばれたら、『その呼び方はやめろと言っておろうが』みたいな反応してくださいねえ? むぅっとするんですけどぉ、でもまんざらでもないような感じでぇ、でもでも威厳はちゃあんと保った感じですう」


「ああ……承知した」


 要求が複雑すぎる。もはや不安しかなかった。これってもしかして記憶喪失の振りの百倍くらい不自然になっちゃうんじゃないだろうか。ところでサーネルは俗に言うツンデレなのかな。


 というか……こういう喋り方、どこかで聞いたことがあるような。


 メニィが立ち止まる。扉があった。部屋に着いたようだ。


 けど、例によって扉までも波打つようにねじ曲がっている。


「開くのか? これは」


「はい~! それ!」


 なんとメニィ、蹴破った。


「あ、心配なさらないでくださいねえ? このお城ぉ、壊しても勝手に直るのでぇ。前よりちょこぉっと歪な形になっちゃうんですけどねえ。まあ、放っておいてもねじ曲がっちゃいますし、気にしなくてもいいと思いますう」


 勝手に直る……本当に怪物みたいな城だ。いつか暴れ出したりして。


 ともかく部屋の中へ――足を踏み出した時。


「うわあ、サーネルお兄ちゃんだあ!」


「サーネルサーネルぅ!」


 中から二人の女の子が飛び出してきた。


「ララね! ララね! 全然帰ってこないからお部屋で待ってたの!」


「リリもリリも! 遊んで遊んで~!」


 両足に抱きつき二人してぴょんぴょん喜ぶ。


 どちらも小さい、人間の子どもみたいな容姿をしていた。ララと名乗ったのは白髪に褐色肌の痩せた子。リリは、桃色の髪に白い肌の少しふっくらした子だ。


 本当に魔族かと疑うほど可愛らしい。だからこそどう対処すべきか分からなかった。


 助けを求めメニィにちらと目を向けると、にっこり笑顔で頷かれた。頭を撫でろと手振りで伝えてくる。


 とりあえず言う通りにすると、子どもたちはますます嬉しそうに跳ねた。


 こんな子たちもいるなんて思いもしなかった。プリーナだってぼくを見て珍しいと言ったのだ。てっきり魔族にはメニィやボンのような人を玩具にするやつばかりだと……。


 大いに当惑していたところで、子どもたちにお腹を叩かれた。


「ねえねえ! 今日はアレないの?」


 褐色肌のララが聞く。


「え? アレ?」


 素の声で返してしまい、はっとする。咳払い。


「アレとは、何のことだ」


「あのね、アレはね」


 ふっくら気味のリリが懸命に堪える。奇妙な態度は特に気にしていないようだった。そんな無邪気さも愛らしい。


 けどぼくは忘れていた。完全に油断していた。つい昨夜も、全く同じ流れで気を許し裏切られたというのに。


 子どもたちは顔を見合わせると、競い合うように手を挙げて言った。


「人間のね! 子どもだよ!」


「切ったりくっつけたりして遊ぶの!」


「この前のね、もうなくて、だから、新しいのちょうだい!」


 ……ぼくはむしろ安心していた。


 こういうやつらなら――人を玩具にして何とも思わないようなやつらなら、安心して裏切れる。


 命だって奪ってやれる、と。



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