41. 心臓をつかむ
人と魔族が激突する戦場――ハイマンの森にて。
鋼の肉体をもつ馬を駆り、コードガンが森を突き進んでいた。同時に降り注ぐ雷や溶岩の群れも女王には届かない。彼女と馬の周囲では氷塊のごとき透明な結界が無数の手を生やし、独りでに外敵を薙ぎ払っている。
魔術で強化された馬の足は速く、森を抜け出すまでに時間はかからなかった。コードガンだけではない。彼女の後方には百を超える鉄の騎兵がつづいていた。
「突撃ィ!」
森を飛び出した女王たちは降り注ぐ魔術の攻撃をものともせず、敵軍――無数の魔族の群れに飛び込む。ハイマンやオムンと共に本隊を襲っている敵軍だが、何故かその一部が遠くに待機していた。
理由はもうわかっている。女王の影に潜んでいた者たちが調べてくれた。
「あーあ。いいのかなぁ?」
結界が何かと衝突し弾かれる。
それは苔むした石像だった。オムン――いま現在この地に天変地異を巻き起こしている魔族だ。
その背後にもう一体、真っ白な羽を生やした魔族がいる。ポーランだ。彼はにたにたと嗤い、鋭く尖った岩を連続で放った。
「ボクらの相手も良いけどさぁ。お前らの仲間、死んじゃうよぉ?」
岩は全て結界に弾かれ、砕け散る。無表情にそれを見やり、コードガンは答えた。
「ご心配なく。むしろあなた方を抑えなければ、それこそ全滅に陥りかねません」
オムンの注意をこちらに向けなければ本隊への攻撃が続く。それらから本隊を守り続ける方が無謀というものだ。
パチパチとポーランが拍手した。
「へー、すごいすごい。頭いいじゃん。でも甘いよ」
直後、何も触れていないはずの結界に衝撃が走った。
先ほど岩がぶつかったところが揺さぶられている。気を取られた瞬間、ポーランがもう一撃岩を放った。
再び結界が割られる。
「……!」
「また油断したねぇ? クキキ、ほんと馬鹿だなぁ」
油断、というよりは慢心していた。大規模に展開した結界と違い、今張っていた結界には気になるほどの『揺らぎ』がない。よほどの攻撃を受けない限り壊れることなどないと考えていた。やはり一筋縄ではいかないようだ。
すかさずオムンが雷を落とす。しかしそれは新たに張られた結界に弾かれた。小部隊を守る程度の規模ならすぐにでも張り直せる。
ポーランが大きく舌を鳴らした。
「チッ、今のは死ねよ。面倒くさいな。ポーラン、まずはソイツからだ」
「――」
金属同士を打ち鳴らしたような高音が響く。おそらくはオムンの声だ。
無数の雷が束になりコードガンに落ちる。結界は壊れなかったが、荷重で動けなくなる。そこを狙うようにポーランが先ほどと同じ尖った岩を放った。
「ぐ……ギ!」
しかし、苦痛の声を上げたのはポーランのほうだった。彼の背後に人の影が浮かび上がる。共に敵軍へ乗り込んできたコードガンの部下だった。
影はポーランの背から胸を燃え盛る剣で貫き、即座に姿を消す。直後、ポーランの胸部が弾けた。
「油断しましたね。私ひとりを押さえれば勝てるなどとは思わないことです」
「お……前……!」
軋む結界の内でコードガンが冷たく笑む。それを睨みながら、ポーランは倒れた。
雷の束から逃れ、遠巻きから戦いを見守る魔族たちを見回す。そうして最後に浮き上がる石像に目をやり、コードガンはいった。
「オムン。あなたの魔術は強力ですが『戦争』には向いていない。せっかくの軍もこれではただの観衆です」
「……」
実際は周囲から魔術の攻撃が飛んできていたが、どれも彼女が意に介すほどのものではなかった。それどころか半分は雷の衝撃に打ち消されて届いてすらいない。
森の魔族や獣人ならば激しく降り注ぐ攻撃の中でも戦えるのだろう。だがそれとしか組めないのでは話にならない。
「分かってないねぇ」
倒れていたポーランが余裕に満ちた声でいった。いつの間にか傷が消えている。何食わぬ顔で立ち上がり、彼は嗤う。
「こいつらは壁だよぉ。せっかくお前を殺せるのに、外から邪魔が入っちゃ困るだろぉ?」
「……なぜ、生きている」
コードガンは思わず問うていた。確実に致命傷を与えたはずだ。ポーランならば治癒の魔術でどんな傷も消し去れるかもしれない。しかしそれは他者がやられた時のことだ。胸を爆発させられた本人が治療をするなどありえない。
「クキキ。さあねぇ。自分で考えなよ」
ポーランはそう嗤い、空中に尖った岩を出現させる。
考えている暇などなかった。雷の束は止まることなくコードガンを大地に縛り付け、共に来た者たちも結界にいるため外へ出られない。先ほどポーランを刺した影が頼みの綱だが、それも存在を知られていては迂闊に動けない。コードガンは再びの窮地に追いやられていた。
「じゃあそろそろ、死んでもらおうかなぁ?」
岩が一つ、放たれる。
*
嵐がやんだ。
「あれー? 止まっちゃった。オムン、どうしたのかな?」
森の魔族が木々をざわめかせて呟いた。
どうやら女王がオムンが激突したらしい。雷や溶岩が落ちなくなったのはそのためだろう。しかし安堵する人々は少なかった。
安堵できる状況ではないというのもある。だがそれ以上に――生きている人の数が減っていた。
森の中には既に多くの死体が転がっている。広い森のどこへ行こうと死者の見当たらない場所はないというほどだ。死者の割合は圧倒的に人間の方が多い。オムンと森の魔族、魔族軍による同時襲撃はそれほどまでに凶悪な組み合わせだったのだ。
しかし、これで少しは戦況も変わる。
「くそ。人間どもを勢いづかせるな! さっさと仕留めるぞ!」
獣人が叫びながらこちらへ飛んでくる。瞬間、その身が真っ二つになった。血しぶきの奥でソーンが剣を振る。
「ロワーフ様。ご無事ですか」
「ああ、世話をかけるな。おかげで調査に移れる」
部下に命じソーンをこの場に呼んだのはロワーフだった。死者の続出する戦場で無理に呼びつけたのは、無論自分を守るためなどではない。『調査』を行うためだ。
ロワーフは娘と同じ金色の髪に手をやり、一本引き抜く。魔力をくわえ針のように硬質化させた。
髪の針で、歪んだ地面にさらさらと魔法陣を描く。そこに手を付け、腕輪についた宝石を光らせる。たちまち炎があふれ出し、瞬く間に周囲に広がった。
「いやはや、さすがですな。このような歪んだ場所にこれほどの速さで魔法陣を作るとは」
「世辞などいい」
燃えた木々はあっという間に灰と化していく。しかしすぐに別の木が生え、枝をしならせ暴れ始めた。
「おっと。ロワーフ様には触れさせませぬぞ」
攻撃を加えたロワーフを、木々たちは自動的とも観れる単調な動きで襲ってきた。それらはソーンの剣に阻まれ、近づくことすらできずにばらばらになる。
「ふむ。闇雲に燃やすだけでは小さな傷を与えたことにもならんようだ」
ロワーフは森の魔族の調査をしていた。切っても焼いても減ることのないこの木々を殺すため、弱点を探ろうというわけだ。
森の攻撃自体は大したものではない。しかし木々の不規則な動きと獣人が連携すると常人には手のつけようがなくなる。近接戦では無敵といっていいソーンでさえ、向こうから近づいてこなければ斬れないほどだった。
だからまずは森の方から片付ける。それしか選択肢はない。
ロワーフは少し考え、今度は歪んだ木に魔法陣を描いた。その間も枝や魔族や襲いかかってきたが、全てソーンが切り捨てた。
「魔術は発動せんか」
魔法陣には触れずにロワーフは呟く。
彼は木々を魔術で作られたものと疑っていた。サーネルが腕を生やすように魔術で木を生やしたのだと考えたのだ。しかしもしそうなら、魔法陣を描いた瞬間に魔術が暴発するはずだった。
「となれば」
次に、懐から細い木の棒を取り出す。棒を振ると、きらりと光を反射する銀の糸が飛び出し、幹に突き刺さる。
棒が光り、数秒後、刺された木の動きが止まった。
「ロワーフ様、それはいったい」
ソーンは襲い来る敵を切り伏せながら尋ねる。ロワーフは頷く。
「近づいた者に糸を突き刺し魔力や生命力を吸う植物がいる。それを用いて作ったものだ。この大きさでは一度きりしか使えぬが、役目は果たした」
「というと?」
「魔力を失った木が止まった。これが答えだ」
すなわち、森の木々はどこからか魔力を流され、無理やり動かされているということ。やはりこれは本体などではなかった。
これが分かれば話は早い。今度は魔法陣で足元を小爆発させ地下の根っこを浮き上がらせる。そこに素早く文字のような模様を描き、じろりと睨む。すると僅かだが模様が勝手に動いた。魔力の流れを知るためのものだった。
「よし。向こうだ」
あとは何度も地面を掘り返し流れを辿っていけば、本体の元へたどり着ける。敵の心臓はすぐそこだ。
――と、そう一方的にはいかないのが戦いというものだ。
「ははは。気づいちゃったんだ、君たち」
木々がざわめき声が振る。明らかにロワーフたちの頭上から響いていた。
「みんな集まってくれるかい。金髪のおじさんと獣の腕のおじさんが僕を殺す気なんだ。ここだよ、ここ」
ロワーフの傍にあった木が空へと打ち上げられる。即座に近くにいた獣人たちが集まってくる。間をあけて遠くからも次々とやってくる。
あっという間に囲まれていた。木の影も枝の上も、見渡す限り獣人、獣人、獣人だ。だというのに味方は一人も見当たらない。どれだけソーンが敵を斬ろうと、全体の劣勢をひっくり返すには至らなかったようだ。
「む。同時にこの数は」
さすがのソーンも難色を浮かべる。
「助かったよみんな。さ、やっちゃおうか」
森の魔族がそういうと、無数の枝が高速でしなり出す。同時、獣人たちも飛び出した。
――だが。
「な、これはっ」
飛び出したのはほんの一部。手前側にいたほとんどの獣人は何かに足を取られて動けなくなっていた。後ろにいた者たちも、飛び出せない彼らと衝突して止まる。
ソーンがその隙を見逃すはずがなかった。それはロワーフも同じだ。鋭く光る剣が無数の枝と獣人を切り裂き、乱射された火球が追い打ちをかけていく。突破口ができると、ロワーフは迷わず飛び出した。
枝の攻撃を少し食らいながらも獣人たちの包囲を抜けると、大きな身体をした女性が待ち受けていた。
ノエリス。プリーナと共に旅をしていた者だ。
「今の魔術は」
「うん、私の。粘着液をまき散らすだけの魔術だよ」
指から液を放ちながら、ノエリスはさらりといった。
「森に目をつけられてるみたいだったから、罠を撒きながらついてきたんだ」
声をかけられる前から目は付けられていたのか。その気配をいち早く察知した嗅覚を褒めたいところだが、いまは急がなければならない。
「それじゃあ、足止めは任せて」
「うむ、頼んだ」
ノエリスとはそこで分かれる。
遅れてきたソーンと共に、多少あたりをつけながら本体を探す。地面を爆破し魔力の流れを調べる時間がもどかしい。
泡で身を守りつつ走り、根っこを調べ、また走る。
「ごめん、限界」
やがてノエリスが逃げてくる。獣人の群れが追ってきたのはそれからすぐのことだった。
根っこに模様を描き、睨む。焦ってはいけない。集中せねば模様の動きを見逃してしまう。敵はすぐそこだ。分かっている。だが、振り出しに戻るわけにはいかない。
模様が動いた。走る。獣人が来る。ソーンが斬る。獣人が来る。押し通られる。
ロワーフの身を守っていた泡が割られ、獣人に背中を蹴り飛ばされた。
「ぐおぉ」
「ロワーフ様!」
だが、止まらない。たとえ蹴り飛ばされようと、切り裂かれようとも。
そしてロワーフは腕輪の宝石を光らせた。
地面に魔法陣を描く。瞬間、土が爆ぜ、中にあるものが浮き彫りになった。
「やあ! 本当に見つけちゃうなんてすごいね!」
それは心臓のように鼓動する、種子のような黒い球体だった。人が抱き着いても手を回しきれないほどの大きさだ。それが声を発している。木々がざわめいた時のような、人の声を模した音とは明らかに違っていた。
ロワーフは迷わず種子に魔法陣を刻み込む。宝石を光らせ――爆破した。
木々の動きがぴたりと止まる。獣人たちまでも、驚いて動きを止める。
「相手が悪かったな。魔術の仕組みを見抜くのは私の得意分野だ」
確かな手ごたえがあった。種子の表面は破れ、中身の黒い肉が飛び散っていた。森の木々が敵に回ることはもうないはずだ。
その代償とすれば、この程度の痛みなど小さなものだろう。そう笑い、ロワーフは種子の上に倒れた。
獣人に負わされた傷が効いたらしい。しばらくは立てそうにない。
「役目は……果たした、か……」
「まだだよ」
「ええ、まだですとも」
ソーンに担ぎ上げられる。
「プリーナの顔、もう一度見てあげなきゃ」
「無論このソーンめがご助力いたします」
……無茶を言ってくれる。自力で動くことすら難しいというのに。
だが頼もしい。遠のきかけていた意識が戻ってくる。ロワーフは微笑み、たった一言、声を返した。
「プリーナのためなら、仕方があるまいな」