39. 空飛ぶ戦艦
現実感のない光景だった。
鉄の船が空を飛んでいる。錆びの目立つ船体に大量の艦砲を積んだ姿はまさしく戦艦だ。船上から伸びる鉄の塔にはひと際巨大な砲台が取り付けられ、前に立つ者の恐怖心を煽る。
装甲には無数の穴があいており、船底からは常に銀色の光が漏れる。それが戦艦を浮かせているらしい。それは明らかにガラードの魔術だった。
初めて襲われた時に見た、バルカンに似た鉄筒から熱線を放つ魔術だ。あの武器専用の魔術と思っていたけれど、まさか鉄の船を浮かせられるなんて。
「さて」
先端に生えたするどい角にガラードは立っていた。ボロボロの着物を風になびかせ、金色の瞳をにやりと細める。
「悪いがお前さんたちには死んでもらわなきゃならねェ。ちぃっとばかし、じっとしててくれや」
塔の上の砲台が白銀色に輝く。言葉のとおり本気で撃つ気だ。
ぼくは自分たちが乗る馬車の縁に手をかける。念力を強め避ける準備を取った。
「何言ってるんだ。じっとしてるわけ――」
「動くな」
剣を構えたマイスがいう。ぼくが驚いて止まった一瞬で、彼は馬車から跳びあがっていた。
「がっはははは! そう来ると思っとったぞォ!」
砲台が白銀の熱線を放つ。マイスは四メートルを超える大剣でそれを受け、斜めに流した。熱線はそのままぼくらの後方へ飛んでいく。爆発が起きたけれど目を向ける余裕はない。
攻撃がつづく。無数の艦砲が一斉に熱線を放った。戦艦へ一直線に向かっていたマイスは集中砲火を食らい跳ね返されてしまった。馬車を動かして戻ってきたマイスを受け止める。
「む、無茶ですよっ」
「すまない。熱くなった」
服はほとんど燃えてしまったようだけど、傷は負っていない。さすがの頑丈さだ。でも魔王にやられた時のことを思うと油断はできない。
「お、おい」
ミィチが後方を見て呟く。振り返って、ぼくは目を見張った。
ガラードの砲撃が後ろに流れて爆発したのは分かっていた。でも。
「一撃で、こんな……」
後方には森林に挟まれて大きな山々が並んでいたはずだ。わざわざ空高くまで上がってきたのはそれを避けるためだった。
それらが消えている。まるで初めから存在していなかったかのように。その代わりとして、森の中心に朱い熱を帯びた荒野ができていた。
「がはははは! いい反応してくれるじゃねェか! 最近じゃあ部下どももすっかり慣れちまってなァ。どんだけ全力火力でぶっぱなしてもちっとも驚きゃしねェ。いつも通り見事ですとかそんなんばっかだ。
ワシだって大変なんだぞォ? この船作るのだってどれだけ時間がかかるか。それをお前さん、できて当たり前みたいな反応されちまうとなあ……。そりゃあワシが強いのは認めるが、たまには感動の一つもして欲しいもんだ」
ガラードが一人語りを始めていたが、それどころじゃなかった。多分だけれど、いまの砲撃はいわゆる挨拶代わりの一撃。あれより上があるとなると、マイスでも受け流せるかどうか。
「お前たちは先に行け」
立ち上がり、マイスがいった。
「え、でも」
「奴と相対した時は戦わせてもらう。そういう約束だったはずだ」
「……分かりました。ここはお願いします」
約束は約束だ。それにマイスならガラードとも戦える。
とはいえガラードがそう易々と通してくれるとは思えない。プリーナも宝石を光らせ魔術の準備をしていた。
――けど。
「いいぞォ。通れ通れェ」
ガラードはあっさりと後ろを示した。
「ワシは戦争の勝ち負けなんざに興味はねェ。暴れたいなら暴れてきやがれ」
裂けんばかりの勢いで笑うガラードを、まじまじと見つめる。どういうつもりだろうか。ぼくたちを妨害するためにここへ来たんじゃなかったのか?
「……罠かな?」
「罠だ」
「罠ね」
「確実に罠だな」
満場一致だった。けどこちらには戦場へ行かないという選択肢はないのだ。どれだけ砲撃を放たれようと、騙し討ちをしてこようと、それを潜り抜けて向かわなければならない。
覚悟を決める。最初から妨害に来ていると思えば同じことだ。
「私がもう一度飛び出す。そこで動け」
マイスの言葉にうなずき、念力に集中する。
「――行くぞ」
そして動いた。
大きく迂回し戦艦の横を通り越す。結果から言えば、ガラードの妨害はなかった。
ガラード本人からの妨害は。
「おっと、こいつも持って行けェ」
戦艦は飛び出したマイスを無視して向きを変えないままこちらへ飛んでくる。高速で宙を滑った船の上から、ガラードは手に握ったものを投げつけてきた。
よけようとしたけど、ぼくはその正体に気づいてしまう。
それは森に棲む小動物だった。木の実をかじって食べるリスのような獣だ。
どうしてそんなものを? 爆発でもさせるのか? 頭をぐるぐる回して警戒しても、それをよけることはできない。ぼくがよけたら獣は地上へ真っ逆さまだ。
逡巡した隙に獣は馬車に飛び込み、プリーナに受け止められる。獣の体に描かれた魔法陣が光ったのはその時だった。
爆発は――しない。光の中から飛び出したのは、見覚えのある『泥水』だった。
「ご存じバンリネルだ! 可愛がってやってくれェ! がっはははは!」
遠のいていく戦艦の上でガラードが笑う。念力で馬車を飛ばしながら、ぼくは足元に転がったバンリネルを見下ろした。
「知るかこんなやつ! なんなんだよ!」
「なんで……」
ミィチの問いには答えられず、ただ疑問の声を漏らす。この魔族に戦う力なんてないはずだ。一体どういうつもりで……。
「サーネル様。行くのダメ」
「え?」
訝しんでいると、泥水の体が光りだした。
「おい! 何かする気だぜ!」
「またどこかへ飛ばす気だわ! 離れて!」
プリーナの声に弾かれ、三人同時に馬車から飛び降りる。でも少し遅かった。バンリネルは既にぼくの足にくっついていた。
「ちょっ、離し――」
「サーネル様、ダメ! 殺さレル!」
バンリネルの光はより強くなり、視界が飲み込まれていく。
はっとした時には、既に音も消えていた。プリーナたちの声も、耳にぶつかる風の音も聞こえない。足に引っ付いたバンリネルの感触すらなくなった。
「う……」
背中に硬いものが当たる。というより、ぼくがそれの上に倒れているようだ。
目を開ける。身を起こして辺りを見回し、息を飲んだ。
「――そんな」
気づくとぼくは、見知らぬ岩場の波打ち際にいた。