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世界を救えば別だよね?  作者: 白沼俊
四. 人魔激突の章
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33. 魔王が望むもの

 大柄の女性が固唾かたずを飲んでいる。ネアリー・コードガンはヘビのような形を取った結界に乗り、それを見下ろす。


 ノエリスというその女性は、首都ネアリーに集まった人々と共に戦うべく女王に嘆願していた。彼女が話したのは殺された仲間の仇を討ちたいというありふれた事情だ。


 しかしその「ありふれた」という価値観は、魔族たちの悪逆によって築かされたもの。見るべきはその眼に宿る怒りが本物であるかどうか、その一点のみだ。


「わかりました。その命、私が預かりましょう」


 ノエリスは垂れ気味の目を見張り、その場にひざまずいた。


「必ずや戦果を挙げてみせます」


 ノエリスはいった。女王は頷き、彼女を首都を囲む結界の内側へ通す。影に潜んでいた者に命じ、彼女を案内させた。


「また一人、兵士が増えましたか」


 仲間の死――ツワードという男の最期についてはコードガンも聞き及んでいる。頭を潰さなければ死ねない呪いをかけられたという話だった。次から次に、よくもそこまで残酷な仕打ちを思いつくものだ。


 コードガンは一人、目を伏せて笑った。


「皮肉なものですね。あなたの目論見に憤るほど、あなたの望み通りに動くことになるとは」


 圧倒的な力で世界を戦乱へ導いた魔王、ブラムス・デンテラージュ。彼の願いは強者たちと全力で戦うこと。そのために人々へ数多あまたの憎悪を振りまいてきた。


 この世界に生きていて大切なものをひとつも奪われなかった者などいない。これから起こる戦争に関わる全ての人間は、胸の内を流れ続ける血を止めるために立ち上がったのだ。


 人々は魔王に踊らされている。けれどそれを知りながらも彼らの怒りを止めることはできない。


 無論、止まれないのはコードガンも同じことだ。


「……」


 コードガンは七年前を境に変わってしまった世界を想う。


 魔王が死んだ。ある日そんな、一つの大国が落とされたにも等しいしらせを聞いた。


 人々の反応は様々だった。喜ぶ者、警戒する者、今が好機と騒ぎ立てる者。かつての魔族は今ほどには恐れられておらず、あくまで国単位の脅威の一つと見られている程度だった。この頃はまだ人間同士の争いのほうが多かったかもしれない。


 そう。それがたった七年前のこと。そこから六つの大陸が支配され最後の大陸に攻め込まれるまで十年とかかっていないのだ。


 突如として入った魔王の死の報せ。直後新たなる大魔王を名乗る者が現れ、多くの魔族と共に一つ目の大陸に攻撃を始めた。大陸全土を敵に回す勢いに、むしろ人々は魔族の敗北を確信した。


 しかし魔王は見事に勝利をおさめ、世界中に衝撃を与えた。


 魔族たちはその数を増やし、戦力を拡大しながらさらなる侵攻を続けた。魔族の中には人間よりはるかに早い成長速度を誇る種族も多くいる。一つの大陸を手に入れかつてないほどに地盤を固めた彼らは、破格の勢いで増殖していく。


 戦争をつづけ、末端まったんの兵士たちを使い捨てにしながらも、全体としての力は衰えるどころか増していく一方だった。


 そしてついにこの大陸にも魔族による侵攻が始まった。


 首都ネアリーは当時まだ移民を集めてはいなかった。大陸の全てから同意を得るのに時間がかかっていたのだ。しかし戦力がないからと指をくわえていたわけではない。大量の魔族が大陸に入ってきた始まりの戦争で、コードガンは戦っていた。


 さらに魔王とも相対していたのだった。


 しかし。


「我の魔術をこうも耐えるか。面白い。だが」


 黒い濃霧の奥で馬に乗った巨人がわらう。結界魔術で辛うじて身を守ったコードガンは、周囲の光景に絶句した。


守護まもりの魔術が聞いて呆れる。貴様ひとりが生きながらえ何とするつもりだ?」


 数時間前までは緑豊かな景色の広がっていたはずの土地が、一面の荒野と変わり果てていた。黒く焦げた兵士の死体がいくつも転がり、立っている人間はコードガンのみ。対する魔王の背後には千を超える多種多様な魔族たちが笑い声をあげていた。


 コードガンは息をついた。おそらく魔王には一対一でも勝てない。それがこの戦力差では……諦め、死を受け入れようとした。


 だが魔王はトドメをささなかった。


「貴様はまだ殺さぬ。この場で使い捨ててしまうには惜しい」


 魔王はコードガンを殺さないどころか逃がそうとまでしていた。魔族に慈悲を与えられるなど聞いたこともない。


「……どういう、おつもりですか」


「知れたこと。我の目的は強者との戦いのみだ。貴様の魔術は強き者と共闘してこそ力を発揮するもの。ここで潰してはあまりにつまらぬ」


「戦いを愉しむために、私を逃がすと?」


「無論だ。国を滅ぼすも弱者をなぶるも全てはそれゆえよ。怒りや憎しみを振りまけば自然、我が前に強者たちが集まる」


 魔族が人を殺める理由に人が共感を示せるはずもない。そのくらいのことは分かっていた。けれどそれまでに滅んだ国の……散っていった人々はあまりに多すぎた。


 だからコードガンも、氷のようだと評される瞳の奥で、心を平静を保てなかった。


「あなたは……そのようなことのために、どれだけの命をその手にかけたのですか」


 そんな無意味な、どんな答えが返ってきても心を乱されるだろう問いを発してしまうほどに。


「二十六だ」


 そう、魔王は答えた。


「彼らとの戦いは実に愉快なものであった」


 そんなはずはない。そんなに少ないわけがない。百を優に越える国をその手で滅ぼした魔王が、それだけしか殺めていないはずがないのだ。


 強い者しか命として数えない。それが魔王だった。


「理由は述べた。罠にかけるつもりなどは毛頭ない。命惜しくば行くがよい」


 到底許せるものではなかった。多くの人々を殺され、それを命とすら認識されず、さらには魔王を楽しませるために逃がされようとしている。この世の人間は文字通り、魔王ブラムスの玩具おもちゃだ。


 しかし女王は屈辱を受け入れた。魔王を許せなかったからこそ、その場では彼の意思に従うほかなかった。いずれ魔王を滅ぼす、そのためには。


 そして今。コードガンは目を開く。


「喜ぶといい、魔王。あなたの望みは叶いました」


 黄色い膜につつまれた巨大な――数多くの強者が結集した首都を背に、一国の、否、人類すべての未来を背負った女王はいう。


「死闘の末に朽ち果てるならば、きっとあなたも本望でしょう」


 人々はもう魔王の玩具ではない。魔王がそう望んだために、彼は人々に追いつめられることとなる。コードガンはそう信じて疑わなかった。




          *




 ノエリスは黄色い膜の内側、巨大な首都へつづく広い草原を進む。


 黒いローブを身にまとった案内役は、初めに背を向けたまま「こちらへ」と言ったきり、顔も見せなければ言葉を交わそうともしなかった。


 ちゃんと案内してくれるのならば構わない。ノエリスも無口という点では人のことを言えないのだ。


 無口……ノエリスは前を行く黒いローブの背中を見ながら考える。


 昔はもう少し話せていた。訳もなくはしゃいでとりとめのない会話をして、人といるといつの間にか時間が経ってしまうというのが当たり前だった。今ではかなり気合を入れなければ上手く話すこともできない。笑うだけでもひどく疲れるようになってしまった。


 六年前、故郷であるヒサーチュの町が襲われてから。


 皆死んだ。為すすべもなく。たった一人で乗り込んできたサーネルに傷一つ負わせられずに、ヒサーチュには壊れた家々と死体の山が築かれた。


 何もできなかった。それどころかノエリスは自分の命を守るために逃げてしまった。愛する母をも犠牲にして。


「復讐なんて考えちゃダメよ」


 ノエリスの母は時折そんな言葉を口にしていた。六年前はまだこの大陸で戦争が起こることはなかったけれど、それでも魔族がどこそこの村を襲ったという話はあったのだ。そうした話を聞くたびに、そして復讐の旅をする者たちを見るたびに母は言ったのだった。


「どんなことがあっても復讐なんかに囚われちゃダメ。ノエが幸せになってくれるのが、一番うれしいんだから」


 優しい母だった。よく笑い、ノエリスが危ないことをすればちゃんと叱ってくれる人だ。その言葉がなかったとしても母が復讐など望まないことは十分に分かっていた。


 サーネルが町を襲った時でさえ、彼女は一番にノエリスのことを考えた。


「あなたは逃げなさい」


 自分があの魔族を食い止めるからと、母はいった。


 もちろんノエリスは反対した。町の皆を見捨てて逃げるなんてしたくなかった。


 でもみんなを助けることができないのも分かっていた。だからせめて、いっしょに逃げようといったのだ。


 けれど母は頑なに首を振った。


「絶望しながら死ぬのはイヤなの。ノエが生き延びてくれたって思えたら、私は幸せに死ねるわ」


 二人で逃げてはどちらも殺されると彼女は確信していた。母は強く、特に観察眼に優れていた。魔族と対峙した時、相手の力量を見誤ったことなど一度としてなかった。


「お願い」


 やがて母は子どものように泣きじゃくる。


 嫌だった。母が死ぬなら自分もと思った。けれど母を苦しませるのはもっと辛いことだった。だからノエリスは、逃げることを選んだ。


 サーネルが去ったあと、ノエリスは破壊しつくされた町に戻り皆の墓を建てた。遺体の数だけ全部。それしかできることがなかった。


 その後の数日間は眠って起きての繰り返しだ。何もする気になれず、食べ物さえろくに喉を通らなかった。


「サーネル……」


 遠くからちらりとだけ見た姿を思い返し唇をかむ。殺してやりたい。何度も思った。でも。


 復讐なんて考えちゃダメよ――母の言葉があったから、何もできなかった。


 幸せになれと言われた。ノエリスもせめてそうするべきだと思い何度も立ち上がろうとした。けれどサーネルへの復讐心がふくらむたびに自分が押し潰されていくようで、結局何もできなくなってしまったのだ。


 身体は日に日に衰弱する。それなのに焦りすらなく、じわじわと死に近づいていく。


 瓦礫の上で眠るノエリスにツワードが声をかけたのはそんな頃だった。


「あなたが墓を立ててくださったのですね、ノエリスさん」


 ツワードのことは前から知っていた。同じヒサーチュの町に住んでいた少年だ。


 彼はサーネルを殺すつもりらしかった。そのために仲間を集めている最中らしい。サーネルを仇とする者たちを。


「今のところ、一人で探し回っている状態ですが」


 ツワードは苦笑する。ノエリスは表情を変えず、寝転がったままで答えた。


「復讐はしない。お母さんと約束したから」


「約束、ですか」


「何があっても復讐なんかに囚われたらダメ。わたしが幸せになるのが一番うれしいんだからって」


 大切な人が遺した大切な言葉だ。これを否定することはできない。どんなに重く、辛いものであったとしても。


 けれど。


 その時ツワードがくれた言葉が、ノエリスを変えた。


「仇を討てないままでは、私は幸せになどなれません」


 何食わぬ顔で言ってのけた少年の碧い瞳を見返す。ノエリスが黙っているものだから、少年はまた苦笑した。


「これは屁理屈でしょうか」


「――ううん」


 ノエリスは首を振り、少年の手を取る。


「わたしもそう思うよ」


 そうしてノエリスはツワードの仲間に加わった。


 今――ちょうど目の前を歩く案内役が着ているのと同じ、黒いローブを衣装として。


 ノエリスはツワードのおかげで前に進めた。あれだけものを受け付けなかった喉も通るようになり、以前のようにたくさん食べられるようにもなった。……仲間だって増えた。


 あんな出会いになってしまって、言葉を交わすのも下手で、上手く伝えられなかったけれど。ノエリスにとってラージュたちはとても好ましい人たちだった。


 魔族を殺しても死んだ人たちは戻ってこない。それでも復讐することに意味はあるのかと考えたことは一度だけじゃない。けれど――あのツワードなら言ってくれるはずだ。「仇を討て」と。


 どんなことをしてでも、たとえ自分を使い捨ての駒になり下げてでも、ツワードの命を奪った報いは受けさせる。それがいつかは母の願いを叶えることにも繋がると信じて。


 だから、ノエリスは迷わない。




          *




 扉を叩こうと手を上げ、つばを飲み込む。


 あかい木の扉の前でエラリアは何度もノックを試みようとしていた。


 届け物をしに来ただけなのだから迷う必要などないのだけれど、家の中にいる者のことを思うとどうしても緊張してしまった。


「失礼ですが、どなたかな?」


 気配を感じ取られていたらしい、尻込みするうち、とうとう向こうから声をかけられる。


「あ、あの。ロワーフ様の使いの、エラリアって言います」


「おお、そうでしたか」


 扉が開く。顔を出したのはソーンという初老の騎士だった。


 その手には獣の皮を縫い付けられており、半ば獣人のような見た目をしている。


 エラリアは上質な肌触りの白布に包まれた届け物を差し出した。


「ロワーフ様からです。女王陛下より菓子をたまわったので、娘さまにもと」


「これはこれは。ありがたい」


 ロワーフはいま女王の命で戦争の準備を進めているため、代わりにエラリアがもってきたというわけだ。


 ソーンとは前にも会ったことがある。話したことはないけれど、穏やかな人だと知っていた。緊張していたのは彼に対してではない。


「ではどうぞ、中へ」


「あ、いえ。あたしはこれで」


「そう仰らずに。せっかくいらしていただいたのですから」


「はあ」


 むしろすぐに帰りたかったのだけれど、あまり遠慮しすぎるのも躊躇ためらわれて、結局エラリアは頷いた。


 部屋へ通される。天井に窓がついた珍しい様式だ。ネアリーは結界に守られているから雨も降らない。だからこうした明かりの取り方もできるのだそうだ。


 そして天井から注がれる金色の光を浴びながら――奥のベッドで、ブロンドの髪を長く流した少女が眠っていた。


 毛織のかけ物から出た腕や首、頬からはところどころ獣の毛が生えている。しかし目を見張るのはむしろその周り、煮え湯でも浴びせられたかのようにただれた皮膚のほうだった。


 目を包帯に包まれ、寝息は耳でとらえられないほどに小さい。彼女は目も見えず歩くこともできないそうだ。言葉を話すこともできない。


 しかも体に巣食う熱のために一日のほとんどを寝て過ごさねばならないという。ちょうど今そうしているように。


 エラリアが恐れたのは彼女だった。少女はひどく静かで、まるで死んでしまっているように見える。


 菓子を持ってきたは良いけれど、食べられるのだろうか。


 不安に駆られエラリアは足を止めた。すると、少女の耳――獣の皮が縫い付けられた小さなそれが、ぴくりと動いた。


 口元に無邪気そうな笑みが浮かぶ。すぐさま起き上がった。


「おお、気づいたかセーニャ。食べ物のこととなると鼻が利くな」


 ソーンがベッドのそばに立ち娘に声をかける。


「ロワーフ様から菓子をいただいてな。そちらのエラリア殿に届けていただいたのだ」


「こ、こんにちは……エラリアです」


 セーニャと呼ばれた娘は、ぺこりと頭を下げる。それからすぐに菓子の方へ顔を向け、くんくんと鼻を動かす。


「ははは。セーニャはこう見えて食い気があるのです」


「……!」


 少女ははっとして俯いた。女の子らしい仕草がただれた肌と獣の毛の不自然さを際立てて、エラリアはどんな気持ちで彼女を見ればいいのか分からなくなった。


 ソーンがセーニャの頭を撫でる。セーニャは恥ずかしそうにしたけれど、やがて気持ちよさそうにほほ笑んだ。


 この子はまだ生きている。


 目も見えず口も利けなくなって、こんな姿になってもなお、少女は生きている。


 それを惨いと思うべきかせめてもの救いと見るべきか、エラリアには決められなかった。


 ……もう十分だ。


 エラリアは唇を噛む。


 皆もう十分に傷ついている。苦しんでいる。皆を幸せにしてとまでは言わないから。それでも前を向いて生きようとする人たちを、さらに上から踏みにじるような真似はしないで欲しい。


 どうか人々がこれまで通り、未来を歩き続けられますように。


 それがエラリアの、そして多くの人々の願いだった。


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