11. お前がそんなんだから
2019/01/18 改稿しました
……ぼくが死ねばよかったのに。
薄く目を閉じる。そっと苦笑し、ため息をついた。
青白い火柱が猛然と襲いかかる。猪のごとく一直線に、殺意すら覗かせて。
炎が寸前まで来るのを感じ、ぼくは死を覚悟した。
「おっととと、ちょっと待って下さいよ!」
けれど、プリーナの放った火柱はまたしてもかき消された。目の前に現れた真黒な物体によって。
いや、消されたのではない。これは……吸い込まれたというべきだろうか。
「熱い! アーッツイ! 熱いッスよこれ!」
現れたのは黒い怪物。毒々しく沸騰する水が寄り集まり、人型を成した仮面の悪魔。蝙蝠のような羽は閉じられていてなお大きい。吸い込まれた炎の青は、わずか程も残ってはいなかった。
傍らにもう一体、器用に木々の中をくぐって同じ姿の白い怪物が降り立つ。
「フム、ここまで弱っているとは。嬉しい誤算だ」
「あちちちっ、ちょっ、ちょっと! 俺の心配はないんスか!」
「熱いだけだろう」
「だけって! アンタなあ!」
「……敵前だ。口論する時ではあるまい」
「ぐ……ちぇっ、そッスね」
白と黒の怪物は、目を見張る繊細な金の髪の少女へ向き直る。
「あなたたちは、さっき逃がした――」
「見事な手際であったと称賛しておこう。おかげで我々も安心して仕事ができる」
「へへへ! アンタはまんまと誘導されたってわけッス!」
何が何だかわからなかった。また魔族に助けられた、と思ったのに、その口ぶりはプリーナをけしかけたとでも言うよう。だったら何故攻撃を阻むのか、まるで理解できない。
プリーナも同じ疑念を抱いているらしい。困惑した色を隠せぬまま宝剣を逆手に構える。
するとそれを察してか、白い悪魔が余裕を見せつけるように説明する。
「簡単なこと。我々の魔術が貴様を滅ぼした――という証を残さねばならぬのだ。『魔王の息子に打ち勝った』という功績を認めさせるためにはな」
「魔王の、息子――?」
プリーナが呟く。
「見えないか。無理もない」
嘲笑。白い悪魔は鼻で笑い、黒い悪魔はくつくつと肩を揺らす。
「だが結果を持ち帰るだけであれば、標的が万全である必要などないのだよ」
そうか……と地面に頭をつけ息をつく。彼らはサーネルの今の有り様をどこかで見ていたのだ。状態がどうであれ魔王の息子を殺してみせれば、彼らはそれより強いと言い張る権利を得る。ぼくは本人の実力を知らないけれど、彼らの強さを誤認させるには打ってつけの力を誇っていたらしい。
自分は強いと嘯くだけのために同胞を殺す。関係ない人間まで利用し使い捨てる。確かにプリーナとは大違いだ。彼女には酷いことを言ってしまった。……なんて言っても、魔族のお詫びなんて聞いてくれないんだろうな。
「さて、と。そういうわけなんで、アンタは邪魔ッス。消えてもらいましょうか」
「いいえ。消えるのはあなたたちです」
凛とした言と同時に少女の短剣が火を放つ。それは再び青白い輝きを見せるも、たちまち吸収されてしまう。
「あっちちち!」
「我々に炎は通じない」
「熱いは熱いッスけどね!」
彼女は早くも圧されている。ぼくは動けない。見ているだけだ。対照的にプリーナは攻撃を止めない。
宝剣が三度輝く。今度は空を切り裂くと、何もない場所に裂け目ができた。開いた穴に刃を突き入れる。次の瞬間、白い悪魔の背から短剣が飛び出した。
「中から刺そうと無駄だ。我々に剣は通じない」
「痛くも痒くもないッスね!」
「まあ、うらやましい。ずいぶん便利な体なのね」
プリーナは引かない。気品ある顔立ちは一切の恐怖を浮かべず、悪魔たちを見据えている。
けれどその足がわずかに引くのを、白い悪魔は見逃さなかった。
「……行くぞ」
「よし来たァ!」
白黒の悪魔が同時、沸騰する体で跳ぶ。
その速度はメニィのそれには遠く及ばない。それでも、普通の人間にかわすのは難しかった。剣で防げるなら問題はなかっただろう。だが彼らの体は振られた刃をすり抜け、華奢な少女の体のみをとらえた。
「――っ!」
二本の腕に腹を殴られ、くの字になって吹っ飛ぶ。
背後の木に激突し、少女は盛大に血を吐いた。
ぼくは動けない。見ているだけだ。
白い悪魔は力なく倒れようとするその首を掴み、持ち上げる。
「さて。勿体ぶってまだ見ぬ切り札でも出されては愚の骨頂。早々に終わらせてやろう」
「おーっとォ、こいつは没収ッスよ!」
何とも用心深いことに、悪魔は彼女の宝剣まで奪い取った。プリーナは全ての策を封じられたのか、諦めたように腕をだらりと垂らす。
ぼくは動けない。見ているだけ。
彼女は負けた。敵には未だ一切の油断もない。首を潰されるのは時間の問題だ。
そうしたらきっと、ぼくも殺される。
何もできず、嘲笑われたまま、彼らの地位を上げる道具にされる。なんてくだらない最期だろう。
せめてもう一度家に帰りたかった。元の世界を歩きたかった。
けど、帰ったってきっと、喜んでくれる人なんていない。だってぼくは卑怯者だ、お姉ちゃんを見殺しにした人間のクズだ。一体だれがそんなやつと会いたいと思えるのだろう。両親はその卑怯を許してくれた。でもぼくには信じられない。自身が愛するに値しない人間であることは、自身が一番よく分かっているから。
……もういい。こんなやつ、このまま死んじゃったほうがいい。きっとそれが皆のためだ。
家族を盾にする、臆病で無力な人間なんて、生きている価値もない。
そうだ、死ね。死んでしまえ。
ぼくなんか、死んじゃえ。
「――たす、けて」
弾かれたように目を開ける。
助けて、助けて。声が聞こえた。
少女が泣いている。苦しげに呻いて、叫び声すら封じられ。幼い子どものようにすすり泣いている。
まるであの時の――。
四年前の、あの瞬間みたいに。
「……何、してんだよ」
全身に血が巡る。煮えたぎるような感覚があった。
込みあげてきたのは怒り。憎悪とさえ言える、全身を焼き尽くすほどの炎。
馬鹿じゃないのか、お前は。いつまでいじけてるんだよ。
よく見ろよ、顔を上げろよ。女の子が、目の前で殺されようとしてるんだぞ。
「お前が……お前がそんなんだから……!」
視界の裏で、誰かの象徴みたいなポニーテールが揺れる。
――ぼくの中で、何かが爆発した。
いい加減にしろよ、殺人鬼ども。こんなぼくだって怒ることくらいある。四年前からいい加減、我慢の限界なんだよ。
ぼくは魔族だ、魔王の息子だ。そんなやつを怒らせたらどうなるか、今ここで分からせてやる。
立ち上がる。愚かな悪魔は気づかない。
腕を伸ばす。白い悪魔がぴくりと動く。
怒号を上げる。二人の悪魔が振り向いた。
「――!」
だが、遅い。
彼らの眼前には既に、無数の腕が伸びていた。数十、いや数百の腕の群れ。それらは全て、ぼくの肩からあふれ出ていた。
猛烈な勢いで増えていく腕は圧倒的な物量で彼らを飲み込み、器用にもプリーナを避けて二つに割れる。悲鳴すら聞こえなかった。
「うああああああああああああ!」
腕は増え続けた。腕の先から腕が伸び、その先からさらに伸び――周囲の木々をなぎ倒し、氾濫した川のごとき猛威を振るう。
無我夢中だった。絶対に殺してやるとか、絶対に助けてやるとか、考えていたはずの全てが頭から吹っ飛んでいた。真っ白な頭で叫び続け、肺の空気をようやく全て出し尽くしても、ぼくは延々声を張り上げた。
――腕の増殖が止まる。
がくりと膝をつくと、ぼくは目の前の光景に愕然とする。
それは、腕の道。全てをなぎ倒した腕たちによって、長い長い大蛇のような道が出来上がっていた。