21. 再会
「ラージュ! しっかりして、ラージュ!」
月明かりだけが頼りの暗い山道で、プリーナは必死に呼びかけていた。
ラージュとツワードが血まみれになって倒れている。ラージュはお腹に風穴を開けられ、ツワードは胴体を潰されている。
プリーナたちは巨人と会うべく身を隠していた補給地点で、突如として現れた魔王に襲われた。マイスとミィチの連携で何とか逃げ延びたけれど、わずかに間に合わず二人が重傷を負ってしまったのだった。
ノエリスがツワードに呼びかけているものの、ラージュと同じく反応がない。ただ、驚くことに二人とも辛うじて息はあるようだ。
「すまなかった。オレがもっと早く……」
ミィチは俯き唇をかんだ。
誰もミィチを責められない。彼女の判断に間違いはなかった。マイスが来てくれる前にプリーナたちを逃がそうとすればすぐに捕まった上で手の内を晒すことになり、マイスとラージュ以外の全員が殺されていたことだろう。
けれどいまのプリーナにはミィチを気遣う余裕がなく、声をかけることができなかった。
マイスは未だ交戦中。ティティとケイティは置いてきてしまった。これほどの怪我を手当てできる場所がどこにあるかもわからず、魔族であるラージュを受け入れてくれる場所となると見当もつかない。考えることと辛いことが多すぎて気がおかしくなりそうだ。
そして不幸はそれだけでは終わらなかった。
「おい。血の臭いだぜぇ」
背筋を戦慄が走り抜ける。それは一声聞いただけで明らかなほど醜悪な、凌辱や虐殺を好む魔族の声だった。
「くそ。こんな時に」
ミィチが舌打ちする。その音をかき消さんばかりにたくさんのざわめきが聞こえ始めた。
「こりゃあもう死んでるんじゃねえか?」
「いやちょっと待ちな。声が聞こえたぞ」
「いいねえ。俺らで殺さなきゃつまらないからなあ」
……気配が多すぎる。
冷汗が首筋を伝う。どうしてこんな時に。おかしくなりそうだったところにさらに焦り覚え、ついに何も考えられなくなる。
山道に生えるまばらな木々の奥に影が見えた。一つ、二つ。それどころじゃないことは分かっている。けれど敵の位置や数を把握するという考えすら、もはや頭の中にはなかった。
「こんなの……あんまりだわ」
出てきたのは、誰に向けられたのかも分からない文句だけ。
さっきまで……ほんの少し前までは、ようやく巨人に会えると希望が見えてきていたのに。
影が増える。完全に囲まれている。ラージュたちを守らないといけないのに、体がうまく動かない。
影たちは何かをささやきあい下劣な笑い声をあげる。今すぐにでも飛び掛かろうとしている者もいる。
思わずという様子で後ずさったミィチが怒りと焦りの混じった声で呟く。
「おいおい。オレたちだけでこんな数を相手にしろってのかよ」
その言葉に魔族たちは下卑た笑いで応える。
それともう一つ、答える声があった。
「うひひひっ。と、思うじゃん?」
その奇妙な笑い方には聞き覚えがある。
これは……。
直後、視界いっぱいを埋め尽くすほどの巨大な足が、前方の影を全て踏みつぶした。
「な、な、な……なんだぁっ?」
すさまじい風が吹きつけ、周囲の魔族たちが情けない悲鳴を上げる。
「ひひっ、なんだと思う?」
「でけぇ! まさかこいつ!」
「ひぃぃ!」
「冗談じゃねえ! こんなの相手にできるかぁ!」
そして相手の姿をはっきりと目に止めると、各々が我先にと逃げ出した。潰されたもの以外の影があっという間に消えてなくなる。
「やーいやーい腰抜け腰抜けー! 見たか! これが巨人様の力だぞ!」
――巨人?
呆気に取られ声の主を見あげる。
その時だった。
「油断するな。踏みつぶした魔族どもはまだ生きておるはずだ」
「――え?」
プリーナは固まる。ふいに聞こえたその声が、あまりにもなじみ深いものだったから。
だけどまさか。ありえない。こんなところに彼がいるわけがない。
「あ、そうだった。うひ~、足べっとべとだわ~」
やがてもう一つ、巨人の肩に立つ影が見える。そこにいた人――おそらくは少女が、上ずった声で呟いた。
「プリーナ……様?」
「なんだと!」
プリーナははっと息を飲む。
間違いない、本物だ。知らずのうち涙がこぼれる。
聞き覚えのある声が二つ。とてもよく耳になじんだ、幼いころから毎日のように聞き続けてきた家族の声だ。
複雑な感情が絡み合う。再会の喜びと、また敵対されるかもしれない恐怖、それにラージュたちへの心配もある。いま巨人に何を言えばいいかも分からない。窮地から解放されたというのに、未だプリーナは身動きが取れない。
そんなプリーナをひっぱたくように、ミィチが鋭い声でいった。
「下がれ」
弾かれたように体が反応し、無意識に後ろへ下がる。代わりにミィチが前に出た。
「やっぱり知り合いだったか。ってことはお前ら、ラージュ……いや、サーネルのことも知ってるんだな」
「お前は……」
驚いた声を出した後で、巨人の右肩に乗った人影――ロワーフ・ワマーニュが泡をまとい、下に飛び降りる。息をつき、問いに答えた。
「その通りだ。ゆえにプリーナを我が領地から追放した」
「そうか。ならここじゃ敵対者ってことでいいのか?」
「…………」
「お父様……」
ロワーフは押し黙る。肯定することをためらっている。プリーナにはそのことが嬉しいようでもあり、大切な父を苦しめている事実が辛くもあった。
「私は――」
やがてロワーフが口を開く。
悲鳴と言ってもいいような悲痛な声が聞こえたのは、その直後だった。
「違います!」
巨人の肩でエラリアが叫んでいた。にらみ合っていた者たちの視線が少女へ吸い寄せられる。
エラリアは泣いていた。
「ロワーフ様は、あたしたちはっ……」
少女はそこまで言うと、突然耐え切れなくなったように肩から飛び降りる。ロワーフが慌てて出した泡に着地し、プリーナの胸に飛び込んだ。
「うううっ……ああああああっ」
何か言おうとしているけれど、もう言葉にもならない。震えて泣きじゃくるエラリアを、プリーナは自然と抱きしめていた。するとエラリアはさらに激しく泣き出した。
割れるような泣き声だ。胸が砕けたかと思うほど痛んだ。傷つける覚悟はしていた。けれどこれほどまでに追い込まれた姿を目の当たりにして平然としていられるわけがない。
「ごめん、ごめんなさい……エラリア」
声が震える。自分で決心して旅だったのに、涙をこらえることができなかった。
ロワーフもミィチも何も言わなかった。どんな感情を抱いていたかまでは分からないけれど、静かに見守ってくれた。
――ただし。シーベルだけは違う。
「はいストォォォップ!」
遠慮の欠片もない能天気な声が響く。大きな体もあいまって耳を押さえたくなるような騒がしさだった。
「よく分かんないけど味方ってこと? 違う? いや味方としか言いようがない! これでバトル始めたら頭イカれてると思うね! 魔王にやられてたみたいだし! じゃそういうことで!」
「……いいだろう。だが」
「はいストップ! いいからストップ!」
慎重に言葉をつなごうとするロワーフを制し、シーベルはいう。
「細かいこたぁいいんじゃい! そんなことより早くソレ連れてかなきゃ死んじゃうでしょうがあああ!」
「……そうだわ!」
指の差された先を見て思い出す。怪我人が二人もいることを。なんということだろう、絶対に守らなければならない二人のことを一瞬でも忘れてしまうなんて!
「分かったなら乗りやがれい! 全速力でかっ飛ばしていくからよい! 行くぜ行くぜ行くぜい!」
ロワーフの泡に包まれ、巨大化したシーベルの手に全員が乗り込む。
ミィチは警戒を崩さなかったけれど、それでも二人が助かる可能性が少しでも高い方に賭けたようだ。大人しく包まれていた。ぐっと握られると視界がふさがれ何も見えなくなる。
どこかへ向けシーベルが出発する。その音だけが聞こえていた。