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世界を救えば別だよね?  作者: 白沼俊
四. 人魔激突の章
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19. 扉の管理者

 夜道を泥水がうごめいている。


 遠くに町が見える。移民により人が出払った町を利用した補給地点の一つだ。たった今ロワーフ・ワマーニュが身を隠している場所でもある。


 泥水はロワーフが眠るという町の屋敷を目指す。翌朝にはシーベル・クレッツァーも訪れることになっており、彼女の身の安全を守るために泥水は急いでいた。


 この数日間、彼はシーベルの周囲を監視し続けている。今はネアリーの中にいるため近づけないが、彼女がやってくれば仕事は再開する。彼はそれを、移民が完了するまで続けることになっていた。


 魔王直々の命令によって。


 彼の名はバンリネル。普段は身を隠している魔王と、常に会うことを許された唯一の魔族である。


 彼に戦う力はない。それにもかかわらず彼は魔王直属の部下として任務を遂行している。そこには魔王の気まぐれではないはっきりとした理由がある。


 彼は一種のシステムだった。


 彼には魔力がほとんどない。使える力もたった一つのみで、しかしその力こそが彼を魔王の目に留まらせた。


 彼の魔術は『扉』。許可した者の魔力を受けると自動的に空間をつなげる規格外の魔術である。


 驚くべきは力の及ぶ距離とその数。魔王城を囲むハイマンの森と世界中をつなぐ『扉』は、全て彼に作られた。


 加えて『扉』は自身や別の生き物にも刻むことができる。


 そして――。


「止まれ!」


 火が飛んでくる。まだ町からは遠かったが、早くも衛兵が攻撃をしかけてきた。


 泥水は避けようとするも間に合わず、もろに受けてしまう。しかし火は泥水に吸い込まれ、その身を焼くこともなく消えてしまった。


「何っ?」


 驚く衛兵。対する泥水はと言えば、小さな悲鳴を上げ、がたがたと震え始めた。


「な、なんだっ」


 衛兵がさらに声をあげる。そこに乗せられた感情は驚きではなく恐怖だった。


 泥水の周囲を、夜闇の中でも分かるほど黒い濃霧が包み始める。


 やがて声がした。


「バンリネルよ。我に雑兵ぞうひょうの相手などさせるでない」


「ッ! モ、申し訳……!」


 泥水が謝るより一瞬早く、それは現れた。


 手だ。普通の人間であれば数人をまとめて握りつぶせるほどの巨大な手が、空中に突如現れ――。


「なっ。や、やめ……」


 落ちる。


 夜闇にしぶきが飛び散り、衛兵は大地の染みとなった。


 それは紛れもない、大魔王ブラムスの魔術であった。泥水に魔王の魔術は使えない。無論ひとり芝居などをしてみせたのでもない。今のは正真正銘、本物の魔王による攻撃だった。


『扉』の説明には続きがある。


『扉』は自身や別の生き物にも刻むことができる。そして。




『扉』は、彼と魔王のあいだにも刻まれていた。




 彼に魔術がぶつかれば魔王が現れ、彼を殺そうとする者があれば魔王がそれを粉砕する。彼は魔王に利用されると同時に、常にその命を守られていた。


 彼に手を出すことはすなわち、魔王を相手取るということ。他のいかなる魔族を敵に回すよりもはるかに恐るべき無謀なのだ。


 彼の名はバンリネル。


『扉』の管理者、バンリネルである。




          *




 一瞬だけのぞいていた月明かりが雲に隠れ、町に闇が満ちる。


 夜道を泥水がうごめいている。暗いうえに輪郭がはっきりせず見づらいけど、確かにそこにいることは分かった。


「プリーナはここで見張ってて」


「え、ちょっと」


 板張りの屋根の上から巨人の連れがいるらしい建物を見張っていたぼくとプリーナは、地下牢でぼくたちを助けてくれた泥水の魔族を見つけた。突然現れ突然消えてしまったからあの時は何も聞く暇がなかった。


 話が聞きたい。どうしてここにいるのかも気になった。あとをプリーナに任せて道へ飛び降りる。魔術で体重を軽くしたから音はきぬずれ程度しか出なかった。


 道を進んできた泥水はぼくに気づいてびくりと固まった。様子をうかがうような無言の間があり、やがていった。


「サーネル、様」


 やっぱり彼はサーネルを敵と思ってはいないらしい。それが無知のためであるのかは分からないから発言には気を付けないといけない。


 だけど不自然に思われても、確認したいことがあった。


「きみは誰だ。どうしてぼくを助けてくれたんだ」


「……? サーネル様、忘れタ?」


「ごめんね。わけがあって、少し記憶が混乱してるんだ」


 また間がある。警戒されたかと緊張したけど、泥水はあっさり答えた。


「バンリネル。コレ、他の魔族ニ、言っちゃダメ」


 それが名前か。どこかで聞いたことがあるような。


「ソレと誤解。さっき助けタノ、サーネル様と違ウ。巨人」


「巨人?」


 シーベルのことかな。それとも――ん?


 遅れてぼくは大きく目を見張った。


「きょ、巨人っ?」


 声を押し殺すのに苦労する。頭が本気で混乱した。


「えっ……えっ? それってつまり、巨人がシーベルでシーベルが巨人で……だから、ちまり……」


「そう。シーベル、巨人」


 まさか。


 いや可能性としては考えていた。プリーナも疑っていたしあり得ない話ではなかった。でもまさか本当に、あんな近くに巨人がいたなんて。


 そうか、繋がった。この泥水は上から命令を受けて巨人を守っていたんだ。魔王は移民を早く終わらせたいのだし、魔族側からの護衛が付いている可能性は考えてしかるべきだった。


 だけど……。


 あらためて泥水の魔族を見る。こんなか弱そうな魔族が、護衛?


 いや待て。何か引っかかっていることがあったはず。バンリネル。そう、バンリネルという名前だ。どこかで聞いたことがあったはずなのだけど。


「――」


 背筋が凍った。


 思い出した。バンリネル。多くの魔族が姿かたちも力も知らない謎に包まれた魔族だ。魔王にいつでも会うことを許された唯一の魔族であり、魔王以外ではガラードとコンズしかその正体を知らないという――。


 まさか、彼が。


 ごくりと唾を飲む。サーネルに名を明かしていたことには驚いた。敵意もないらしい。その隙をつくべきだろうか。バンリネルは移民を進めようとしている。巨人に接触するとなれば争いは避けられないだろう。


 でもここで一人で挑むのは危険だ。バンリネルの手札を何も知らない上、町の衛兵にまで気づかれてしまう。いちどマイスたちと合流して……。


「ラージュ、衛兵が来るわ」


 すたりと地面を踏みしめる音がして、プリーナが駆けてくる。どうして……と思わず屋根の上を見ると、二つの影――おそらくはツワードとノエリスが見えた。


 まずい。一度会っているプリーナはともかく、バンリネルと彼らが出会ったら戦闘になりかねない。本当ならマイスが戦ってくれることを祈っていたんだけど。


 早くも一人の影が屋根から消える。もはや迷っていられる時じゃない。すっとバンリネルに腕を伸ばし、そのゼリーのような身を掴む。


「ごめんね」


 呟き、魔術で掌から衝撃を送り込む。


 この泥水の魔族がどんな力を持っているかは知らない。でも、これで決まればぼくたちの勝ちだ。


 破砕。バンリネルの体は一瞬にして弾け――。


「……え」


 泥の体ははじけ飛ばない。手ごたえはあった。だというのに全く傷を与えられていない。




 まるで魔法陣――『扉』に魔術を放った時のように。




「…………ぁ」


 どういうわけか、バンリネルが凍り付く。それから、怯えたような声を発し始めた。


「ア……ぁア……」


 その理由はすぐにわかる。


 泥水の体が、真っ黒な濃霧をまとい始めたから。


 ぼくはそれを一目見て、一つの事実を察してしまった。


「そんな。なんで」


 その霧はバンリネルのものじゃない。彼のものであっていいはずがない。こんなものが二つと存在してたまるものか。


 黒い濃霧には見覚えがある。夜闇の中でさえ浮かび上がるほどに暗い圧倒的な闇。「寒い」、「冷たい」という暗闇に対するイメージとは真逆の、激しく燃え上がるような輝く闇だ。


「どうしてお前が――」


「ほう、気づいたか」


 泥水の中から、その小さな身よりもはるかに大きな人型の影が這い出てくる。


 直後、お腹に焼けつくような熱を感じた。


「かはっ」


 口から温かい水が出る。見ると、お腹から真っ青な棒のようなものが飛び出ていた。


「ラージュ!」


 プリーナの悲鳴が響く。


 背後から指で貫かれた。そう気づくまでに少し時間がかかった。


「つまらぬ。かつての貴様であればかわしていたぞ」


 指を引き抜かれ、支えを失ったぼくの体は力なく倒れた。ショックや痛みを感じる余裕もなく、呆然と濃霧の奥に立つ巨人を見上げる。


 視界が闇に溶ける。音が、声が、ゆっくりと遠ざかっていく。


 そしてぷつりと、思考が途切れた。


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