10. 性癖は神に背かない
2019/01/18 改稿しました
内臓を抉られながらキスをされる。舌を絡める感覚なんて初めてだけど、やっぱり痛みに塗りつぶされて何も思えない。
ぷはっ、と白い息を吐き、プリーナはぼーっと木漏れ日を受ける。
「はぁ……蕩けてしまいそう」
恍惚とした表情は、やがてきっと引き締まり、凛とした雰囲気に変わった。
碧い瞳が力強く光を放ち、領主の娘としての品格を取り戻す。
「でも、もうおしまい。――バードたちの仇は討たせてもらいます」
プリーナは立ち上がり後ろへ引くと、血まみれになった短剣を構える。握った手の甲にもう一方の手をかざすと、柄に散りばめられた宝石が各々光を放ち、鮮血を霧散させた。
ぼくは察する。彼女は今ここで方をつける気だ。
この世界で目を覚まして彼女に襲われたとき、周りに兵士の姿はなく、にもかかわらず余裕を持ってぼくを甚振ってきた。多分一人でも魔族を殺せるということ。
処刑台を使ったのはきっと、あくまでも確実な死を与えられるからなのだろう。ほんの一瞬見えた火柱はぞっとするほどの熱を放っていた。
「うぅ……」
息も絶え絶え体を起こす。腕は震えてまともに力が入らないけど、諦めて死ぬなんて絶対にごめんだった。
生きていていいと、せっかく認めてもらえたんだ。たとえそれが野蛮な魔族の言葉でも。こんな簡単に殺されてたまるか。
けれど、
「遅いわ」
完全に起き上がる前の数瞬、宝剣が赤く明滅する。
放たれたのは細くて長い、糸のような炎だった。けれどそれはぼくの身に達した瞬間、青く激しく威力を増す。全身を焼かれ、視界は青で埋め尽くされた。
「いっしょにいたあの魔族……あれも今一度見つけ出し、息の根を止めることを誓いましょう。いいえ、むしろあちらが本命ね」
熱い、熱い――腕が、背中が、脚が、頭が――あらゆる箇所の皮膚が激しい熱に聞き慣れない音を上げている。
傍に生える木々に火は移らない。それらはひたすらぼくの皮膚を焼き焦がすためだけに勢いを増していく。
やがて炎は弱まり視界が開けるが、それは希望にはならない。
プリーナは無慈悲にも、さらなる一撃に向けた準備を整えていた。
「さあ、今一度――」
ゆらりと二束のお下げが揺れる。こぼれる砂のようなさらさらとした声が流れる。
「我らが同胞を辱め、命を弄んだその罪……今ここで燃やし尽くし、懺悔の念をもって朽ち果てなさい」
処刑台で聞いた言葉だ。感情の伴わない、ただ美しい音色。
宝剣の光がみるみる強くなっていく。最後の一撃を放つ気だと悟り、わずか一瞬、痛みを忘れた。
「お前だって、同じじゃないか」
もうぼくは動けない。半ば自棄になって言い放つ。
「ぼくを甚振って愉しんで、そのどこが、魔族と違うっていうんだよ」
まさかその言葉が届くとは思っていなかった。最後の反抗、最後の強がりに過ぎなかった。
けれどプリーナは動きを止めた。軽く目を見張り、黙り込む。
本当に一瞬――まばたきをしたら見逃してしまうようなわずかな時、少女は泣き出しそうな顔をして。
「ええ、そうね。こんな性癖、わたしだってどうかと思うもの。生きていてはいけないんじゃないか、なんて考えてしまうくらい」
「――」
生きていては、いけない……。
奇しくも少し前までのぼくと同じ悩みを抱えた少女は、しかして力強く目を上げ、名乗りの時と同じく高らかに言い放つ。
「けれど本質はどうあれ、わたしは同胞を殺しません。悪逆を犯した魔族のみを裁き、人々の尊厳を保つため戦います――マリターニュの誇りにかけて」
それから少し寂しそうに笑い、未だ光を放つ宝剣を構える。
その姿に、はっとせずにはいられなかった。
「こんなに醜く生まれても、神に背かず生きるくらい、できるのよ」
再び、炎。
先ほどのそれとは段違いに太い、まさに火柱というべき熱が一直線に飛び出す。
ちょっと自分が恥ずかしくなった。いや、かなり恥ずかしい。
ああ、やっぱりだめだ。結局また思ってしまう。
こんなことなら。ただ殺されるしかできないのなら。
……ぼくが死ねばよかったのに。
薄く目を閉じる。そっと苦笑し、ため息をついた。