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世界を救えば別だよね?  作者: 白沼俊
序. 裏切り開始の章
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1. 勇ましい声の人

2019/01/16 改稿しました

 何故か、お腹を刺されていた。


 夜闇に包まれた森の中。仰向けになったぼくの上で、誰かの影が揺れる。


「いい子よ。ええ、とってもいい子。あなたは神様のお恵みだわ」


 耳元に唇が触れ、秘密を囁くみたいに楽しげな声が鼓膜をくすぐる。甘美なはずの感覚は、お腹をグチュグチュと抉られる痛みで吹き飛んでしまう。


 掠れた呻きを漏らすしかできないぼくに、影は熱のある吐息をかけた。


「可愛い声。ずっと聴いていたいくらい。でも……」


 唇に柔らかな感触があって、ぼくは目を見張る。キスをされた。


 体が痙攣する。筋肉が張りつめて言うことを聞かない。


 どうしてこんな……意味が分からない。理解が追い付かない。


 そもそも、どうして森にいるんだっけ。


 朦朧もうろうとする意識の中、原因を探しはじめる。ここで目覚める前。ここで内臓を抉られる前。ぼくは何をしていたんだっけ――。




          *




 白のスニーカーがアスファルトを踏む。ぴちゃりと水が吐き出された。


 制服は肌に引っ付き、鞄はぽたぽたと水を垂らす。枯れ葉や泥で汚れたそれらは、わずかにドブのような臭いを漂わせている。


 学校の帰り道だった。空が曇って肌寒くて、濡れて帰るにはちょっと辛い日。けど、殴られるよりはマシだ。


 でも、やっぱり辛くて泣いていた。


 ボロボロの民家に挟まれた、不気味なほど静かな一本道を早足で歩く。きょろきょろと周囲を見回して、さっと民家の敷地を通り抜けた。高い塀に挟まれた道に出る。


 人目につかない薄暗い裏道を選び、こそこそと帰る毎日。イジメがばれたら殺される。震えながら家へ急ぐ。


 今度は使われなくなった工場の敷地に忍び込んだ。足音を立てないよう、びくびくしながら塀と建物の間を進む。砂まみれになったペットボトルや紙パックがいくつも転がっていた。


 馬鹿みたいだ、こんなの。分かっているけどどうしようもない。強いやつに逆らうなんてできっこなかった。


 こんなことなら。頭の片隅で考える。


 こんな、苦しくて情けないだけの日々を過ごすくらいだったら。


「……ぼくが死ねばよかったのに」


 そんな呟きが漏れて、自分ではっとする。自嘲の笑みに顔が歪んだ。


 これは日常。ぼくにとっては何の変哲もない、ごくありふれた下校風景だった。


 けれどこの台詞を境に、日常は一変する。




 ――それは、まことか?




「へっ?」


 少年の――勇ましく芝居がかった声がした。


 慌てて涙を拭い前後へ振り向く。今通っている隙間に人影はない。遠くからの声でもなかった。……塀の向こう?


 ――答えぬか!


「うわあっ!」


 思わず跳びあがる。足元のペットボトルを踏みつけて、思い切り尻もちをついた。


 いま、頭の中で――?


「だっ、誰っ? どこにいるのっ?」


 ――答えろと言っておろうが! 今の言葉は真であるのか!


 その声はどこか切羽詰まった様子で、苦しげに震えていた。


 どこにいるかくらい確かめたかったけれど、逆らったらまずい雰囲気だ。いじめられっ子らしく観念して尋ねる。


「い、今の……って?」


 ――死ねばよかったと、そう申したであろう。貴様はその命が惜しくないというのだな?


「!」


 息をのむ。聞かれていたのだ。


「……だとしたら、どうだって言うんだよ」


 恐る恐る問うと、勇ましい声は答える。


 それは、予想だにしない言葉だった。




 ――死んでもらう。




「え?」


 金属同士がかち合うような、耳障りな高音が響いた。


 瞬間、脳天を殴りつけられたような衝撃が落ちる。脳を丸ごと揺さぶられるような激しい痺れに、たちまち視界が暗転する。


 何かを考える余裕もない。ぼくの意識はそのまま深い闇へと沈んでいった。




          *




 ダメだ、さっぱり分からない!


 あれから目覚めたら夜の森にいてお腹を刺されていて――ダメだ、全然分からない!


 痛みと混乱で思考がバラバラと崩れ、今さら解き放たれたように体が動き始める。ともかくこの痛みから逃れたい。その一心で馬乗りになった影を振り落とす。


「ああ、待って。いいところなの」


 闇が濃くて遠くが見えない。目を凝らせば密集した木々の影は見えるけど、それも手を伸ばしたほんの先程度のものだ。


 傷だらけの腹を引きずり分け目も振らず、何度も木や草に突っ込んで影から距離を取る。手足をじたばたさせて何とか立ち上がると、一心不乱に走り出した。情けない悲鳴が森にこだまする。


 ふいに空が現れ満月が顔を出す。密集した木々の間を飛び出せたらしい。落ち葉や枝が雪のように積もった獣道に出た。


「痛い、痛い、痛いよぉ……!」


 半ば泣きじゃくりながら叫んだ。何度もよろめきながら、走る、走る。パキパキと小枝を踏み鳴らしながら逃げる。それからふと、気づいた。


 ちゃんと声が出ていた。それに。


「あ、あれ?」


 走りながらお腹を探る。痛くない。思考も吹き飛ぶような激痛が、嘘のように消えている。その事実に血の気が引いた。


 これだけ刺されて、内臓を弄ばれて、何の痛みも感じないのなら、それは……。


 足が止まる。勢いを殺しきれず転倒した。土と落ち葉が口に入り、たまらず咳き込む。


「死ぬ……の? ぼく」


「ええ、そうよ」


「……!」


 振り返る。


 ぼくを襲った影が――暗闇をはぎ取られて、そこにいた。


 フードからこぼれた、ゆったりとした二束のお下げが揺れる。繊細な金の髪をした少女だった。冒険小説にでも出てきそうな、凛とした力強い瞳の少女。無骨な皮のマントが、品のある目鼻立ちを却って際立させていた。


 あまりにも凛々しい姿に一瞬戸惑う。けれどその顔は数瞬の後、背筋の凍るほど妖しげな笑みをたたえる。その手に握られるのはに宝石を散りばめられた血まみれの短剣。やっぱり、さっきの影だ。


「ひ、人殺し!」


 地面に尻と手をついたまま叫ぶ。すると、少女の細眉がぴくりと動いた。


「言いがかりだわ」


「よくもそんな! だって、お、お前……ぼくを殺そうとして!」


「あれだけ刺されてまともに叫べる人間がいるかしら」


「え……?」


「あなた、魔族でしょう?」


 ――魔族?


 それこそどんな言いがかりかと、ぽかんとしてしまう。異常な殺人鬼の中には意味不明な動機を呟くやつもいるらしいけれど、魔族なんてなかなか聞かない。


 少女が一歩前に出る。前髪をさらさらと風に揺らし、熱のこもった吐息をこぼした。


「ねえ、あんまり焦らさないで? さっきの続きがしたいわ」


「じょっ、冗談じゃないっ」


 ぼくが馬鹿だった。こんな殺人鬼の言葉、初めから理解できるわけがないんだ。


 じたばたと体を起こし、また走り出す。


 でも、変だ。前だけを必死に見ながら思う。彼女の言葉を信じるわけじゃない。魔族なんて意味不明だ。だけど。


 どうしてまだ普通に動けるんだろう。なんでこんなに呼吸が楽なんだろう。




 まるで本当に、化け物にでもなったみたいだ。




 そんなことを思いながら、ぼくは満月の下、獣道を去っていった。



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