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剣と魔法に支配された大地、ログディズーー。
いくつかの国が勢力争いを繰り広げる中、トゥルーカという国に、一人の魔女が現れる。
その名はエキンーー。
三人の弟子を従え、敵国の都市や港を次々に襲撃していったのである。
つねに真っ黒なローブに身を包み、とんがり帽子を目深に被った彼らの素顔を知る者はなく、戦闘以外ではいっさい姿を現すことのないその素性は、謎に包まれていた。
しかし実は、彼らの隠れ家は、大陸各地にあった。
トゥルーカ内にはもちろんのこと、意外な場所にもあった。
ここ、トゥルーカの北東にある、敵国バルディアの一地方であるマリノ領の港町も、エキンのアジトが構えられていた。
「誰も敵国領内に魔女のアジトがあるなんて思わないわよねっ☆」というエキンの一言で、わざわざ自陣を離れ、ここマリノに隠れ家が建てられたのだ。
同じように、その場の思いつきのような理由で、エキンのアジトはあちこちに作られたのだが、特にマリノでは海の幸が手に入りやすいことと、瀟洒な邸宅が彼女の好みに合い、頻繁に使用されていた。
その邸宅の広大な庭の一画に、小さな工房があった。
不思議な魔法の道具が散らばった室内では、少年が一人、真剣な表情で作業をしている。
年の頃は十六、十七といったところだ。
少し長くなってきてしまった黒髪をピンで留め、猫のような金色の瞳で手に持った石を調べている。
魔力を高め、集中しようとしたその時ーー。
ドアが開いて、背の高い女性が飛び込んできた。
「リクー! この前作ってもらった杖、なかなかよかったわよ。騎馬兵の小隊が風魔法の一撃で吹っ飛んだわ! ……って、あら? どうしたのよその顔」
リクと呼ばれた少年は、大きなため息で返事をした。
「お師匠……。何度もいってますよね。工房に入るときにはノックしてくださいって! ボクがやってるのは精密作業なんですから。集中が途切れたら戻すのに時間かかるんですよ?」
「あー、ごめんごめん。つい忘れちゃって」
たはは、と頭を掻く妙齢の美しい女性、この人こそ現在、大陸全土を震撼させている魔女エキンである。
うねりのある長い黒髪は青みがかかり、赤金色の瞳は挑戦的な光を帯びている。
一方、その魔女に億せず文句をいったのがジルリュークーー通称、リク。
杖魔道士として知られる、魔女の一番弟子である。
実はリクは、二つの魂を持った転生者である。
前世では町工場で木工細工の職人としてモノづくりに励んでいたせいか、幼いころから非常に手先が器用だった。
そこに、生来の魔力と持ち前の我慢強さを活かして、魔法使い一人ひとりにあったオーダーメイドの杖を制作していたところ、魔女エキンの目にとまり弟子入りすることとなったのである。
リクの仕事は多岐にわたった。
術者の魔力の測定からはじまり、それに合った魔石探し、杖の制作、そして「試し」といわれる試作品のテストーー。
すべてにおいて杖の製作者の技術と魔力がもろにあらわれてしまうのだ。
特に、エキンのための杖作りは並大抵のことではなかった。
彼女の強大な魔力を支えられる杖はそう何本もない。
杖の製作に数日かかるのは当たり前だった。
特に苦労するのが、杖の先端部分につける魔石探しだ。これは術者の力に見合った物でなければだめで、魔石の力が大きすぎれば術は発動せず、術者の力のほうが大きければ、術をかけた時点ですぐに砕け散ってしまうのだ。
一般的に、術者と同じくらいの魔法の実力がなければ、その術者に杖を作ってあげることはできない、といわれている。
大陸一の魔女エキンの杖を作ることができる者は、その弟子のリクだけなのであった。
それはつまり、リクの魔力はエキンに匹敵することを意味している。
リクが、魔女の一番弟子とされる所以であった。
このところ制作していた新しい杖の『試し』は、無事に済んだようで、リクはホッとしていた。
「じゃあ、杖の『試し』はオッケーってことで。マリノを攻めるのは十日後でしたっけ。……でも、いいんですか? この街、お師匠のお気に入りだったじゃないですか」
「……いいのよ。アジトは他にもあるし……」
言葉と裏腹に魔女の声はうかなかった。
ここマリノの所有する艦隊が、トゥルーカを目指して明日、出港するという情報が入っていた。
マリノの宗主国のバルディアの艦隊との連合軍で、規模としてはこれまでより最大規模になるはずである。
トゥルーカの皇帝はエキンに、先手を打ってマリノを攻めるべしとの命を下していたのだ。
海での戦闘が激化し、陸にもその被害が及べば、このマリノの街は戦火にのまれるだろう。
敵陣内のこのアジトも、おそらく無事では済まない。
「リクこそいいの? あんた、この工房、気に入っていたじゃないの」
「ボクは別に……。お師匠についてくだけですから」
淡々と答えるリクに、エキンはなぜかかわいいものを見る目つきになった。
不意に抱きつかれる。
「リクちゃぁ〜ん♡ そんな大人ぶらなくってもいいのよぉ!」
「なっ……、お師匠、やめっ! ぐ、ぐるしい」
豊満な胸に頭を抱かれて、リクは窒息寸前だ。
そこに、工房の扉が再び勢いよく開かれる。
「おーい、リク、いるか? って、オイ!
何してんだよお前ら!? お、お師匠、リクばっかり……。オレにはないんすか、そういうの?」
「しゃ、シャルル……、た、助けて」
入ってきたのは二番弟子のシャルルだった。
金髪の巻毛に碧眼の、麗しいばかりの美男子だ。しかし、これは彼の本来の姿ではなかった。
変化の術が得意なので、会うたびに姿が違うのだ。
これも、エキンやその一派が正体不明とされる理由のひとつであった。
エキンはようやくリクを開放した。
ぜーっ、はーっ、と息を整えてから、リクは兄弟弟子にぶっきらぼうに聞いた。
「それで何さ。フィオならここにはいないよ」
三番弟子の名をあげる。
しばらく、誰もフィオの姿を見ていなかった。
「マジかよ。もうすぐマリノ攻めだってのに、アイツどこほっつき歩いてんだ? オレらは、いったんアンガルに行かなきゃいけないんスよね、お師匠?」
「そうね。艦隊の進行は十日後だから、明日にはアンガルに向けて発たないと。そしてアンガルでトゥルーカ軍と合流して、再度マリノへ戻る形になるわね」
「それもこれも、敵陣にアジトなんて作るから……ややこしいったらないよ」
アンガルはトゥルーカの第一の港だ。
リクたちはまずマリノからアンガルに行き、そこで友軍と落ち合ってから、再度マリノを攻略しに戻ってこないといけないわけだ。
今いるところが敵の本陣になるわけなので、まったく理にかなっていない。
そんなリクの文句は無視し、シャルルがエキンの新しい杖に触れる。
「おおっ! これがお師匠の最新の杖っスか? かっけー! リク坊、やるじゃん」
シャルルに頭をわしわしされる。
その手をはねのけながらリクは多少自慢げにこたえた。
「リク坊いうな。まあ、今回のは魔石が特別製だからね。時空魔法にも耐えうるだけの魔力の許容量! 魔石内に魔法陣も仕込めるスペシャル・バージョン! その上魔力の消耗はこれまでの半分!」
……と、なんだかセールストークのようになってしまった。
エキンがしげしげと杖を眺める。
「魔石内に魔法陣を仕込めるってことは、そこに魔物なんかも封じ込めたりできるのよね」
「できます。ってか、そういう仕様にしてくれって自分がいったんでしょ」
「そうなんだけど。ねえ……それって、人間も魔石に入れておけるのかしら?」
リクはちょっと考えていった。
「できるでしょうね。時空魔法を使って時間の流れを止めておけば、術を解除するか、もしくは魔石が壊れるまでは中に入っていられると思います」
「へええ〜! すごーい!」
エキンは手をたたいて感心している。
リクは、なんとなく不吉な予感を覚えていた。
こうやって、新しもの好きのお師匠が、突拍子もないことを言い出すのはいつものことだったからだ。
案の定、リクを指差してこんなことをいった。
「よし、リク! あんた魔石の中に入んなさい」
「はっ? なんでボクが。ていうかそんな必要ないでしょ!?」
「マリノとの戦闘で、ここぞというときに魔石からリクが出てきたらおもしろいじゃないの!」
「おもしろいおもしろくないで決めるなぁっ!」
シャルルがしたり顔で頷く。
「確かにそれおもしろいっスね! 戦闘中に突然リク! えっ、なんで、杖から杖魔道士!? みたいな! はっはっは!」
「でしょでしょー?」
勝手に二人で盛り上がっている。
リクはそろそろっと逃げ出そうとしていたが、エキンに首根っこをつかまれてしまった。
「逃さないわよ、リク! お師匠様の愛の時空魔法、お受けなさい!ーー悠久!」
凄まじいスピードで呪文を詠唱すると、エキンの杖の先端の魔石が、虹のように七色に光り輝きはじめる!
「ちょっとお師匠! マジで……!」
エキンは大きなウインクを一つ寄こした。
「私はいつでもマジよ♡」
時空魔法が発動する。
「うわああー!」
リクの意識は、そこで途切れた。
魔石の中に無理やり封じられてしまったのである。
そして、まさかのまさかであるが、お師匠はリクを魔石に閉じ込めたことをそのまま忘れてしまったのである。
そんなことは露とも知らず、リクは魔石の中で眠り続ける……。
それから、長い月日が流れたーー。