第8話 梟の止まり木亭
『梟の止まり木亭』は、迷宮都市クローディアにおいては珍しい、高級志向の酒場である。酒精は酔えればすべて一緒、と言わんばかりの冒険者たちが多い中で、『梟の止まり木亭』はお洒落な酒場として知る人ぞ知る穴場だ。
地下に作られた『梟の止まり木亭』に、今日は3組の来客があった――。
「おい、シェイズ! 俺はここには……!」
「いいじゃんいいじゃん。1日に2度会うなんて、滅茶苦茶珍しいんだしさ♪」
「お前なぁ……」
腕を引かれ、俺は渋々シェイズについていく。普段泊まっている宿屋にリュインを送ったあと、俺はフラフラと外に出たのだ。深い理由はない――強いて言うのであれば、ディラジスが言っていた『本物の冒険者』という言葉が頭の中で繰り返し囁かれていたくらいだ。
落ち着かなくて、ついつい外に出たら、偶然シェイズに遭遇したのだ。俺を見つけたときの奴の喜びようと言ったらなかった。完全にお気に入りのおもちゃを見つけたテンションで俺を引きずり始めたのだ。
「なんだかんだ、レンもボクに振り回されるの楽しんでるでしょ」
「……んなわけあるか。お前が『ついてきてくれないならここで思いっきり泣いて、『ボクを捨てるの!?』って叫ぶ』って脅したんだろうが」
溜息をつく。他人を巻き込む才能に関しては、シェイズは2番目だ。1番だった少女は、すでにいない。
「まあまあ。もう3年も経ったんだしさ、ここらで旧交を温めるっていうのも悪くないよ? 吐き出すもの吐き出しちゃおうぜ、レン」
悪戯を思いついたような笑顔を見せるシェイズ。いまだに性別もわからないような奴だが、こいつの笑顔は人をその気にさせる不思議な力がある。それもいいかもな、と俺は思い始めていた。
「……そうだな。じゃあまずはお前の性別から教えてもらおうか?」
「それは秘密♪」
ウインクしながら人差し指を口に当てるシェイズ。その悪戯っぽい猫のような笑顔が似合うのだから、怒る気も失せる。
「まったく、面白そうなことだけに首を突っ込むよな、お前は……」
「んー……まあ、そうだね!」
明るく笑うシェイズを連れて、俺は『梟の止まり木亭』に向かった。かつて、『六芒星』というパーティが集まっていた酒場だ。
† † † †
「ここに来るのも久しぶりね……」
「あれ、そうなの?」
「ええ。2年ぶりくらいかしら」
私は薄暗い照明に目を慣らしながら、奥のカウンターに目を向ける。そこでは壮年の男性が慣れた手つきでグラスを磨いていた。
「2人よ、よろしく」
「おや、これはラヴィーナ様。お久しぶりですね」
「……あら、覚えてたの。マスター」
私は少し驚いた。なにせ最後に訪れたのは2年前だ。『六芒星』の頃はそれなりに通っていたが、それだって3年前の話だ。私の驚きを感じ取ったのか、マスターはクスリとほほ笑んだ。
「『六芒星』の皆さまのことは、よく覚えてますとも」
「……まあ、今はバラバラになっちゃったけどね」
6つの星のひとつが欠けて、残った5つがバラバラになったのが3年前。それから『梟の止まり木亭』には1度だけ訪れたが、何を飲んでどんな会話をしたかは覚えていない。……つまり、泥酔するまで飲んだということなのだが。
「……この街で酒場を営み、もう20年になりますが。人の出会いは不思議なものです。生きてさえいれば、きっとまた縁が繋がることもあるでしょう」
『生きてさえいれば』――その通りだ。ただ、『死』だけが私たちの間に厳然とした溝として立ちふさがっている。
「……今日は私たちだけかしら?」
「いえ。すでにお二人様が個室の方に。お隣でよろしいですか?」
「構わないわ」
ここ『梟の止まり木亭』には、個室とカウンターの2種類の席がある。個室は4人ほどが入れるスペースが4つあるだけだが、ひっそりと飲むのには向いている。
私はキリエナを連れて個室に入る。隣から多少物音が聞こえてくるが、気になるほどではない。酔ってくると、誰でも多少は声が大きくなるものだ。
「どうしたの、キリエナ。さっきから妙に静かじゃない……?」
「いるじゃない、ダンディなおじさまが!!!」
「お、おう」
目をキラキラさせながら身を乗り出してきたキリエナの肩を掴んで押し戻す。胸元見えてる。
「あの方のお名前は!?」
「し、知らないわよ。マスターとしか呼んだことないから」
鼻息荒く、両手を組み合わせて天井を見上げるキリエナ。友人のただならぬ様子を見て、私は視線を彷徨わせた。だが、この『梟の止まり木亭』に来た理由を思い出し、なんとかキリエナを止める。
「でも待って。まず私に愚痴らせて」
「あぅ、そうだった。ごめんね、ラヴィーナ」
申し訳なさそうに両手を合わせるキリエナを眺めてから、私は心を落ち着かせるために目を閉じた。マスターが運んできた琥珀色のミードを煽り、酒精を体に取り込む。そのまましばらく、私たちは無言でミードを飲んだ。忌憚なく愚痴を吐き出すためには、適度な酒精が最適だ。
ほどよく体が暖まったところで、私は口を開く。
「まずね。今日は私たち『草原』に行ったじゃない? で、あの二人が前衛で、私たちが後衛」
「私たちは魔導士だからねー」
昔のパーティだと私もガンガン前に出ていたのだが、今は関係ないので置いておこう。
「あの、申し訳ないけど、私が焼き払うのが一番早いのよ。でも味方ごと焼き払うわけにはいかないじゃない? だから【小鬼】程度を相手に近くで戦われると邪魔なわけ。ほんとに。ちょっと後ろに下がって『お願いします!』って言ってくれれば私が全部やるわよ。もうめちゃくちゃ焼き払うわよ。頭だけ残して焼くのもそんなに難しいことじゃないし、私がやるのが一番効率がよくて一番早いわけ。でもなんか、いいところ見せたいのかなんなのか、やたら前に出るじゃない? そこにいられると困るのよね、当たっちゃうから」
「うんうん。ラヴィーナは強いからね」
「私の炎の魔術は殺傷力が高いから、人に当たると焼き殺しちゃうわけ。昔のパーティでも1回焼きかけて、めちゃくちゃ怒られたし。詠唱は小声でやれって言うし。私生活はだらしないし」
「うん……?」
「そのくせ料理はうまいのよ、あいつ。気も配れるし。妙にいろんなこと知ってるし、異界迷宮に挑むなら1パーティに1人は欲しい人材なのよ、そのくせ自分の評価は低いし――」
「……これはこれで面白いからいっか♪」
頭がぼんやりする。久しぶりに飲んだ酒で、酒精が体を回るのが早い。熱で霞がかっていく理性が、『お前は酒に弱いだろ! 飲み過ぎるなよ!』と叫んでいる気がした。もちろん無視した。
「そりゃ特別な力はなんもなかったわよ。私に比べればザコよ、ザコ。でも私たちがあの異界迷宮で最高のパフォーマンスを発揮できたのはあいつのおかげだし、あの機転と冷静さにはいつも助けられてたし、料理は失敗しないし……」
「ラヴィーナ、いっつも火力間違えるもんね」
その通りだ。私が作れる料理はサラダとスープだけ。それ以外の火を使う料理は全て黒焦げになってしまう。結界もうまく張れないし。私が結界を作ろうとすると2秒で魔石の魔力が枯渇する。繊細な魔力コントロールは苦手なのだ。
「この六芒星のイヤリングのこと、知ってる?」
「一応、噂くらいならね」
「リゼナイド鉱石はね、魔力を注ぐことで受信機の役割を果たすのよ。ただし、受信と送信を行えるのは同じリゼナイド鉱石から作られたもののみだけどね。私みたいにこうしてイヤリングとしてつけておくと、魔力を流すことで仲間からの声が聴けるの。だから私たち『六芒星』のメンバーは、みんなこうして六芒星のイヤリングをつけてる。すごく小さな音しか拾わないから、耳から離しちゃえば聞こえないんだけど、これつけたまま行動してると、独り言とか駄々漏れなのよね……」
「へぇー」
私の説明に、キリエナは感心した様子で頷いた。私はこれをおもに異界迷宮に潜る時に使っていた。なにせ、プライベートが聞き放題になってしまうのだ。それでもあの3人は休日の待ち合わせなどに利用していたようだが。
「でもそれってさ……今近くに誰かいて、受信状態だったらラヴィーナの愚痴、全部聞かれちゃうってことよね?」
「……」
私は何も言わずにイヤリングを外して鞄にしまった。確かに、言われてみればその通りである。梟の止まり木亭は『六芒星』の行きつけの店だった、そばにかつての仲間たちがいる可能性は――高くはないが、低くもない。『可能性は常に五分五分』である。
「昔のパーティって『六芒星』だよね? まだそのころ私はここに来てなかったから詳しくは知らないけど、すごいパーティだったらしいじゃん」
「まあ……自分で言うのもなんだけど、なかなかのパーティだったと思うわよ」
私がグラスの中身を飲み干すと、すかさずキリエナがボトルからミードを注いだ。薄暗い店内だが、わずかな明かりが琥珀色の液体を照らし出す。グラスを揺らしながら、私は語るべき言葉を探した。
「……まず、『銀ノ流星』アイシャ。彼女は、『六芒星』の特攻役だったわ。圧倒的な機動力と破壊力で、こと破壊に関しては、私も彼女には一歩譲るわね。……アイツと一番仲が良かったのも彼女よ」
グラスの中に映し出された自分は、どんな表情をしているのか。私はなんとなく目を逸らし、口を開いた。
「そして『無貌ノ盗賊』シェイズ。誰も本当の性別を知らないけど、その腕は確かだった。追跡に、罠の解除に、シェイズは必ず必要な人材だった。『六芒星』が解散するときに、一番ぐずったのはあいつだったわね」
人好きのする笑顔を思い出しながら、私はグラスを傾けた。何度、あいつのように笑えたら、と思ったことか。無邪気に笑うことなど、私にはできそうもない。
「あとは、私と。『六芒星』を語るのであれば、外せない人が――」
そのとき、私はふと顔をあげた。何か予感があったわけではなかった。本当に何気なく顔を上げて、ただ耳を澄ませた。
微かに聞こえてきたのは、会話する声だ。
――マスター、久しぶり。
――おや、今日は懐かしい来客が多い日ですな。
――ボクは定期的に来てるよー。
――はは、シェイズ殿にはご贔屓に――
「ありゃりゃ。こりゃ偶然――どしたの、ラヴィーナ?」
私はテーブルに突っ伏していた。無理だ。今は心の準備ができていない。会えるわけがない。
「うう……」
「あー……なんかあったんだね? 『六芒星』が解散するときに」
『なんかあった』のだ。正確に言うのであれば、私がやった。おかげで、昔の仲間たちと顔を合わせるのは気まずい。
とはいえ、気にならないわけではない。むしろ気になる。良くないとは思いつつも、私はレンとシェイズの会話に耳を澄ませた。しかし、少し遠ざかってしまったのか、うまく聞き取れない。
「……あれ、使えばいいじゃん」
「! なるほど、それだ」
机に肘をついて、キリエナは私の鞄を指さした。あのイヤリングを使えば、会話の傍聴が可能――一瞬、頭の片隅に善意の迷いが生まれたが、気になるものは仕方がない。私は鞄から金色の六芒星のイヤリングを取り出し、右耳に装着した。
「魔力を通して、と……」
『……で、何の用だよ、シェイズ。なんか用事があるんだろう?』
『いやー、あの女の子が気になってさぁ』
「……女の子?」
私が訝し気な声を上げると同時に、レンとシェイズのものではない声が、耳に飛び込んできた。
『いい。確かに私たち『六芒星』は、個々の戦闘力の高さで目立ってた。でもそれを支えていたのは――聞いてる?』
びくり、と肩が跳ねた。
(う――嘘でしょ――)
聞き慣れた、落ち着いたアルトの声。
そういえば、マスターは先に2人組の客がいると言っていた。では、隣の個室にいるのは――
『起きろ。レンに目を付けたことは褒めてやる。だけど、あいつは私のだぞ』
(ぎゃあああああ!? 嘘、嘘でしょ!? なんでよりによって今日、ここにいるのよ――)
「なに? どうしたの?」
「隣にいるの……『銀ノ流星』アイシャだわ……」
私は視界が暗くなっていくのを感じた。マズイ。マズイ。シェイズとレンはなんだか不穏な会話をしているし、ここで気づかれたら――それこそ、何が起こるかわからない。
最悪だ。まだ誰も、気持ちの整理なんてついていないはずだ。3年前のあの事件を、完全に振り切っている仲間なんていないはず。その状態で顔を合わせれば――
「巻き込まれないように、なんとかうまく逃げるしかないわね……!」
「そ、そんなにヤバイの? 普段あんなに自信満々なラヴィーナでも?」
「アイシャが本気を出したら、この辺一帯吹き飛ぶわよ」
もちろん、私だって時間をかければできなくはないのだが。恐ろしいのは、彼女――『銀ノ流星』アイシャは、レンという男に非常に執着しているということだ。