第7話 ラヴィーナ
「こんちはー」
俺は店の扉を開けて中に声をかけた。
観光客が通る大通りから2本外れた通りに、レイワの店は存在する。雑貨店という名目で営業をしているが、結局のところ迷宮都市クロ―ディアでは冒険者向けの品物が最も売れる。
「あーい、いらっしゃーい」
店名は確かそのまま、レイワ雑貨店とかだった気がする。店の奥のカウンターに、気だるそうに肩肘をついている女性が店長だ。
薄い紫色の髪が光を浴びている。眠そうに半分閉じられた瞳は金の輝きを持ち、全身はいつも通り、真っ黒のドレスで覆われている。
俺は店に入ってすぐの場所に置いてある、木彫りの人形に声をかけた。
「冒険初心者セットを1つと、結界用のクズ魔石を20個頼む」
赤い宝玉を埋め込まれた木彫りの人形――これもまた、【遺物】だ。いったいどこで発掘されたものかはわからないが、この人形のおかげでレイワ雑貨店は一定数の顧客を確保していると言ってもいいだろう。
店長のサボリ癖を助長しているとも言うが。
注文を認識した木彫り人形の目が赤く光る。そのまま滑らかな動きで立ち上がり、店の棚から次々と商品を籠に放り込んでいく。
「え? え? なんですか、あれ?」
「この都市でよくわからないものを見たら、それはだいたい【遺物】だ。異界迷宮産の道具だよ」
俺は商品選びを人形に任せ、奥のカウンターまで進んでいく。店長のレイワは、カウンターの目の前に立って初めて俺を認識したようだった。
「……あれ。レンじゃん、どしたの?」
「ああ。ちょっと初心者の面倒を――寝るな」
目を閉じて船を漕ぎ始めたレイワにチョップを入れて起こす。
「……いつも通り注文しておいて……」
「いや、もう注文したんだよ。会計だ、起きろレイワ」
人形が籠をカウンターに置く。そこには冒険者用初心者セットと、20個のクズ魔石が収められていた。
「んあ……金貨1枚……」
「相変わらず雑な会計してるな、お前……」
まあ、お得な方だ。店長が言っているのだからいいだろう。ほかの店で買うならば、金貨1枚と銀貨7枚くらいは持っていかれそうな買い物だ。
「どうする? 俺が貸してやってもいいが……」
「いえ、自分で払います!」
問いかけたが、要らない心配だったらしい。リュインが金貨を取り出してカウンターに置く。レイワがそれを胡乱気な瞳で見て、面倒そうに右手で持ち上げてカウンターの裏の棚に放り込んだ。俺は籠を持ち、全身から『動きたくない』オーラを撒き散らすレイワに背を向ける。
「宿に向かうぞ、リュイン」
「は、はい!」
「まいどあり~……」
俺たちではなくカウンターに言っているのではないかと思うほど上体をカウンターに預けて、レイワは気怠そうに手を振った。
「なかなか、強烈な方でしたね……お店、どうやって回ってるんでしょう……」
「人形たちがなんとかしてるんじゃねーかな、たぶん」
店の外に出て沈み始めた太陽を見ながら俺は答えた。街のあちこちで、〈光ノ魔石〉を利用した街灯が灯り始めている。迷宮都市クローディアは、夜になったからと言って眠りはしない。
夜は人目を忍ぶ者たちが動き回る時間だ。いくら魔道具が発展して明るくなろうとも、多くの人間が寝静まる夜の時間は、後ろ暗い者たちのための時間なのだ。
「……夜にはあまり出歩くなよ。どんな奴がいるかわからないからな」
「は……はい……」
少し脅しつけるように言うと、リュインは怯えたように周囲に視線を走らせた。レイワ雑貨店は、商業街と鍛冶街のちょうど中間に存在する。周囲の露天は徐々に店じまいを始めているが、鍛冶街の職人たちはこれからが本番だと言わんばかりに多くの鉱石を運んでいた。
「すごいですね、あれが全部『火山』から産出されたものなんですか?」
「ああ、基本的にはそうだな」
職人たちに混じって、『火山』帰りであろう炭鉱夫たちの姿もチラホラと見える。炭鉱夫たちも、職人から直接依頼を受けたり、冒険者ギルドの依頼を受ける者がいる。
彼らが背中に担ぎ上げた袋には、大量の鉱石が詰まっているはずだ。
「ディメトライト鉱石はやっぱり希少なんですかね……」
「……ああ、うん。不思議鉱物だしな……」
ディメトライト鉱石――異界迷宮のことを語る時、この鉱石の話はよく話題に出る。
大雑把に言うと、『重量変化』と『形態変化』の特徴を持つ鉱石だ。高熱で1次形態に加工し、冷やす。そして再度高熱で加工すると、不思議な事にこの鉱石は軽くなる。体積も減る。そしてそのあとの加工は2次形態として記録される。
すると、あら不思議。軽くて小さなディメトライト鉱石に魔力を流すと、巨大な武器や防具に変形するのだ。
「……」
「師匠、どうしました?」
「頭痛くなってきた。なんだその意味不明さは……」
「……?」
そんな冒険者にとって都合のいい鉱石が存在するわけがない――のだが、なぜか実在するのだ。ほんと理解できない。
「よし、考えるのはやめた。アレはそういうものなんだ……そういうもの……」
「師匠はディメトライトの武器を持ってるんですか?」
「いや、俺は持ってない。昔の仲間が持ってたんだけどな」
黒髪をなびかせて、斧剣を掲げて駆ける少女の姿を思い出す。かつて『六芒星』で、圧倒的な攻撃力を誇った前衛の1人。彼女の魔術と斧剣の攻撃は、強力無比だった。
一流の冒険者。俺がどうあがいても到達し得ない、完成された強さ。
今思い返しても、『六芒星』はいいパーティだった。
――ただ、俺だけが不必要だった。
† † † †
私ははっきりと苛立っていた。その不機嫌なオーラは、どうやらパーティメンバーにも伝わっていたらしい。
「お、お疲れー」
「じゃあ、また明日ねー」
手を振る2人を無視して、私は歩き出した。後ろで友人が謝っているのが聞こえたが、足を止めることはしない。
「ちょ、ちょっと待ってよ、ラヴィーナ!」
「……なに? キリエナ」
肩で息をする友人に、私は苛立ち混じり――否、苛立ちで満たされた声を吐いた。腕を組み、勢いよく溜息を吐き出し、なんとか胸に居座る熱を追い出そうとする。
「なんでそんなに怒ってるのよぅ……」
困惑の声を出す友人に、私は少しだけ苛立ちを抑えることに成功した。とりあえず、目の前の友人は――悪くない。そんなには。
「あいつら、邪魔なのよ」
「そ、そう言わずに……女の子だけのパーティが大変なの、知ってるでしょ?」
「……」
いけない、とわかっていても過去のパーティと比べてしまう。指で自分の腕を叩き、自分が本気で苛立っていることを自覚する。
そもそも、キリエナ――彼女のパーティに転がり込んだのは自分だ。自分が我慢するべきなのだ。
理屈ではわかっている。だが、感情が荒れる。
「……いえ。怒っても仕方ないわね。ごめんなさい、キリエナ」
「う、ううん。ラヴィーナの思ってることはもっともだと思うし……」
胸が痛む。昔から押しの弱い友人だった。私には自分の苛立ちを露わにしても、決定的な亀裂にはならないだろうという打算がある。私の力を簡単には手放さないだろうという思惑も。
「……愚痴ってもいいかしら?」
「う、うん」
「ここじゃあれだし、私のお気に入りの酒場に行きましょ。奢るし」
「え、それって『梟の止まり木亭』のこと!? やった! 私、前から気になってたの!」
喜びを露わにするキリエナに苦笑する。昔の貯金はまだかなり残っている。今の稼ぎも普通に生活する分には困らないし、友人一人に酒を奢るくらいなら問題ない。日も落ち始めているし、今から向かって構わないだろう。
「じゃあ、さっそく行くわよ」
「え、今から!? ま、待って、ちょっとちゃんとオシャレしてから行きたい!」
「……まあ、いいけど」
今のキリエナは、魔導士らしい柔らかな黒のローブだ。内側には一応革鎧を着ているが、確かにオシャレとは言い難い。
「うう、ラヴィーナはいいよね……そのドレス、可愛いもんね……」
一方、私が来ているのは真紅のドレス。【遺物】でもあるこの装備は、私の魔導士としての強さを支える装備でもある。もちろん、私自身の溢れる才能の方が装備よりも重要だが。
「……まあ、これが一応最高峰だしね。私の装備の中では」
防御力もそれなりにあるし、なにより自分の魔術を強化するこのドレスを、私は大いに気に入っている。
『……なんか、胸のあたりスカスカじゃ――なんでもない。なんでもないってば!』
嫌な記憶を思い出した私は腕を握りしめた。あの男、いつか絶対にシメる。
「じゃあすぐ着替えてくるから! ちょっと待ってて!」
ここからキリエナが泊まっている宿は近い。本当に戻ってくるのはすぐだろう。私は溜息をつき、空を見上げた。
「……なんでこんなことになってるのかなぁ……」
組んでいた腕をほどき、足元の鞄を持ち上げる。あまり道具を持ち歩かない私だが、それでも持ち歩いているものがある。
鞄の中から金色に輝く六芒星のイヤリングを取り出す。『火山』から産出される、珍しい鉱石――『リゼナイド鉱石』を加工した道具だ。一緒に発掘されたリゼナイド鉱石は、互いに同じ共鳴能力を持ち、ある程度の距離までならば同じ鉱石同士、固有の振動を放つ。
珍しいものだし、それなりに高価なのでこれを持っている冒険者は少ないが……これをイヤリングに加工して耳に下げることで、短距離ならば会話を可能にする。多少魔力は持っていかれるが、私たちにとってはとても有用な道具だったのだ。
「……」
それを天にかざしてから、私はいそいそとイヤリングを右耳に着けた。
(……いや、違うわよ。別に梟の止まり木亭に行けば会えるかもとか思っているわけではなくて。未練とかでもなくて。キリエナがオシャレするから私もイヤリングくらいは着けておいた方がいいかなって思っただけで――)
「おまたせ、ラヴィーナ!」
「ひゃわっ!?」
ぐるぐると考え込んでいた私の肩を、キリエナが叩いた。振り向けばそこには、群青のサッシュ・ブラウスと紺色のティアード・スカートを身に纏ったキリエナが立っていた。
「どうしたの、可愛い声上げて」
「ちょ、ちょっと驚いただけよ! ……というか、気合い入れ過ぎじゃない?」
「え? い、いや、別に? 素敵な出会いとか期待してないですし?」
へたくそな口笛を吹くキリエナ。
「あんた、あの2人のどっちかと付き合ってるわけじゃないの……?」
「え? うぅん、好意は持たれてるみたいだけど、別に付き合っているわけじゃないよ」
「ああ……そうなんだ……」
にっこりとほほ笑むキリエナに、私は背筋が寒くなるのを感じた。この問題にはこれ以上突っ込まないようにしよう。男女の機微は私には荷が勝ちすぎる。
「ダンディなおじ様とか、最近会えてないなぁ……ギリアスにはちょこちょこいたんだけど」
「まあクローディアの男たちは基本むさくるしいからね……」
魔導国家ギリアスと迷宮都市クローディアを比べれば、傾向としてそうなる。男から見れば、クローディアとギリアスだとどちらがいいのだろう。ギリアスの女性は、華やかで強かな傾向が強い。
「……男はバカな女が好き、って本当なのかな」
「あ、それ本当だよー」
しれっと同意されて、私は肩を落とす。であれば、賢い私はモテないことが約束されている。
「正確に言うと、男って『すごい!』って言われたいんだよねー。だから女に『知ってる』とか言われると、結構な確立で不機嫌になるよー」
「面倒くさい……」
「慣れてくると単純で面白いよー」
思えば、キリエナは昔から要領のいい少女だった。愛嬌で男に気に入られ、かといって女性に疎まれるようなことはせず。なんというか、バランス感覚に優れていたのだ。
「……まあ、とりあえずいいわ。行きましょうか。寒くない?」
「じゃあ暖めてよ、ラヴィーナぁ」
はぁ、と溜息をついて魔術を行使する。熱や炎を操る私にとって、人一人の周囲の空気を暖めることは容易い。近くにいないと、さすがに厳しいが。
「へそなんか出すからよ」
「いいじゃん、別に~」
私はキリエナを連れて『梟の止まり木亭』に向かった。その先で、奇妙な出会いを果たすことを知らないままに。