第4話 呪詛の魔術
「余計な音を立てるなよ」
見渡す限りの野原が広がる異界迷宮、『草原』。種々様々な草が生い茂り、中には成人と同じサイズまで成長した草も存在する。そのため、場所によっては見通しがかなり悪い。
「は、はい……!」
緊張した様子で魔導杖を握りしめるリュインをちらりと見て、俺は移動を開始した。
転移門はすぐ後ろにあるが、冒険者ギルドの規則で転移門のそばに拠点を築くことは禁止されている。危険な生物に襲われ、自分の命惜しさでその危険な生物ごと転移門に飛び込む冒険者が多いためだ。ゲルゼのような職員は、迷い込んだ異界迷宮の生物を倒すために存在する。
異界迷宮で重要になるのは拠点の確保。異界迷宮に潜る時間が半日だろうが、一日だろうが、拠点を確保してその拠点を中心に動くのがもっとも安全だ。解説をするにも、拠点を築くまでは迂闊に口も開けない。
幸い、しばらく移動したら拠点に適した場所があったので、俺は背嚢の中から4つの〈魔石〉を取り出す。周囲が踏み固められているのは、前に違う冒険者が使ったからだろう。かすかに焚き火の跡もある。
「結界、ですか?」
「……詳しいな。気休め程度だが、やらないよりはマシだ」
今はほとんどの冒険者が【エリア】と呼ばれる魔道具を使用している。とはいえ、【エリア】はそれなりに値段が張るし、使い捨てだ。〈魔石〉だけを購入したほうが安上がりのため、俺は常にいくつかの〈魔石〉を持ち歩いている。
「結界でしたら、私がやりますよ。これでもちょっと得意なんです」
「……魔力の扱いは、俺よりも魔導士のリュインの方が上か。いいだろう、やってみてくれ」
俺が腕を組んで見守る意思を示すと、リュインは嬉しそうに魔石を配置していく。少し広げ過ぎだが、安定させる自信があるのだろう。俺がやる場合は、もう少し狭くなる。
「――行きます」
杖を構えて、リュインが息を吸い込む。魔力の操作に詳しくない俺でも、その瞬間周囲に魔力が満ちたのがわかった。
〈魔石〉。帝国領の異界迷宮、『洞窟』から産出される、魔力を宿した石のことだ。そしてほとんどの〈魔石〉には『属性』が存在する。
〈火ノ魔石〉は台所に、〈水ノ魔石〉は洗い場に、〈光ノ魔石〉は街灯に。それぞれが役割に見合った場所で活躍している。
『結界魔術』もその1つ。異界迷宮において、魔力を放出し続ける領域を作ることによって、生物が忌避する空間を作り上げる。そのため、『結界魔術』を行うための魔石は、どんな魔石でも構わない。サイズが大きければ大きいほど長持ちするのは確かだが。
「彼方より此方へ、聖域よ――在れ」
キィン、と4つの魔石が同時に涼やかな音を立てた。魔石に魔力を注ぎ込み、それを呼び水にして魔石の『魔力放出状態』を維持する。一度魔力を吐き出し始めた魔石は、そのあとは操作せずとも魔力を出し続ける。俺が購入している〈魔石〉はどれもサイズが小さく、魔術になるほどの魔力はため込んでいない。
「へぇ……」
俺は周囲を見回し、その結界の出来栄えに感嘆の声を漏らした。四方に配置した魔石からは魔力の放出が続いている。この魔力の放出が少なければ、結界内部の魔力濃度が足りずに結界にならない。かといって多すぎれば、短い時間で魔石の魔力が尽きてしまう。
そのバランスを見極めて、広さに応じて魔力放出量を調整するのが腕の見せ所だ。こればっかりは術者の経験次第なので、下手なヤツは本当に下手である。
「……いや、うまいね、ほんと」
2秒で魔石の魔力を全部引き出していったかつての仲間を思い出しながら、俺はリュインを褒めた。あのバカに比べれば、上等なんてレベルじゃない。自信に見合った実力だ。
「えへへ、ありがとうございます」
頬を赤くするリュインを見ながら、俺は止めていた息を吐き出した。『結界』を作っても、異界迷宮の中の安全が保証されるわけではない。『結界』が効かない奴もいるし、あまり膨大な魔力を放出すると、その魔力量に興味を惹かれた奴が襲撃してくることもある。
「……」
頭痛を堪え、俺は背嚢の中から道具を取り出す。戦闘に使う道具、生活するための魔道具。必要のないものはここに置いていく。
「……色々持ってるんですね」
俺が道具を整理していると、リュインが手元を覗き込んできた。俺のような平凡な冒険者が1人でやっていくためには、便利な道具が必ず必要になってくる。
「ああ。異界迷宮の中では何が起こるかわからないからな」
「でも、『草原』に並んでいた冒険者のみなさんは、あまり大荷物じゃなかったみたいですけど……?」
「人を増やして、特殊な状況に対応することはある。1人の場合は、自分のできないことを道具に肩代わりしてもらうからな」
「な、なるほど」
背嚢の中から、小型の背嚢を取り出した俺は、そこに戦闘や剥ぎ取りに必要なものを詰め込んでいく。剥ぎ取り用のナイフの刃を確認し、準備は完了だ。
「よし、行くぞ。今日の目標は小鬼と魔狼の2種類。それ以外の相手は、やむを得ない場合しか交戦しない。何か質問は?」
「はい。戦いになったら、私はどうすればいいですか?」
「……そうだな。実戦の経験はないんだったな」
頷くリュイン。
「何ができるのか……結界のほかに得意な魔術は?」
「あ、あの、私……魔力の操作は得意なんですが、放出があまり……だから現象系は得意じゃないんです」
「……ふむ」
怯えたように首を縮めるリュイン。俺は顎に手を当てて考え込む。魔術の扱いに関しては、俺よりも適任がいる。なにせ、あいつらは本物の魔導士だったのだから。俺は記憶を探り、かつての仲間たちの発言を思い出す。
『全部燃やせばいいのよ、こう、なんかドバーッと!』
『愚か者め。的確に魔術を使い分けてこその魔導士だ。見よこの燦然と輝く6本の杖を! はは、美しいな!』
「役に立たねぇな……」
「ヒッ」
「あ、ごめん。違うんだ、リュインに対して言ったわけじゃなくてな」
記憶の中にある魔導士どもは、感覚派と主張が激しすぎてリュインへのアドバイスには適さない。俺はなんとか記憶を探り、魔術の知識を引っ張り出す。
「呪詛系の魔術なら適性があるんじゃないか?」
「呪詛系……ですか」
魔術にはいくつかの系統があり、魔力量と魔力の放出性能で適性が決まる。呪詛系は放出性能が低くても、比較的扱える魔術だったはず。
「わかりました。試してみます」
「最初は見学していてくれよ」
「はい。ありがとうございます、師匠」
俺は背嚢を背負いなおし、慎重に結界から足を踏み出した。だいぶ荷物は軽くなったとはいえ、異界迷宮が危険なことに変わりはない。転移門との間に狙っているものがある可能性は低いので、遠ざかる方向に足を運ぶ。
「……よし。幸先が良い」
見つけた。俺はリュインを手招きし、その痕跡の前に誘導する。
「コレ、わかるか?」
「えぇーと……横に倒れた草……ですか?」
「……うん。まあ正解」
なぎ倒された背の高い草を見せ、俺は身を屈めた。『草原』の大地は、足を取られるほどではないが、柔らかい。まだ足跡が残っていた。体毛もわずかに確認できる。
「この倒れた草は、何かが通った跡だ。その周辺を調べれば、何が通ったかも特定できる。この形状は小鬼の足跡だな。小鬼は定期的に駆除依頼が出ているが、その素材に大した旨味はない。なんで駆除依頼が出ているかわかるか?」
周囲を警戒しながらリュインに問いかけるが、リュインは首を横に振った。
「奴らは女を浚う。犯して子供を産ませるためだ。そして繁殖力も高い。だから数を減らさないといけない……俺みたいな冒険者は定期的に小鬼駆除の依頼を受けている」
「な……なるほど……」
小鬼の駆除は冒険者にしては珍しい、『安定した収入』になる。その依頼の存在を知っている冒険者はそう多くはないし、冒険者って生き物は基本的には刹那主義だ。地味にチマチマ小鬼狩り、を嫌う冒険者は多い。
夢を求めて迷宮都市クロ―ディアにやってきたのであればなおさらだ。小鬼狩りは安定した収入にはなっても、それだけで生活できるほどの金にはならない。一攫千金のような夢もない。
「小鬼狩りは楽な依頼だ……小鬼を探す方法さえ知っていれば、な」
「はい」
倒れた草の傾きと、足跡の深さを調べる。草はほとんどが横になぎ倒され、地面と平行に傾いている。ということは、通ったのはかなり最近だ。足跡の深さはそれほどでもないから、獲物を担いでいるということもなさそうだ。
「数は4匹。追うぞ、リュイン」
「はい!」
倒れた草の跡を追いかける。小鬼どもは俺の腰までの身長しかなく、当然歩幅も小さい。走らずとも、普通に歩けば追いつける。しかもなぜか喋りながら歩くので、耳を澄ませていれば問題はない。
しばらくリュインと無言で歩いていると、前方からゲギャゲギャとやかましい鳴き声が聞こえてきた。
「……小鬼だ」
頷くリュインに、ここで見ているように指示を出す。男と女が同時に姿を見せると、小鬼は女を優先して狙う。種族としての本能なのだろうが、今日のような日には面倒な話だ。
「ゲギャ?」
「ふっ」
草をかき分けて飛び出した瞬間、小鬼の1匹がこちらを振り向いた。俺は腰から黒塗りの短剣を取り出し、小鬼の首を引き裂く。溢れ出す緑色の血液。
「ゲギャゲギャ!! ゲギャ!」
敵が現れたことに気づいた残りの3匹が、俺を指さして吠える。相手の武器は、短槍。錆びたショートソード。盾。
「……」
俺が身に着けている装備に比べれば、お粗末なものだ。だが、お粗末だからといって油断してはいけない。宝石で飾られた宝剣だろうが、石と木で作られた棍棒だろうが、執拗に殴られれば人は死ぬ。
俺の左手に、青白い輝きが走った。
「――掌威」
魔力を宿した左手を、小鬼の構えた盾の上から叩き付けた。瞬間、衝撃が小鬼ごと盾を吹き飛ばす。全身を走った魔力の衝撃に、盾を持っていた小鬼は意識を失ったのか、起き上がってこない。
【遺物】、『衝ノ手袋』。見た目は普通のグローブだが、装着者の魔力を糧に、手のひらの方向に衝撃を発生させる遺物だ。
【遺物】と【魔道具】の存在は、俺にとってはなくてはならないものである。足りない実力を埋め、凡人の才覚を誤魔化すために。
「おっと」
残った小鬼が、短槍を振り回す。そこに武術なんてものはなく、ただ闇雲に振り回すだけの動きだ。そんな雑な動きに当たるわけにはいかない。上から振り下ろした動きに合わせて、間合いの内側に潜り込む。
「ギギッ!?」
右手に握りしめた短剣を一閃し、喉を掻き切る。今はただ切れ味の鋭い短剣だが、この短剣も【遺物】。『劣化しない』というだけで、扱いやすい武器だ。
残ったのは、錆びたショートソードを持っている小鬼だけ。その小鬼は、多少考える頭を持っているのか、俺と仲間の戦いを観察していた。今は距離を測り、逃げるかどうか考えているようだった。
逃がすわけにはいかない。俺は小鬼を憎んでいるわけでも、恨みを持っているわけでもない。ただ、今日のノルマを達成できなくなった場合のリスクを考えれば、小鬼1匹をみすみす逃がす理由がない。
俺が短剣を構えた瞬間、小鬼が一瞬怯む。その時、俺のものでも小鬼のものでもない、涼やかな高い声が響いた。
「――揺らせ、『混濁』!」
「よくやった」
声が響くと同時、目に見えない魔力の塊が小鬼の頭に直撃。急に眩暈を起こしたように、小鬼の足がふらついた。
魔術――呪詛系の魔術だ。
そんな隙を見逃すわけがない。俺は短剣の先端を、小鬼の喉に埋め込む。小鬼は口の端から緑の血の泡を吹きながら、絶命して地面に崩れ落ちた。
続いて、俺は気を失っている盾を持っていた小鬼のところに歩み寄り、足で喉を圧し折る。これで4匹の小鬼は、全員が絶命した。
「出てきていいぞ、リュイン」
「は、はい……」
こうして、弟子リュインを連れた初戦闘は終わった。手応えなんてものはなかったが、最初なのだからこんなものだろう。いきなりレベルの高い敵に出てこられても困る。
俺はかつての自分の初陣を思い出し、吐きそうになった溜息を堪えた。
「いいタイミングだった。呪詛系の魔術、問題なさそうだな」
「あ、相手が、小鬼だからです」
「……というと?」
俺が褒めると、リュインは嬉しいような戸惑うような複雑な表情を浮かべて、言葉を紡いだ。
「小鬼は魔力が非常に低いんです。だから呪詛系の魔術には弱いんですよ」
「あ……ああ~、なんかそんな話聞いたことあるな。なんだっけ、魔力量が多ければそれだけ呪詛系の魔術は効きづらいんだっけ?」
俺はあやふやになった記憶を探る。なにせ呪詛系や強化系の魔術は使い手が少なく、いたとしても冒険者になって名を残す奴はそういないのだ。
「はい。今の魔術、『混濁』も人間相手だとほとんど通じないでしょう。魔導士相手だったら何の影響も与えられないと思います……私にもう少し魔力放出の才能があれば……」
しょんぼりと俯くリュイン。俺は彼女を慰めるために、頭を撫でた。
「リュイン、安心しろ。少なくとも小鬼相手には有効だとわかったんだ。それこそ、欠点はほかの人間が埋めればいい話さ」
「そ……それは、そうなんですが……」
すすっ、と俺の手から逃れるリュイン。俺は内心で溜息をついた。師匠業ってのは、結構面倒だな……。
「ま、ともあれ小鬼から耳を剥ぎ取るぞ。これが討伐証明になるからな」
「は、はい」
俺が剥ぎ取りナイフを渡すと、リュインは死体となった小鬼の隣に跪いて、片耳をそぎ落とした。わずかに溢れ出す緑色の血液に驚くこともなく、淡々と片耳を剥いでいく。
(……変なヤツだな。ただの箱入り娘ってわけでもないのか)
実戦は初めて。そのくせ、小鬼の死体に動揺した様子はない。剥ぎ取りという行為にも、大した抵抗があるわけでもない。歪な少女だ。
「……師匠は、魔力量はどのくらいですか?」
「あ? どうした、急に」
「い、いえ。少し、気になりまして」
死体にも血液にも驚かないのに、リュインが耳を剥ぎ取る手元は酷くたどたどしい。俺は剥ぎ取り用のナイフをリュインから受け取り、見本を見せる。
「おお……なるほど、切るというよりはへし折るんですね」
「どうしても骨があるからな……魔力量、だったか。俺は少ない方だな。まともな魔術は扱えない」
「そう、ですか」
リュインはまた、奇妙な表情を作る。嬉しくて笑い出しそうな、けれどそれを必死にこらえているような顔だ。まさか、自分の師の魔力量が少ないことを喜んでいるのだろうか。
(ちょっと、警戒しておくか……)
もしも、俺に魔術を使って金を奪おうとしているのであれば――それ相応の報いを受けさせなければならないだろう。
4匹分の小鬼の片耳を剥ぎ取り、俺はその場で小鬼たちの腹を裂いていく。剥ぎ取った小鬼の片耳からはかすかに血が滴っているので、魔狼に後を追われると面倒くさい。小鬼たちの腹を裂いて、血の匂いを濃くすることで、魔狼に追われるリスクを軽減できる。
「一度拠点に戻るぞ、リュイン」
「あ……はい、師匠」
じっと自分の両手を見つめていたリュインは、俺に声をかけられて顔を上げた。緑色に汚れた手を、慌てて革鎧で拭う。
リュインが着ている岩蜥蜴の革鎧は、このレベルの敵を相手にするのであればかなり頑丈だ。露出している部分、顔などを狙われない限りは大丈夫だろう。
「今日の予定では、小鬼を15匹。それをギルドに提出する。魔狼が出れば狩って、毛皮を剥いで売る。何か質問はあるか?」
俺の問いかけに、首を横に振るリュイン。どことなく、心ここに在らず、といった様子だ。
「おい」
「……はい? ひっ!?」
顔を上げたリュインは、目の前に黒光りした短剣があることに気づいて、息を呑んで後ずさった。
「ここは異界迷宮の中だ。ピクニック気分で歩くな。悩みごとがあっても思考を切り替えろ。異界迷宮では、本当に何が起こるかわからない」
「は、はい……すみません、師匠」
反省したならいい、と俺はリュインに背中を向ける。異界迷宮は恐ろしい場所だ。誰も彼もが、異界迷宮の華やかさに騙される。美しく咲く、『成功』という花に魅せられて、まるで虫のように寄っていく。その花が咲くために、どれだけの命が犠牲になっているかなど、考えもせず。
異界迷宮は、天国よりも地獄に近い。
(なんで俺は……そう分かっていても、冒険者を続けているんだろうな……)
未練だ。結局のところ、俺も花に魅せられた虫の一匹に過ぎない。
楽しさを忘れられないのだ。
『レン! 行くよ、今日は『樹海』に挑むからね!』
記憶にこびりついた彼女の声が不意に蘇る。あの楽しさを、あの日々を、あの時間を。結局のところ、まだ諦められていないだけなのだ。
結局、今日の成果は小鬼16匹と魔狼が2頭。数字を見れば悪くない成果なのだが、なぜか俺の胸には奇妙なもどかしさが残ったのだった。