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第3話 異界名ー『草原』ー

「あれが異界迷宮『草原』の入り口だ」


 俺は遠くに見えてきた薄茶色の建物を指さして告げる。レンガと石を組み合わせて作られた、冒険者ギルドが所有する建物だ。異界迷宮が生み出す利益は莫大かつ不可解。その管理者は国であったり個人であったり部族であったり、時代によって移り変わってきた。


「あれが……」


 薄茶色の建物の周囲には、ガヤガヤと多くの冒険者たちが集まっていた。ランク3異界迷宮『草原』はわかりやすくシンプルで、人気が高いのだ。


「入り口に立っている男性は誰ですか?」

「ん。あれは冒険者ギルドの職員だな……名前はゲルゼ。腕利きだよ」


 蛇のように細められた目で、冒険者が提示するカードを一瞥する男。その左手には短めの槍が握られており、欠片も油断していないことがわかる。荒れた黒髪は、乱雑に一本にまとめられていた。


「冒険者ギルドは、管理している異界迷宮には警備の職員を立てている。異界迷宮のランクが高いほど、入り口を見張る冒険者のレベルもあがる。ゲルゼは本来、ランク3の異界迷宮を見張るような腕前じゃないんだがな……」


 順番が来た俺は自分のポケットから銀色の冒険者カードを取り出して、ゲルゼに見せた。俺の隣のリュインも、慌てて白の冒険者カードを見せる。


「通りや。まだこんなとこおったんか、お前」

「抜かせ。お前にだけは言われたくないわ」


 右手を額に当ててカッカッカ、と笑ったゲルゼは、俺ではなくリュインに目を向けた。


「んん? 嬢ちゃん、なんかどっかで俺と()うたことありゃせんか?」

「き、気のせいじゃないですか?」


 顔を覗き込もうとするゲルゼから逃げるように、リュインが俺の後ろに隠れて顔をそむける。


「おい、ナンパならあとにしてくれ。後ろがつかえてる」

「んー……一度見たら(・・・・・)忘れんはず(・・・・・)なんやが。まあいいわ、冒険者カードは本物やし、はよ通りや」

「は、はぃぃぃ……」


 横を通り抜けようとしたリュインの腕を、ゲルゼが掴んで止める。俺も反応できないほどの速度だった。そのままリュインの顔を覗き込み、囁きかけるように言葉を紡ぐ。


「レンは一応、俺のダチや。もし騙すつもりなんやったら容赦せんぞ」


 蛇のような目に何を見たのか、リュインがこくこくと頷く。俺は後ろからゲルゼの頭をはたいた。


「いたっ」

「俺が簡単に騙されるような奴に見えるのか?」

「まあ……底なしのお人よしやしなぁ、お前……なんか捨て犬とか拾ってそうやし」

「そんな目で見ていたのか……」


 捨て犬を拾ったことはない。最近拾った――というか半分以上強制的に拾わされたのは、ここで怯えている少女だ。


「ま、いいわ。嫌な感じもせえへんし、とっとと行きや」

「お前が引き留めたんだろうが……」


 東の小国出身であるというゲルゼの独特なイントネーションに、奇妙な安心感を覚える。ふざけたり凄んだり、つかみどころのない男ではあるが、悪い奴ではない。口調が陽気なのも、そう感じる理由だろう。


「じゃあ行ってくる」

「おう、いけいけ」


 俺はリュインを連れて建物の中に入る。日差しが遮られて、ひんやりとした空気が肌を撫でた。今の時間帯は朝だが、異界迷宮の時間が何時かまではわからない。


「あ……あれが、転移門……」


 リュインの視線の先には、白亜の柱が2本建っている。その間を、白と黒の粒子が淡く明滅しながら揺らめいていた。


 転移門。異界迷宮に繋がっている、入り口であり出口。原理も仕組みもその一切が不明。はるか昔から存在する、ブラックボックスだ。


「向こう側に『安全』なんてものはない。常に命が狙われていると思って行動するんだ」

「……はい!」


 俺の忠告を聞き、勢いよく頷くリュイン。異界迷宮につけられているランクは、1から10まで存在する。そして、ランクが高い――数字が大きいほど危険度が増す。このことから、ランク3の『草原』を軽視する冒険者は多い。


 しかし俺に言わせれば、異界迷宮はどれも本来人間が生きる世界ではない。どれほどの腕利きがいても、準備を怠る、運が悪い、たったそれだけの理由で死ぬ。


 背嚢を背負い直す。多くの異界迷宮の情報を集め、生き延びてきた俺が存在するいくつもの道具。これがあれば、生き延びる可能性は五分五分に上がる。どんなに準備を整えても、五分五分以上には上がらない。


 そう思わなければ、必ず足元を掬われる。


「行くぞ」


 リュインが緊張で唾を飲み込む音を聞きながら、俺は慎重に構えて転移門をくぐる。腰にぶら下げた短剣は、いざというときに使う。武器を構えていれば、その武器を使うために思考が一段階遅くなる。


 俺とリュインが揃って転移門を通り抜け、その瞬間俺たちは異界迷宮『草原』に足を踏み入れたのだった。




 † † † †




「クロンさーん。なんか『草原』でオススメの依頼、ない?」


 カウンターに肘をついて質問をしてくる男に、私は吐きそうになった溜息をなんとか抑えた。自分たちの実力は把握していても、全力で挑まないつもりの迷宮探索に『オススメ』をくれてやるほど、仕事が余っているわけではない。


 “紅”のパーティ、《ラドイゼル》だ。個々の実力も高く、最近は安定して『墓場』に潜っている。期待の若手、と言ってもいい。リーダーであるラクワズの持つ魔剣、【炎熱剣(ブレイズソード)】も、シンプルだが強力な戦力になっている。


「“紅”のパーティが、今更『草原』? 感心しないわよ」


 “紅”は上から数えて3番目の色だ。初心者も挑む『草原』に行っても、旨味は少ないだろう。『墓場』に行って【呪物】を掘るか、『樹海』に行って素材を取ってきたほうが旨味はあるはずだ。


 私が軽く嗜めるつもりで口を出すと、ラクワズは肩を竦めて答えた。


「今日はちょっと息抜きでね。毎日毎日『墓場』に潜ると辛気臭くなっちまうからな」

「……そう。別にいいけれど。『草原』だと今の貴方たちに見合う依頼はないわ。せいぜい適当に獣でも狩る(・・・・・・・・)といいわよ」


 若干毒を混ぜながら、目の前の自信過剰な若者に皮肉を叩き付ける。息抜きで異界迷宮に潜る? 冗談ではない。一体どれほどの冒険者が異界迷宮で死んでいっていると思っているのか。


 こんなパーティに、よりによって――


「アイシャもそれでいいよな?」

「……任せる」


 黒髪で左目を隠した少女は、どうでもよさそうに頷く。だが、その右目はなぜかしっかりと私を睨みつけていた。


 私の皮肉に気づいたわけではなさそうだ。ラクワズに対して欠片も興味を抱いていないのが伝わってくる。


「『銀ノ流星』……」


 ぽつりと少女の二つ名を呟いたが、当の本人は気にした様子はない。確かに聞こえているはずなのだが、私に対する敵意は少しも揺らがない。


「アイシャが加わったおかげで、俺たちもだいぶ戦力アップしたからな。そろそろ俺の二つ名も公式認定されるんじゃないか?」

「……そうかもね」


 公式認定。冒険者ギルドにも認められた二つ名は、正式な場所で名乗っても通用する。文字通り、二つ目の名前になるのだ。冒険者カードにも刻印される。

 ラクワズの二つ名――『焔ノ剣豪』は少なからず本人が言い始めたところもあるが、すでにだいぶ浸透している。実力だけでいけば、もう公式認定されていてもいいはずだ。


「まずはその軽薄な言動を直すべきだと、私は思うけれど」

「ははは、嫉妬かい? クロンさん」

「やめて、冗談でも不快だわ」


 吐き捨て、私はラクワズを睨みつける。本気の苛立ちを感じ取ったのか、ラクワズは慌てたように言葉を繋いだ。


「ごめんごめん。じゃあ、俺たちは『草原』に行ってくるから」

「いってらっしゃいませ」


 今ほど、登録冒険者が異界迷宮に潜る場合は、必ず冒険者ギルドに報告しなければならないというルールを恨んだことはない。

 実際確認しているわけでもないし、罰則も特にないので半ば形骸化しているルールだが、このルールのせいで『用もないのにギルドに来るな』と言えなくなってしまっているのだ。


 昔、行方不明冒険者が続出した時に、どの異界迷宮で行方不明になったのかを素早く把握するために制定されたものだが、もう必要ないのではないか。まあ、気にしている冒険者の生存確認ができる、という意味では役に立っているが。


 ラクワズがカウンターから去るが、アイシャは私を睨んだまま動かない。その様子に気づき、ラクワズが気楽に声をかける。


「どうした、アイシャ?」

「……先に行ってて。すぐ追いつく」

「待ってようか?」

「個人的な用事だから」


 なおも渋るラクワズを、パーティメンバーの1人が連れていく。実力が高いラクワズに今一歩及ばない彼らはわかっているのだろう。『銀ノ流星』ほどの冒険者の機嫌を損ねれば、あっさりとパーティを去る可能性もあるということを。控えめに言っても、彼らとアイシャの間に信頼関係があるとは思えなかった。


「で、何の用かしら?」

「余計なことをするな」


 私が問えば、鋭い視線と殺気に近い敵意が飛んでくる。


「余計なこと、って?」

「……さっき、彼の後ろに初心者がひっついていた」


 彼。ああ、彼か。

 私は彼女が何に引っかかっているのかに気づき、やんわりと笑みを浮かべた。


「私は冒険者ギルドの職員としての義務を果たしただけよ。彼ほどの冒険者を1人で潜らせるのは――」


「――もったいない、とでも言うつもり?」


「っ……!?」


 一瞬で踏み込まれた。片目だというのに、銀の右目から放たれる圧力は、私を圧倒していた。気圧されはしたが、なんとか体が後ろに行くのは堪える。


「彼に余計なものを背負わせるな。お前たちが考えるほど、彼は強くない」


 私は呼吸を整え、なんとか言い返す。負け惜しみに近いとわかっていても。


「元《六芒星》のメンバーの1人が……強くない、ですって?」

「彼はお前たちが思うほど、強くない。そして、お前たちが感じるほど、弱くもない」

「謎かけみたいね」


 本気で意味が分からず、私は内心首を傾げた。今のアイシャからは威圧感はなくなり、代わりになぜか、滲み出るような優越感が感じられた。気持ち、鼻の穴も広がっているように見える。


「わかるわけがない。私以外には」


 自信満々に言い切るアイシャの姿に、私は既視感を覚え、すぐに正解にたどり着いた。


「……あら、そう」


 これ、自分の恋人を自慢する彼女だ。


 そう気づいた瞬間、私の体から一気に力が抜けた。アイシャからは先ほどまでの歴戦の冒険者としての迫力はなくなり、代わりに年相応の少女の気配が漂ってくる。


 『銀ノ流星』アイシャ。


 かつて《六芒星》の前衛を担った冒険者の1人。


 無口で不愛想で滅多に笑わない少女が今、微かに笑っていた。まるで、大切な記憶を抱きしめるかのように、幸せな笑みを浮かべて。


 いたたまれなくなった私は、冗談のつもりで言葉を投げかけた。


「あ~あ。彼のこと結構本気で狙ってたんだけどな」

「……あ゛?」


 女の子が出してはいけない低音で脅され、私は思わず後ずさった。


「狙って『た』?」


 『昔の話だよな』――そう確認された私は、思わずこくこくと頷いた。少し怪しむように私を見つめたアイシャは、それでも納得したのか引き下がる。だが、そのあと仲間を見つけたかのように、目を爛々と輝かせて私の手を取った。


「見る目がある。今日の夜、暇?」

「え、ええ……」

「よし。私の行きつけの店を紹介するから、今日はそこで飲む」


 決定なんだ、と私が異議を唱える暇もなく、アイシャは踵を返した。そのまま軽やかに冒険者ギルドの出口へと歩いていく。


「あと、1つ訂正しておく」


 扉の手前で止まったアイシャは、左側の髪をかき上げた。逆光で詳しくは見えなかったが、左耳の近くで輝いたのは――金色に光る、六芒星。


「元、じゃない」


 その一言だけ残して、アイシャは冒険者ギルドを後にした。私は、呆然と彼女を見送ることしかできなかった。



 一流になりかけている冒険者との交流は大切だ。決して勢いや雰囲気に流されたわけではなく、私は理性的に冷静に考慮して断らなかったのだ。


 誰に聞かれたわけでもない言い訳を脳内で流しながら、そのあと私は次々と入ってくる冒険者たちの対応をこなしたのだった。


 なんとかミスなしで乗り切れたのは、僥倖といえよう。

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