第10話 理由
翌朝。ベッドから起き上がり、頭を軽く振る。酒の影響はもう残っていない。
「昨日は色々あったな……」
まさか、1日の間に初心者の世話を押し付けられて、3回も昔の仲間と再会するとは思わなかった。厄日かどうかは微妙なところだが、少なくとも平穏無事な1日ではなかっただろう。
「レンさーん、朝ごはんですよー」
「ああ、今行く」
宿屋の店員に部屋の外から呼びかけられ、もはや完全に起きる時間を把握されていることに苦笑する。冒険者たちを相手にしているこの宿屋では、朝食を作る時間は本来もう少し遅いはずだ。けれど早起きな俺に合わせて、軽い朝食を作ってくれている。
「お連れさんも起こしますかー?」
「ありがとう、頼むよ」
わかりましたー! という返事のあと、パタパタと廊下を走って行く音が聞こえる。もしバレたらきっと、『廊下を走るな!』と怒られることだろう。
頭を掻き、俺は部屋を出て階段を下りる。時間には余裕をもって起きるようにしているため、冒険者としての装備はあとで身に着ける。中には装備を着用した状態で寝て、そのまま朝食を食べて異界迷宮に向かうような冒険者もいるが、俺は休む時は休むことにしている。
「おはようさん、レン」
「おはようございます、ご主人」
受付に座って眠そうにあくびをしている宿の主人に会釈をする。対する主人はひらひらと手を振り、指で酒場の奥の席を指さした。
「昨日は大変だったぜ。あいつらだいぶ戻しやがってよぉ」
「ははは。それは災難でしたね」
この宿に泊まる冒険者たちは、中堅クラスだ。さぞ騒いで酒を飲んだのだろう。夜中の吐瀉物を処理するのも宿屋の仕事なのだから、宿屋の人間も大変だ。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
渡された粗い紙の束を受け取る。10日に1回程度の頻度で発行されている機関紙だ。大陸中の情報が乗っているが、どれも面白おかしく脚色されているため、話半分で読んでいる。
「面白いことが書いてあるだろ?」
「帝国と王国の戦況ですか?」
俺が素早く目を通しながら答えると、宿屋の主人は首を横に振った。
「そっちの戦争はまだ大したことにゃあなってねーよ。『洞窟』を持っている以上、帝国と本格的にぶつかり合う国なんてないだろうしな」
「『洞窟』を奪えたら話は変わってきますけどね」
「結構奥の方にあるし、厳しいんじゃねぇか?」
魔石を産出する異界迷宮『洞窟』は、帝国の生命線だ。機関紙によると、帝国とリアク王国の国境付近で小競り合いがあったらしい。
「そっちじゃなくて、2枚目の右下の方だよ」
「どれどれ……へぇ」
言われた部分に目を通すと、『聖女破門!?』の見出しが躍っていた。教王国フィルムスは、異界迷宮『聖堂』を擁する宗教国家だ。『聖堂』から帰還した人間は、『聖騎士』もしくは『聖女』となって国を支えることになる。
「でもなんか、ゴシップっぽいですねこの記事」
「ああ、真偽のほどは定かじゃないらしいぜ。なにせ、『6人目の聖女』なんて噂自体が眉唾もんだしなぁ」
「実在しないはずの聖女を破門だなんだと言われても、って感じですね」
機関紙を編集した者からしても単なるスペース埋めだったのか、その記事は非常に小さかった。俺は帝国とリアク王国の小競り合いの記事に戻る。
「あの2国はずっといがみ合ってるなぁ……」
「仕方ないんじゃねぇか? 帝国は穀倉地帯が欲しいし、リアク王国は領土を譲りたくはない。俺らが死んでもやってるぜ、たぶん」
俺が生まれる前から続いているいがみ合いだ。記事によると、今回の小競り合いでは死者が30人近く出たらしい。毎日毎日、迷宮都市クロ―ディアではそれに近い人数が死んでいく。戦争よりも、異界迷宮の方がよほど恐ろしい。
「ん……おはようございます、師匠……」
「ああ、おはようリュイン……眠そうだな」
「私……朝、弱くて……」
大きなあくびを漏らすリュインの後ろから、ひょっこりと少女が顔を出す。
「起こしてきましたよ、店長ー」
「誰が店長だ。俺のことはご主人と呼べと言っただろうが」
「なんか卑猥な感じがするので嫌です」
「どこが卑猥なんだ、どこが」
呆れたように溜息をつく宿の主人と、にっこりとほほ笑む少女。歳はまだ11歳くらいだろう。俺もあのぐらいの歳の頃は、色々な場所で働いていた。その経験は確実に俺の中に残っている。
「目がしょぼしょぼします……」
「リュインさん、無防備すぎますからね。私が呼んだら寝間着姿で普通に出てきましたから」
「お前……」
よくこの歳まで無事に生きてこられたな。どれだけ平和な環境で育ったんだろうか。
「ちっ、違いますよレンさん。昨日はちょっと寝付けなくて。寝不足なんです! 寝不足!」
「いくら寝不足でも寝間着姿で部屋の扉を開けるなよ……」
俺が呼びに行かなくて本当によかった。出会って二日目で気まずい関係になるところだった。
「うう、次から気を付けます……」
「頼むぞ」
今のリュインは冒険者の装備ではないが、動きやすそうな服装だった。よかった、ドレスとかで出てこられたらどうしようかと思っていた。それらしい荷物は持っていなかったが。
「……そういや、リュイン。出身はどこなんだ?」
「わ、私ですか? フィルムスですけど……?」
教王国フィルムス。奇しくも、先ほど話題に上がった国だ。
……いや、まさかな。
「エスカマリ様の教えだと、朝餉の前には祈りが必要なんじゃなかったか?」
「あはは、私朝弱いのですっ飛ばしてました! 大丈夫です! エスカマリ様はお優しいので、一度や二度祈りを忘れた程度では怒りませんから!」
ぐっ、と親指を立てて見せるリュイン。教王国フィルムスの住人は、『エスカマリ』という神を信仰している。この大陸で唯一と言っていい宗教で、フィルムスの住人は皆熱心な信徒だというが――リュインのような少女もいるのか。
「まあ、お前がそれでいいならいいが」
「大丈夫です!」
朝の祈りをすっ飛ばしていることを、何の罪悪感も見せずに胸を張るリュイン。……おそらく、お祈りをすっ飛ばしているのは1回や2回ではないと思うが、深くは突っ込むまい。
「おい、2人とも。スープが冷める前に朝飯食ってくれ」
「ああ、そうですね。行くぞ、リュイン」
「はい!」
なんとか意識を覚醒させたらしいリュインが元気に返事をする。冒険者は体が資本だ。それはリュインのような魔導士であっても変わりはない。
席に着いた俺は、手を合わせてからスプーンを手に取った。一方、目の前のリュインは何の感慨も見せずにスープやパンを食べていく。
それでいいのか、元フィルムスの住人よ。
「……今日も【小鬼】狩りに行く。一匹は自分で仕留めてみろ」
「は、はい……」
朝食を食べながら、リュインは頷いた。俺は甘やかすつもりはなかった。小鬼を1人で倒せるかどうかは、冒険者としての評価に直結する。小鬼如きを1人で倒せないようでは、どのパーティに入るのも難しいだろう。
「師匠、相談なんですが……」
「なんだ?」
「私、小鬼をどうやって倒せばいいでしょうか」
しばらく無言の時間が流れた。俺はスープを一気に飲み込んで、パンに手を伸ばす。苦労して引きちぎり、口の中に放り込む。相変わらず、なかなか噛みごたえのあるパンだ。
「……んぐ。魔術か、武器か。そのどちらかになる」
「そう、ですよね。でも私、武器は使ったことがなくて……」
「そして、リュインの現象系は時間がかかるうえに威力が低い。典型的な決定力不足だな」
「うう……」
俺に事実を指摘され、哀しそうな顔でパンを噛むリュイン。噛みちぎるのに苦労している。もっと小さく千切ればいいのに。
「俺はさほど詳しくないんだが、呪詛系の魔術でとどめを刺すことはできないのか?」
ごくん、となんとかパンを飲み込んだリュインは、考え込むように髪を自分の指に巻き付ける。
「……難しいと思います。そもそも、呪詛系、強化系などの魔術は、放出性能が低い魔導士が、なんとか戦うために生み出されたものです。根本的に出力不足なんですよね」
「恥ずかしい詠唱してもだめか?」
「拘束時間は伸びると思いますがとどめまでは行けないと思います。はっ倒しますよ」
「じゃあ武器か……」
なんとかパンを小さく千切ろうと引っ張るリュインを見て、俺は溜息をついた。非力すぎる。
「待てよ。強化系って自分にかけられないのか? あれって魔力を使って人の動きを補助する魔術だろう?」
「かけられますけど……見ててくださいね」
腰から杖を取り出し、目を閉じて魔力を練り上げるリュイン。
「――『強化』」
魔術が成功した後も、リュインは微動だにしない。その状態で口を動かす。
「強化系の魔術は、対象者を魔力の鎧で覆って、動かすときにサポートをする魔術です。放出性能はほとんど必要ありませんが、魔力操作の精密性は遥かに難易度が高いんです」
ゆらり、と動いたリュインの右手がパンを掴んで持ち上げ、両手でパンを引き千切ろうとした、瞬間。
目に見えないほどの速度でリュインの両手が左右に引っ張られ、パンがはじけ飛んだ。あまりのスピードに避けられず、俺の顔面にパンの破片が直撃する。
「……なるほど」
「あわわ、すみません師匠! そんなつもりじゃなかったんです!」
テーブルに落ちたパンの欠片を拾って口に運び、俺は眉根を寄せた。
呪詛系の魔術は攻撃力がない。
現象系の魔術は威力不足。
強化系の魔術は使い勝手が悪い。
「……冒険者やめたら? いい働き口、紹介するよ?」
「そんな!?」
呪詛系の魔術で足を止め、その隙に俺がとどめを刺す、でも別に構わないは構わないのだが。俺はもはや上に行こうという気持ちはほとんど残っていない。リュインとずっとパーティを組むつもりはなかった。
「なんでリュインは冒険者になったんだ? 生活するための仕事なら――まあ、どれも大変だが、いくつか紹介できるぞ?」
「……私は、異界迷宮の謎を解き明かすんです」
「謎、謎ねぇ。それを目的にしている冒険者は少ないぞ」
かつてはそうだったかもしれない。異界迷宮の未知に挑む、それが本物の冒険者だった。それこそ、鑑定員ディラジスのような、一流の冒険者のことだ。
未知に挑み、世の中を変える。だが今、そこまでの情熱と実力を持っている『本物』は、俺が知る限りではいない。
「……師匠も、昔はそうだったんじゃないんですか?」
「……昔の話だ。それに、俺には実力がなかった」
かつての仲間たち――『六芒星』のメンバーは、俺を除けば『本物』だったと言っていいだろう。高い実力と志を持った、最高の仲間たちだった。
俺は必死だった。彼らについていこうとしたわけではない。彼らほどの本物が、異界迷宮の攻略に集中できるように、あらゆる雑事を取り仕切るのが俺の仕事だった。
“銀”の『雑役夫』。パーティの荷物持ち。それがかつての俺だ。
「……とりあえず、朝食を食べ終わったら冒険者ギルドに寄ってから『草原』に向かう。準備を怠るなよ」
「……はい」
目的が異なる者とパーティを組めば、必ずそのパーティは崩壊する。異界迷宮の謎を解き明かす、というのがリュインの本当の目的ならば、パーティを組める人間は激減するだろう。誰もが、そこまでの情熱をもって異界迷宮に潜っているわけではないのだ。