謎の女
百眼神社というのを実際にこの目で見たのは勿論今が初めてだ。そもそも、ヤンキーや好奇心旺盛の小学生みたいな馬鹿でなければ、こんな所恐ろしくて近づこうとすら思わないだろう。
そんな呑気な事を考えながら私は参道を往復してみる。さっさとここから出てしまえばいいだろうなんて、考えた私は何度も鳥居を潜る事を試みていたものの、なぜかこの参道へと帰ってきてしまうのだ。そう、これはきっと、俗に言う無限ループというやつだ。
正直どこかで分かっていた。ここから出られない仕様というのは。どうやらこの展開というのは、アニメやゲームではお決まりのようではないか。いつだか同じクラスの女子が、息を荒らしながらもそのような類いの話をしていたのをふと思い出した。
「はぁ」
さすがの私も、溜め息を零さずにはいられない。だって、一瞬にして景色が変わるという魔法のような出来事が起こったと思いきや、今度は神社から出られなくなってしまったのだから。
よく見ればここは、この神社の真上は木々たちが伸ばした枝で覆われ、雲一つ見えなくなっている。まるで外側から見えぬように護っているよう。
「??」
鳥居のすぐ左側に、損壊し崩れている建物を発見した私は思わず首を傾げた。本殿にしては、不思議なくらい一軒家のような木造の建物。
よく見ればそれは二階建ての建物のようで、まるで何かに上から押し潰されたかのように真ん中から凹み、屋根ごと一階の方へ食い込んでいる。木が倒れた形跡も見当たらないし、一体ここで何が起こったのだろう。
彼岸花を踏み潰しそうで怖かったが、一歩一歩歩みを進めた私は、崩れた廃家の前に立った。特に目立ったようなものは何もなさそうだ。
もっと近づいてみよう。そんな安易な考えをしてしまった私は、また少しずつ家の前へと近づく。すると、何やら足元に硬いものが当たったような気がした。
「───ひっ!?」
私の足元に転がっていたのは、土の被ったかなりの年数が経っていそうな人間の頭蓋骨だった。思わず私は悲鳴を上げ、その場に腰を落としてしまう。
だが、好奇心に負けた私は恐る恐る四つん這いになりながらも、頭蓋骨に近づいてみる。よく見るとそんなに大きくはないが、これは子供のものだろうか?
それよりももっと気になった点が一つある。潰れた家の中に埋まっているのか否か不明だが、辺りに頭蓋骨以外の骨が落ちていない。下敷きになったのかとも考えたのだが、玄関自体は一応ではあるが形を残しているのだからそれはきっとありえない。だとしたら、これは………。
頭蓋骨に夢中になっていた私は、突然の背後からの“視線”にはっと我に返った。何かが、後ろにいる。元々霊感のある私にとっては、日常茶判事であるが、いつもと何かがちがった。
私は恐る恐る立ち上がると、勇気を振り絞って後ろを振り返った。
そこには、裾や袖が破れ解れで至る所に土やら血痕やらの染みが付いている白い着物に、へそ位まで伸びた汚らしいボサボサの黒髪。顔はその髪に隠れていて見えないが、手や足の異常な青白さと剥げた爪をした、いかにもと言った雰囲気の女性が一人佇んでいる。
幽霊というのは、念が強ければ強いほどはっきりとその姿が確認できるとよく言うが、この女性は我々生きた人間と同じくらはっきりと目に見える。これはただ者ではないだろう。
が、先程の少女同様。彼女はずっと立ち尽くしているだけでこちらに何か危害を加えるような事はしそうに見えない。一体何が目的なのだろう。
「………あなたは、誰?」
せっかく勇気を振り絞って問いかけたというのに、目の前の女性は、口を開かず黙り込んだままただ一歩、また一歩私の方へと足を歩み寄せてくるだけだった。
彼女のその行動に身の危険を察知した私は思わず腰を低くする。が、背後に廃家があるため、これ以上の後ずさりは不可能だ。
と言っても、右も左も伸びきった草木ばかりでこの神社内を知らない私では簡単に逃げられるような所はありそうにない。
何を言ったってどうにもならないという事は分かっていたが、どうしても助かりたかった私は、駄目元で再び同じ質問をぶつけてみた。
「あなたは、誰……?」
「…………」
「私にどうしてほしいの? あなたは………」
「…………ん………ヲ……」
ようやく口を開いた女性は、苦しそうな声の調子で必死に何かを伝えようと言葉を発し始める。
「ど、どうしたの………」
「……ヲ…………ケテ……」
「………え?」
必死に聞き取ろうと心掛けるも、いまいちよく聞き取れない。何か欠けて聞こえる彼女の言葉を理解するには、もう一声といったところなのに。
どうしても聞き取ろうと耳を澄ませていた私は、彼女がどんどんこちらへ近づいてきているにも全くお構い無しだった。我に返ったその時にはもう、女性はに私のすぐ目の前にまで来ていたのだ。
呆然と立ち尽くす私の顔に、女性の顔面が当たりそうなくらいにまで顔を寄せてきた。
緊迫とした空気の中、私は女性の髪の間から除く“赤い何か”に気が付き、気付かれない程度に目を凝らしてみた。血のような真紅色の“それ”は、なにやらおぞましい雰囲気を放っているようにも捉えられた。
「………っ!?」
まじまじと“それ”を目の当たりにしてしまった私は、思わず戦慄する。
私が見たもの、それは───。
髪の間からこちらを睨みつけるように覗く“無数の真紅な目達”だった──。
全身の力が抜けたようで立つことも逃げることもできない私は、まんまと彼女の青白い手に捕まってしまった。
「──ひっ!」
思わず悲鳴を上げる私の頭を、無数の目を持つ女が強く掴んだ。ふと、昔祖母から聞いた百眼神の話を思い出す。
白い着物に青白い肌。爪は剥げ着物には血や土の染みが付いていて長い縮れ毛の黒髪の中からは無数の“赤い目”が見える。それが百眼神の姿だと確か言っていたはずだ。
もしも、祖母の話が本当だとすればそれは一大事だ。なんせ祖母の言った“百眼神の容姿”と、今現在、私を襲おうとしているこの女性の容姿はまさに一緒だから。
もし彼女がそうだとすれば、きっと私は殺されてしまうのだろうか。
「お、お願い殺さないで………っ!」
駄目元で、私は声を上げた。百眼神と疑われる女性は、躊躇するように私の頭を掴む手の力を一瞬止めた。だがそれも束の間、女性は再び手に力を込めた。まるで電流が流れるように、身体中へと痛みが伝わっていく。
「……て……っ」
「────え?」
彼女が何かを発したその直後、私の意識は張らせた糸のようにぷつんと音を立てて切れていった。