病室に入ります。
エルクントを助けるのだと勇んでお父様の執務室から退室し、ナードに連れられて歩いて移動すること約五分。
無駄に広いお屋敷から出て、既に玄関で待機していた馬車に乗り込んでこれまた無駄に広い敷地内を移動する。
…馬車、一体いつの間に手配したんだろう。
疑問に思いながらも、お父様の執務室を出てから約十分程で騎士寮の近くにあるセイル兄様の主治医が住む診療所兼自宅に到着した。
(敷地内だっていうのにどうしてこんなに移動に時間がかかるんだ…)
しかも徒歩じゃなく馬車に乗っているのに。
まあでも、ここはまだ近いほうだ。
敷地内で端から端まで行くには馬車で20分はかかるのだから。
もう広すぎて笑っちゃうよね。
さて、私が今から会いに行くセイル兄様の主治医は、元々はセイル兄様がいつ倒れても対処出来るようにとお屋敷の一室に住んでいたらしい。
もしかしたら会ったこともあるのかもしれない。
でも、セイル兄様が健康になったから暇になってしまい、暇を持て余したその人は怪我人の多い騎士寮に移りたいと自らお父様に志願したそうだ。
けれど騎士寮の中は広く入り組んでいて、もしもまたセイル兄様に何かあった時すぐに駆けつけられないでは困るので、お父様が騎士寮のすぐ側に自宅兼診療所を建てたらしい。
まあそれはほとんど建前で、本音としてはレーツェル公爵家が抱えている医師は一人ではないけれどその中でも一番腕が立つ人だから逃したくないのと、セイル兄様が危ない状況に陥った時に何度も助けてもらったから奮発した、とのことだ。
さすがお父様、実利重視かつ懐が広いね!
「こちらです、リューティカ様」
私が脳内でお父様を絶賛しながら大人しく馬車に揺られていると、いつのまにか診療所に到着していた。
ナードに案内されて中に入り、思ったよりも広い中を珍しげに見回しながら、はぐれて迷わないよう後ろについて歩いていく。
いくつもある部屋のうち、ふと目をやった一室の少しだけ開いた扉の隙間から、怪我をした騎士がベッドに横になっているのがちらっと見えた。
頭に包帯が巻かれているけれど、表情は安らかなので苦痛はないのだろう。
でも、頭の怪我は思わぬところに障害が出たりするからなあ。
あの騎士に何もないといいんだけど…。
(そういえば、前にクラハが騎士たちは鍛錬や模擬戦のせいで怪我が絶えないんだって言ってたな…)
私はそれを聞いた時、それなら自分が魔法の練習を兼ねて治しに行く!と言ったのだけれど、クラハは少し困ったように苦笑しながらダメだと首を横に振った。
光の高位精霊による規格外な治療に騎士たちが慣れてしまうのはあまり良くないし、怪我を負った状態のまま戦わなければならない時もあるから、怪我に慣れておくのも大切らしい。
だから極力魔法での治療はせず、自分で対処できる怪我は自分で、できない怪我だけ医者に手当してもらっているんだって。
クラハの話を聞いて下手に手出しするのは却って迷惑になるのだと理解し、私は騎士団の治療を断念した。
…まあ騎士生命を絶たれるような酷い怪我を負った時や、ハイルじゃなきゃ後遺症が残ってしまいそうな時はさすがに治しに行くけどね。
(でも、頭の怪我は私が手を出してもいい案件だよね?)
ちょっと無理矢理な気はするけれど自分を納得させるようにそう考えてハイルに目配せをし、怪我をした騎士に向かって手を伸ばして魔力を放出した。
すると、魔力がハイルによって白い治癒の光へと変わり、騎士の方へ飛んでいく。
包帯をしているので見た目には何も変わったようには見えないけれど、これで後遺症とかの心配は要らなくなるはずだ。
後遺症の類が元からなかったとしても、少なくともこれで包帯は取れるんだから良しとしよう。
良かった良かった。
「…こちらのお部屋です、リューティカ様。私が事情を説明致しますので、少々お待ちください」
「分かった。ありがとう、ナード」
そんなことを考えながらナードの後ろを歩いていると、他とは少し雰囲気の違う部屋…いや、病室?の前に着いた。
言うなれば集中治療室みたいな、緊張を孕んだピリピリした雰囲気がある感じ。
ここにエルクントがいるんだろうか。
少し緊張しながらナードが扉をノックするのを見つめる。
数秒待つと、中からセイル兄様の主治医であるソートが気怠そうに出てきた。
あ、この人何回か見かけたことあるな。
彼はいきなり訪ねてきたナードを見て不思議そうな顔をし、後ろにいる私に気づいてその顔を驚愕に変えた。
「リュ、リューティカ様?!何故…フィレンツ様は?!」
「リューティカ様はエルクント様を心配してここまでいらっしゃったのです。ご自分の力を使い、エルクント様を治したいと。旦那様も了承されていらっしゃいますので、ご心配なく」
それを聞いて慌てていたソートの顔が安堵へと変わる。
「成る程、そういうことですか…」と呟いたかと思えば、次の瞬間には表情が真剣なものへと一変し、さっきまでの態度が嘘のようにキビキビとした動きで私たちを中へと招き入れた。
多分エルクントがここにいることは言わないように、とかなんとかお父様に口止めされてたんだろうな。
それなのに私が来ちゃったから慌てた、と。
ごめんよ、事前の連絡もなしにいきなり来ちゃって。
「こちらです」
「分かった」
部屋に入ると、非常にシンプルな造りではあるものの、それなりに寝心地の良さそうなベッドが月明かりに照らされているのが見える。
近づいていくと、そこに横たわっている小さな影が確認できた。
(…あれがエルクント、かな?)
私が知っているエルクント・リート・レーツェルならば、その髪は烏の濡れ羽色と表現出来るほどの見事な黒髪で、瞳は紫水晶のような透明感のある紫色のはず。
ありえないとは思うけど…もしかしたら、同姓同名なだけの赤の他人って可能性もなきにしもあらずだからさ。
一応、確認はしないとね。
…いや、別に自分と関わりの深い攻略対象が突然現れちゃって動揺して現実逃避してる訳じゃないからね?!
あくまでも間違ってたら困るから確認するってだけだから!
…と、誰に言っているのか分からない言い訳をしながらエルクントの様子を診察がてら観察しようと近づいて行く。
とはいえ、今現在エルクントは眠っていて瞳は閉ざされているし、電気は消されて部屋を照らすのは雲がかかった薄暗い月明かりだけなので、髪色を判別するのは難しいだろう。
(顔立ちも私が知っている顔より大分幼いだろうし、そもそも寝顔だしね)
そんなことを能天気に考えていた私は、エルクントの状態がどんなものなのかということを、軽く考えすぎていたのだろう。
知っているだけで、まるで理解できていなかったのだろう。
あらかじめお父様から、私と同い年とは思えないと…助かるかどうか分からないほど衰弱していると、聞いていたはずなのに。
…私は何も分かっていなかったのだ。
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エルクントの側に着くと同時、月にかかっていた雲が晴れる。
さっきとは比べ物にならない程明るい月明かりに照らされたエルクントの姿を視界に捉えた瞬間、私の思考は凍りついた。
私の視線の先にあるのは、ベッドの上に置かれた枯れ枝かと思うほどに痩せ細った腕や枕元に散らばった伸び放題で荒れた黒髪、痛々しくこけてしまっている、本来ならば愛らしくぷっくりと膨らんでいる筈の幼い頰。
それに加えて恐らく高熱が出ているのだろう、苦しげな呼吸は浅く早くなっている。
今の状態ではその高熱に耐えられるだけの体力がないこと、このままでは本当に危険な状態だということがすぐに分かる。
今にも折れそうな腕に繋がった点滴には栄養剤らしき物が入っており、それが口から栄養を取ることができるだけの体力さえないのだと明確に示していた。
それらを認識して何か言わなくてはと無意識に口から漏れた私の声は、しかし言葉にはならなかった。
まるで目に飛びこんできた光景を受け入れることを脳が拒否しているかのように、思考が空回りしていく。
…もう一度言う。
本当に…本当に、私は、何も分かっていなかったのだ。
忙しかったとはいえちょっとお休みしすぎました…。
待ってくれている皆様、申し訳ありません(T ^ T)
これからはもうちょっと頑張ります!




