お兄様のピンチです。
うーん、この黒いもやはなんなんだろう?
なんだか嫌ーな感じのするもやだなぁ……。
これ、放置してたら危ないんじゃないのかなぁ……お兄様とクラハに聞いてみようかな。
「お兄さま、クラハ、お兄さまの胸にある黒いもやもやしたのってなんですか?」
「黒い、もや……ですか?」
「……リュート、そんなものは僕には見えないのだけど……」
なんと。見えないとな?
いやいやいやいや……だってめっちゃはっきり見えますけど?!
クラハもお兄様も本当に見えないようで、首をかしげている。
そうかー……見えてないから放置されてるのか……。
こんな明らかに体に悪そうなものがずーっと胸にあったならそりゃ病弱にもなるよね。
……けど、どうしたら良いんだろう……。
あるのは分かっても治し方が分からない。
こんなことならクラハに多少無理を言ってでも魔法の本を見せてもらうんだった!
「お兄さま……もやに触ってみてもいいですか?」
「良いけれど……」
とりあえず触ってみたら何か分かるんじゃないかと思い、お兄様に許可をとる。
勝手に触るのはちょっとね……。
お兄様が困惑しながらも了承してくれたので、ちょっと失礼してクラハにお兄様のベッドに乗せてもらう。
……二歳児だからね。自力でベッドにも登れないし、乗らないとお兄様に手が届かないんだよ!
お兄様の近くまで這って行くと、頭を撫でられた。
いやー、このベッド大きすぎるでしょ……私のベッドも大きいけど。
お兄様の手はクラハよりも少しひんやりとしていたけど、髪を梳くように撫でる手が気持ちよくて、私はこの時からお兄様のなでなでも大好きになった。
ふぁー幸せ……。
「ふふ、リュートは撫でられるのが好きなんだね」
はっ!!
違う違う、私はお兄様に頭を撫でられに来たんじゃなくて、もやがなんなのか確認しようと思って来たんだよ!
正気に戻った私は、お兄様の手を頭から外し、胸のもやを観察してみる。
どこから湧いてるのかなーとか、出てきてるのか入っていってるのかとか、疑問をもって見てたんだけど、よく分からなかった。
何て言うか……多分だけど、もやをひとつの玉とすると、胸に半分埋まってて半分外に出てる感じ?
まあ、絶対に体には悪いことだけは確かだと思う。
分析が終わったので、恐る恐る触ってみた。
「うー……やっぱり嫌な感じがする……」
私がそう言ったのと同時に、ぶわっと黒いもやが一気に大きくなり、私はびっくりして仰け反る。
そして、黒いもやはあっという間にお兄様の全身を包み込んでしまった。
私が黒いもやに触れたのが何かのトリガーになってしまったのか、それとも偶然なのかは分からない。
分からないが、事実としてお兄様は私が黒いもやに触れた直後にもやに体を包まれ、その中で体をくの字に曲げて苦しみ、荒い息を繰り返している。
「わあっ?!」
お兄様がいきなり動いた衝撃でベッドから転がり落ちた私は、間一髪のところでクラハに抱き留められ、何とか床に衝突せずにすんだ。
けれど、お兄様はその間も苦しんでいる。
……どうしたらいい、どうしたらお兄様を助けられる?
ああ、本当に魔法の本を読んでおくんだった……!!
今の私は、お兄様を助けられる術を持たない。
「くっ……う、……っ!」
私が悩んでいる間にも、お兄様を覆う黒いもやは色が濃くなっていき、お兄様もどんどん苦しそうになっていく。
本能的に、あれが真っ黒になってお兄様の姿が見えなくなるほどになってしまったら、お兄様が死んでしまうと思った。
「リュート様、わたくしは医者を呼んで参ります!……おつらければ、部屋の外にお出になっていてください」
クラハは私を床に下ろした後、そう言って医者を呼びに慌てて部屋を出ていったので、部屋には私とお兄様が二人だけ。
クラハは私を心配して「つらければ見なくていい」と言ってくれたのだろうけど、そんなのできない。
いつもならお兄様専属の医者がこの屋敷に常駐しているのに、運悪く今日は用事があるとかで出掛けてしまってここにはいない。
どうしてこんなときに……っ!
私がどうすればいいのかと考えているうちに、黒いもやはまた色が濃くなっていて、もうあまり時間が無いことが分かる。
……多分、医者は間に合わない。
間に合っても、これは……医者にどうにかできる類いのものなのだろうか?
ああ、頼れるものが何もない!
このままじゃお兄様は……!
私は拳を握りしめ、唇を血が出そうなほど強く噛んで俯く。
今の無力な私では、どうすることもできない……!!
「リュ、ト……」
「……!お兄さま……!」
お兄様が苦しそうにしながらも私の名前を呼ぶ。
それにすぐに反応して私がばっと顔を上げてお兄様の顔を見ると……お兄様は、優しく、微笑んでいた。
「……!!」
嫌だ。お兄様を死なせたくない。
嫌だ、お母様みたいに、短い間でも私を愛してくれた人を失うのは、もう嫌だ……!!
……誰か!!
誰か、私に、力を……!
お兄様を助けることができる力を、私に……!!
こんなにも真剣に、心を込めて、力を込めて祈ったのは初めてだ。
私が、いつの間にか溢れていた涙もそのままに、他のことは何も考えること無く、一心に強く強く願っていると……ふいに。
───力を貸してあげようか?───
声が、聞こえた。
───名前と魔力をくれるなら、力を貸してあげる───
私は、その声の正体が何なのか考える余裕もなかった。
ただただ何も考えず頷く。
───じゃあ名前と魔力をちょうだい───
「君の、名前は……ハイル。ハイル、力を貸して……!!」
───ハイル。気に入ったよ───
そう声が聞こえたのと同時に、私の体から何かが抜けていく感覚がした。
多分魔力が抜けたんだろうな、とぼんやり考えていると、黒いもやに覆われて、もうほぼ見えなくなっていたお兄様の体が、強く光った。
光の強さに目を開けていられなくて、腕で目を庇いながら目を閉じる。
光が弱くなったのを感じて、目を開けると……あんなに濃くなって存在感を放っていた黒いもやはきれいさっぱり、何事もなかったかのように消え去り、ひどく苦しんでいたお兄様は、苦しんだせいで乱れたベッドの上ですうすうと穏やかな寝息をたてていた。
それを見て、終わったのだと、お兄様はもう大丈夫なのだと、そう感じて安心した私は、急に体が重くなったように感じ、ふらついて気がついたら倒れていた。
『ちょっ、ティカ?!』
……何で私の名前、知って……?
もう既に質問するほどの気力も残っていなかった私は目を閉じる。
どんどん遠ざかっていく意識の中で、慌てたような誰かの声と足音が聞こえたような気がしたが、そのまま私の意識は途切れてしまった。