お父様の職場です。
扉が開かれ、そこに広がっていた光景は……私が思っていた通りのものだった。
……いや、それ以上かもしれないね。
正面に見える大きな机には書類の山がいくつも見え、隙間から覗くお父様の顔はいつにもまして無表情。
ちょうどこの部屋へ書類を持ってきたのであろう文官に鋭い眼光を向け、部屋にはブリザードが吹き荒れているというのに、書類や人には一切影響が出ていない。
器用なことやってるな、お父様……。
……あ、でも部屋にいる文官たちが寒そうにしてるかも?
私とセイル兄様がその光景を見て少し怯み、部屋に入れずにいると、アルが大して気にした様子もなくずんずん部屋に入っていく。
……慣れてるんだろうけど、アルすごいな!
そして、お父様の横まで行くと、声をかけた。
「フィル様」
「何だ、今は忙しいから手短に言え」
書類を次々に捌きながらお父様が言う。
……やっぱ来たの迷惑だったかなあ。
ちょっと不安になりながらお父様を見つめていると、アルが笑顔でお父様に私たちの来訪を知らせた。
……この状況下であそこまで楽しそうな笑顔が出来るって……やっぱりアルも宰相補佐官になるだけはあるってことか。
「ご子息がお二人いらっしゃっていますよ」
「……」
そう言われたお父様が無表情のまま書類から顔を上げ、私たちと目が合うと、吹き荒れていたブリザードが止んだ。
……えーと、これは歓迎されてるってことでよろしい?
とりあえず歓迎されていると判断し、挨拶をすることにした。
「お仕事中失礼いたします、お父様」
「失礼いたします、父上」
家以外での挨拶は私が先、セイル兄様が後と順番が決まっているため、私が先に挨拶をする。
これは、セイル兄様が跡取りである私を立て、私が跡継ぎだと認めているのだということを示しているらしい。
挨拶ひとつにいちいち意味とかがあって面倒臭く思うけど、そういう暗黙の了解とか風習とかは守らないとこの世界の貴族社会ではやっていけないらしいから仕方ない。
ま、『郷に入りては郷に従え』ってことだね。
「入りなさい、リューティカ、セイラート」
椅子に座ったまま、黙って挨拶をする私たちを見ていたお父様が立ち上がってそう言った。
その言葉通りに部屋に入り、お父様の方へ向かう。
私たちがお父様の前に着くと、お父様はこちらを注視している周りの文官たちに視線を巡らせ、口を開いた。
「お前たちも名は知っていると思うが、改めて紹介しておこう。我がレーツェル公爵家の跡継ぎであるリューティカと、長男であるセイラートだ」
そう言った後、お父様が私たちに視線を向けたので、言いたいことを察し、一歩前に出る。
えーっと、ここはゲームのリュート様の口調でいこうか、それともまだ小さいから可愛らしくいくか……。
うーん……ゲームのリュート様の口調は格好良いから好きだけど、四歳だし、それよりももう少し幼い感じで……まあいつも通りでいいかな。
「リューティカだよ。レーツェル公爵家の跡継ぎとして、これからここに出入りすることが増えるだろうから、皆とは良い関係を築きたいと思う。まだ分からないことも多いから、色々と教えて欲しい。よろしくね」
口調について考えながらもなるべく丁寧に紳士の礼をとり、顔を上げてから笑顔で挨拶をする。
文官たちの顔を見ると、皆が「よろしくお願いします」と返してくれながらほっこりしたような柔らかい笑顔を向けてくれている。
……よかった、割と歓迎されてるみたいで、ほっとした。
だって、もしかしたら私の部下になるかもしれない人たちなんだもん。仲良くしておきたい。
言い終わって私が後ろに一歩下がると、今度はセイル兄様が一歩前に出た。
「セイラートだ。僕は跡継ぎであるリュートを支えていきたいと思っているから、そのために必要なことを色々と教えて欲しい。よろしく」
私と同じように礼をしてから、セイル兄様はそう挨拶をする。
控えめに微笑んだセイル兄様が言ったのは私のことばかりで、『跡継ぎの弟を支持する兄』としては完璧な挨拶だ。
アルが感心したように私たちを見つめ、挨拶を聞いていた文官たちも、穏やかに返事を返しながら微笑ましげに私たちを見ている。
セイル兄様が私の隣まで下がると、少し後ろに控えていたアルが、私たちが挨拶する様子をじっと見ていたお父様に近づいた。
「ふふ、リューティカ様もセイラート様もしっかりしておいでですね、フィル様。ご自慢でしょう?」
アルにそう言われたお父様は、私たちの方を見たまま、少し視線を和らげて口を開く。
……何て言うのかなあ。
あ、セイル兄様と繋いでいる手が強ばったのが分かる。
セイル兄様がお父様が何と答えるのかと緊張してるのが伝わってくるね。
「……ああ。そうだな。二人とも私の自慢の子だ」
……ふあ?!
お、お父様が!
い、今、いつも仏頂面で不器用なお父様が私たちのこと自慢だって言ったよね?!
あまりの嬉しさに瞳を輝かせながらセイル兄様の方を向くと、セイル兄様が茫然としたようにお父様を見つめていた。
そして、茫然としたままゆっくりと顔を私の方に向けたので、私は満面の笑顔でお兄様の手をとった。
「……アル」
「はい。何でしょう、フィル様」
「少し休む。他の者も仕事に区切りがついたら休憩に入れ」
お父様が声を上げずに喜び合う私たちからアルに視線を移してそう言った瞬間、部屋の時間が止まった。
…………えっ?何、どうしたの??
今、ただ「休む」って言っただけだよね?
何も変なこと言ってないはずなのに、みんな石像みたいに固まって微動だにしない。
明らかに異常な光景に、私とセイル兄様は顔を見合わせる。
え、何?!怖いんですけど!
「……フィ……フィレンツ様が休まれる……?」
「いつもは昼食さえも水と薬のみでお済ませになって手は止めることがないフィレンツ様が……?」
……は?!お父様のいつもの昼食が水と薬?!
それを昼食と呼んだら昼食に失礼だと思うんですけど!
体に悪すぎでしょ?!
いくら体に良い薬でもそんな頻繁に飲んだら効かなくなるし、逆に毒になっちゃったりもするんだからね!
……いやいや、待て。
それよりも、お父様の休憩事情の方が問題だろう。
「休憩」って言っただけでここまで驚かれるほど休まず働いているのに、あんな遅い時間にしか家に帰ってこられないなんて一体どんなブラック企業だ!
つーかお父様帰ってこられない日もかなりあるよね?!
……や、やばい。
このままだと過労とか栄養不足とかその他もろもろでお父様が倒れちゃう!
前世高校生までしか生きてないから出来ることが少ないとか言ってる場合じゃないよこれ!
無い知恵絞り出して考えてどうにかしないと!
「……余計なことを言うのではない」
私がお父様の労働環境にショックを受けて茫然としていると、お父様が眉をひそめてさっきから驚きを呟いている文官たちに冷ややかな視線を送る。
その途端、文官たちは素早く自分の仕事に戻り、区切りのいいところまで終わった者から休憩に入っていった。
「アル、紅茶の用意を」
「はい!」
アルは紅茶を淹れるために奥に引っ込み、私たちはお父様にテーブルとソファがある一角へと誘導された。
……この一角は来客用なのかな?
テーブルの上に置かれた籠の中にきれいに並べられた焼き菓子が入ってるし、それっぽいよね。
この籠、明らかにテーブルや椅子とデザインを合わせて作られてるし、よく来客があるのかも。
「紅茶が入りましたよ」
ソファに座ると、アルがそう言いながら紅茶を運んできた。
私は紅茶が入って一息ついてから昼食についての話を切り出そうと思っているので、テーブルに紅茶をサーブしていくアルを見ながら無言で待つ。
セイル兄様の方を見ると、私と同じく無言だけど、さっきのお父様の「自慢の息子」発言が相当嬉しかったのか、柔らかい表情をしている。
そんなセイル兄様の様子をちょっとにやにやしながら観察していると、アルが紅茶を用意し終わった。
出されたものには最初にほんの少しでも口をつけるのがマナー。
いくら早く話したいことがあったとしても、貴族である以上マナーは守らなければならないため、もどかしい気持ちを抑えながら、毒の確認のため銀のスプーンで砂糖を入れ、混ぜてから紅茶を口に含む。
この毒の確認も、相手にいらぬ疑いをかけないためのマナーのひとつなのだ。
本当面倒くさい。
そしてすぐにカップを置き、私は話を切り出すことにした。
「……お父様、ちょっとお話があります」
「……?」
私がそう言うと、お父様は不思議そうにきょとんとした。
……普段は疑問があるとこっちがビクッとするような顔をするのに、こういうときは普通に不思議そうな顔するんだね……。
「お父様、今までものすごく不健康な生活を送っていたのですね?いくら忙しいとはいえ、このままの生活では倒れてしまいます!」
「……あ、ああ……すまないな」
私がテーブルの向こう側に座っているお父様を睨み上げながら文句を言うと、お父様は戸惑いながらとりあえずと言った感じで謝ってきた。
そんな心のこもってない謝罪をされても私の勢いは止まらない。
「僕とセイル兄様がハイルとアインに手伝ってもらって体に良い物を作りますから、それを昼食にしてください!薬ばかり飲んではダメですよ!僕たちがお城に来られるときにちゃんと食べているか確認しますからね!」
とりあえず、すぐには効果が得られないかもしれないお父様の仕事量の軽減に関しては後回しだ。
それよりも、割とすぐ何とか出来そうな食事の改善を優先しよう。
こっちの世界で料理なんてしたこと無いけど、ハイルとアイン、それから料理人たちの知恵を借りながらやれば何とかなるはずだよね。
「いや、だが……」
「何ですか?」
「……食事を食べている時間があるのならば、仕事を終わらせる方が有意義だろう」
……ふむ。なるほど。
つまり、食事のために時間を割きたくはない、と。
何言ってんだと言いたいところだけど、確かにこの書類の量やさっき聞いた仕事量だと、ゆっくり食べている時間は無いかもしれない。
「……有意義かどうかは別として、時間が無いのは分かりました。なら、片手間でも食べられる、体に良い物を何か作ることにします」




