お兄様の契約です。
「これはこれは、お坊っちゃま方」
私とお兄様が庭師さんらしきおじいさんに近づいていくと、振り向いたおじいさんがにっこりと笑って声をかけてきた。
後ろにいるクラハが「こちらは庭師のバオムです」と教えてくれた。
「ありがとうクラハ。バオム、僕はセイラートだ。よろしく」
「僕はリューティカ。よろしくね、バオム」
「はいはい、よろしくお願いしますねえ、お坊っちゃま方。ところで、どうしてこちらにいらっしゃったんですかな?」
ここに来た理由をお兄様が簡単に説明すると、バオムは納得した様子でうんうんと頷き、この庭にある温室へ連れていってくれた。
「ここは薬草を主に育てている温室でしてねえ。暖かくて日差しも強すぎず、居心地が良いと思いますよ。薬草はデリケートなものが多いですからなあ。……そうだ、お坊っちゃま方も何か育ててみますかな?」
「……!いいのか?」
あ、お兄様の瞳が輝いた。
これはやる気だ。そうだよね、今までそういうこともやったことなかったみたいだし。
お兄様のお部屋は日光も入るし、育てようと思えば育てられたと思うんだけどね。
「もちろん良いですとも。どんなものが良いですかな?お花でも薬草でも何でもお好きなものをお選びになるとよろしいですよ」
「それでは、ここにあるものを全て見せてくれ」
お兄様はすっかりこの温室の虜になったようで、バオムと共に温室を巡り、色々質問しながら育てたい植物を見つけてはものすごく迷っている。
……それにしてもお兄様、育ててみたい植物多いな!
ほぼ全部じゃないか!本でしか見られなかった植物たちが目の前にあって嬉しいのは分かるけどね!
「……ほっほっほ、そんなにもお好きならばこの温室の植物たちのお世話をされてみますかな?」
お兄様はバオムの申し出に一瞬嬉しそうな顔をして、けれどすぐにしゅんとなってしまった。
どうしたのか聞くと、お兄様は温室の全ての植物たちのお世話をやりきれると思えないらしい。
……まあ、元気になったお兄様はこれからお勉強とか剣術とかダンスとか礼儀作法とかやらなくちゃいけないことがたくさんあるからね。
確かに温室全ては無理だろうなあ……。
「世話しきれなくて枯らしでもしたら植物が可哀想だからね。やめておこう」
……ん?落ち込んでるお兄様の周りで何やら飛んで……虫かな?
白くて結構大きいなあ……って、あれ、虫じゃないじゃん!
白いドレスみたいなの着た精霊だよ!
なんかお兄様と話したそう……というかすごいアピールしてる感じなんだけど……。
「ハイル、お兄さまにはあの精霊が見えてないの?」
『契約精霊がいなくて、精霊眼を持っていない者は、精霊の声や姿はものすごく集中しないと感じとれないんだ。ティカが僕の声を聞き取れたのは、全神経を集中して助けを求めてたからだよ』
へえ、そうなんだ。
知らなかったなあ……あの時集中してて良かった。
それにしても、しつこいくらい周りを飛び回ってるのに気付かれないなんてちょっと寂しいね……まあ、お兄さまの意識は今植物の方に向いてるからしょうがないんだけど。
「じゃあ、お兄さまの意識をあの子に向けさせて、話が出来るようにすれば良いの?」
『それより、ティカが通訳した方が早いと思うよ』
なるほど。その手があったか。
確かに伝えたいことがあるなら私が伝えた方が早いよね。
そう思って私はその子に近づいていき、とりあえず挨拶してみることにした。
「こんにちは。お兄さまに何か伝えてほしいことがあるなら伝えるよ?」
『あら、リューティカ。なら、セイラートに伝えてくれるかしら?私と契約しましょう、と』
……また名前知ってるんだね。
もしかして、私が気づかなかっただけで結構ずっとそばにいたのかな?
『地の、久しぶり。さっきからついてきてたのは分かってたけど、君が契約?珍しいね』
『光のじゃない。久しぶりね。貴方の方こそ契約するのは珍しいでしょう?私はセイラートとリューティカのことが気に入ったのよ。でも、リューティカには貴方が既についているみたいだから、セイラートと契約するの』
ふむ、一人の人間が契約できる精霊は一人だけだからね。
それ以上契約するのは人間の体に負担がかかり過ぎてしまうから不可能だし、そもそも精霊の方も既に契約している人間にはあまり契約を持ちかけないそうだ。
それもハイルと契約した後にクラハから教えてもらったわけだけど。
『光のじゃなくて、ハイルだ。ティカから貰った名前なんだから、これからはそう呼んでよ』
『あら、そうだったの。ごめんなさいね。じゃあこれからはハイルと呼ぶわね』
名前って、精霊にとっては結構大事なものみたいだね。
けど、お兄様と契約かあ。
お兄様も呪いが解けて元気になっちゃったから敵にとっては邪魔な存在になってしまった。
つまりは、私と同様に命を狙われる危険性が高いってことになる。
でも、契約したらお兄様の身の安全はかなり確保されるはず。
……まあ、元気になってももう既に私が男で次期後継ぎだ、ってお父様が発表しちゃったみたいだから、今更私が女に戻ることは出来ない。
それに、お兄様が次期跡継ぎになるのも私がよほどの失敗をしたりして跡を継がせるのは問題だと判断されない限り不可能だ。
「お兄さま、お兄さま」
「どうしたの?リュート」
「ここにいる精霊さんがお兄さまと契約したいって言っています」
え、と目を見開いたお兄様は、精霊の姿を探すようにきょろきょろと周りを見る。
ここです、と精霊の目の前に誘導して、声が聞きたい、姿を見たいと思いながら集中して欲しいとお願いする。
「分かったよ、リュート。やってみる」
お兄様は目を瞑ってじっと集中している。
その間、多分さっきのハイルの発言によれば地の精霊であろう、大人っぽくて美女な精霊さんがお兄様に話しかける。
すると、その声が届いたのかお兄様が目を開いた。
「あなたが、僕と契約したいと言ってくれた精霊様ですか?」
『そうよ。やっと声が届いたわね。こんなことなら最初からリューティカに頼めば良かったわ。それと、畏まらないでいいのよ。寂しいじゃない』
「うん、わかった。声に気づかなくてごめんね。それで、もし本当に契約してくれるなら、したいと思う。僕はいずれこの公爵家を背負うリュートを、守ったり支えられる力が欲しいんだ。大好きな弟だし、貰った恩を返したいから。(……だから、リュートを邪魔する者がいるなら僕が排除する。)精霊との契約は、きっとその助けになると思うんだ」
……確かに、契約精霊を持つ者が公爵家に二人いるというのは、非常に大きなアドバンテージとなるだろう。
精霊と契約などしなくてもお兄様はとても優秀で聡明なので、契約をしたなら更に力強い支えになってくれるはずだ。
……あ、私が契約せずにお兄様だけが高位精霊と契約していれば、次期跡継ぎはお兄様に変わったかもしれないな。
……まあそれじゃあお兄様が助からなかっただろうから、有り得ない話なんだけどね。
それより、お兄様という私が公爵家を継ぐ上でこの上なく心強いサポート役がついたことはもちろん嬉しいんだけれども。
それ以上にお兄様が『大好きな弟』って言ってくれたことが嬉しいどうしよう。
……あ、でも途中ちょっと聞こえなかったけど、何て言ったんだろう?
……まあいっか。
それにしても、こんなに私を悶えさせてお兄様は私をどうしたいのだろうか。
あーもうお兄様天使!!
『そうね。私もリューティカが気に入っているし、セイラートのその考えには全面的に賛成だわ。私は地の高位精霊よ、きっと力になれる。契約をしましょう、セイラート。名前と魔力を貰えるかしら?』
お、契約することになったみたいだ。
そういえばハイルの時、私あの状況で名前なんてよく思い付いたよね。
もし変な名前になってたらと思うと……ハイルに申し訳無さすぎる。ハイルなんて良い名前を一瞬で思い付いた私の頭、優秀すぎる。よくやった!
「ありがとう。それじゃあ君の名前は……『アイン』だ」
『アインね。素敵な名前と魔力、確かに受け取ったわ』
そう言って艶のある笑みを浮かべたアインと微笑むお兄様の上から、どこからか白い薔薇のような花の花びらが祝福するかのように舞い落ち、アインはお兄様の契約精霊になったのだった。
……ちょっと思ったんだけど、私とハイルが契約した時、もしかして呪いを解かれていたお兄様だけじゃなくて私とハイル自身も発光してたのかな?
だからあんなに眩しかったんだね……納得しました。




