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帝国の皇子達  作者: 秋山らあれ
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1. 第四皇子の独白(1)





 何時の世も、いくさは多くの男達の命を奪い、多くの女達を過酷な運命へと突き落とす。


 戦に伴侶や子を取られた挙げ句に殺され、取り残される女達。攻め込まれ、幾人もの飢えた敵兵達に陵辱され、死ぬよりも辛い屈辱を舐めさせられた末に惨たらしく殺される女達。又は、そうなる前に舌を噛み切るか、高みから飛び降りるか、刃物で喉を突く事を選ぶ女達。良く研がれた刃物を懐にしている女は、幸いであろう。そして.......、戦の戦利品とされる女達.......。死ぬ事も許されず、己の総てを破壊し奪った男の前に“物”として差し出される。私の父は、そうして攻め滅ぼした三国の王女達を、領土と共に帝国の物とし己の物とし、子を産ませた。


 三人めの高貴な戦利品に出会った日の事を、私は鮮明に記憶している。私はまだ四つの子供であり、いつもの様に目付役の目を盗み、独りで帝城の広大な庭々を探険していた昼下がりの事だった。追って来る目付役や、侍女かしずき達の目を盗み、私はその頃気に入って頓に足を運んでいた遊び場へと、その日も足を運ぼうとしていた。そこは使われていなかった小さな離れの館であり、その頃の私は、隙を見てはその庭で独り遊びをしたものだった。しかし普段なら人の姿などほとんど見られないその離れ周辺が、どうした事かその日は衛兵達の姿がやけに多く、いつもは難無く辿り着く筈のその庭も、その日は遠く感じられた。そして誰にも見付からぬ様、姿を隠しながら漸く辿り着いた気に入りの遊び場が、最早己の物では無くなった事を知った。

 私は植え込みの下に潜り込み、暫く様子を伺った。いつもは閉じられている館の扉が開け放たれており、やはり衛兵達がいる。そして館の程近い処に幾人かの侍女かしずき達の姿があり、その中心には見た事も無い女がいた。そして細い歌声が流れていた。

 女は、籐製の異国風の椅子に身体を預け、異国語の唄を唄っていた。その衛兵達の数の多い事と、かしずく者達の様子から、身分ある姫なのだろうと幼いながらに思ったものだが、今なら分かる。たかが小さな離れを警備するにしては多すぎる衛兵の数、あれは警備というよりも、あの囚われの姫の見張りであったのだと.....。


 私はその身分あるらしき姫に興味を覚え、茂みの下を獣の仔さながら這い回り、彼女に近付こうとした。彼女の顔を良く見たかったのだ。子供特有の好奇心から、私は慎重にゆっくりと、その姫の顔が見えるところまで移動し、そして子供心に驚いた。彼女は細く、色白で、金色の豊かな髪は緩やかに編まれ肩から胸へと垂れ、膝の上まで落ちていた。そして庭園の花々を見詰める瞳が、涙を流していた。嗚咽を洩らすでも無く、顔を歪めて泣くでも無く、ただ唄を口ずさみながら静かに涙を流す彼女の顔は、儚く、そして美しかった。彼女の横顔と彼女の口ずさむ淋し気な旋律は、子供であった私の心を哀しくさせた。

 あの時、どれ程の間彼女の顔を見詰めていたのだろう......。すっかり彼女に気を取られていた私は、突然目の前に落ちて来た毛虫に、思わず声を上げかけた。実際には声など上げなかったのだが、派手に身動きをした為にもぐり込んでいた茂みも大きく揺れたのだろう、気付かれてしまった。

 「何者だっ!

 鋭い誰何の声が起こると共に、衛兵達があっという間に私が潜んでいた植え込みの辺りを取り囲んだ。私は、多少極りが悪い思いをしながらも、その場から這い出した。

 「殿下......」

 衛兵達も、侍女達も呆気にとられていた。

 「殿下.....?」

 数瞬を置いて起こった細い声に首を巡らせてみると、件の姫が涙も拭かずにこちらを見詰めていた。私は土で汚れた衣服を払いもせずに、その姫に近付いた。

 「どうしてないているの?」

 私が唐突に尋ねると、彼女はその時初めて己が泣いていた事に気付いた様な顔をし、涙を素早く拭った。そして言葉を探す様な素振りをし、やがて口を開いた。

 「悲しいから.....」

 彼女はそう答えて微笑んだ。


 「どうして?」

 子供というのは無邪気であり、それ故に残酷だ。大人の邪気ある残酷さとは違って憎む事の出来ない分、質が悪い。

 「独りぼっちだから.....」

 その涙の訳を口に出来なかったらしい彼女は、私にそう答えた。

 「さびしいのか?さびしいなら、あしたもわたしがきてあげるよ」

 自分でも信じ難い事に、彼女の言葉を信じた当時の私は、そんな事を言ったのだ。残忍な皇后の血を引く皇子にも、無邪気な時代はあったというわけだ。

 彼女は再度微笑み、傍らで戸惑いの表情を浮かべていた侍女や衛兵達を手振りで遠ざけた。

 「貴方は、一番下の皇子様ね?」

 私は頷いた。

 「あなたはだれだ?」

 「わたくしはシルキアのルウィーラ」

 彼女はそう名乗った。

 シルキア王国______その前の年に、帝国が侵略し滅ぼした王国であった。 彼女はそのシルキアの王女であった。帝国が勝利の証として、命を保障するのと引替えに連れて来た姫であった。その年、シルキア大公の称号を与えられた皇太子が、ゆくゆくは娶る事になっていた姫であったが、女癖の悪い父がさっさと手を付け己のものとしてしまった。もっともルウィーラと長兄との間には五つの年の差があった。その頃既に年頃であった彼女に対し、長兄はまだ十一であり、成人までにはまだ間があったのだ。そんな娘に父が手を付けないわけは無い、しかも美しい姫だ。初めて会った時、彼女は既に父の子を身籠っていた。身籠った故に、あの離れを与えられたのだった。


 「シルキアは、もうなくなったんでしょう?」

 私の残酷な問いに、ルウィーラは、哀し気な微笑みを浮かべ頷いた。

 「貴方のお国に攻め滅ぼされました。けれどシルキアは無くなっても、わたくしはシルキアの王女なのです、小さな皇子様」

 その時、私の胸はちくりと痛んだ。目の前の姫が俄に哀れに思えて来たのだ。

 「わたくしは、戦利品なのです。お父上がわたくしの国を滅ぼした、その証の品なのです.....わたくしは......」

 ルウィーラは手を伸ばし、私の髪に付いた葉やごみを取りながら、又衣服の汚れを払いながら、静かに語った。私の実の母である皇后は、間違ってもそんな事はしなかっただろう....。子の髪や衣服に付いた汚れを払ってやるなどという事は.....。





 私とルウィーラの邂逅は、その日の内に父の耳に入っていたであろう。少なくとも母の耳には届いており、私付きの守役や侍女達はこっぴどく咎められたようであった。そして母は私に、ルウィーラの元へ行く事を禁じた。人一倍悋気の感が強い母は、己が息子が娶る前に己が夫により孕まされたルウィーラを酷く憎んだ。母はさぞルウィーラに毒を盛りたかった事だろう。だが戦利品である姫を殺すわけにはいかない事を、母は愚かなりにも理解していた様だ。

 私は、母に禁じられたにも拘らず、翌日もルウィーラの元を訪れた。彼女はやはり、庭園で泣いていた。


 「また、ないていたの?シルキアのおひめさま?」

 「あら、本当ね、また泣いていたわ....」

 何でも無い事の様に言って、彼女は儚い微笑みを浮かべた。

 「本当に来て下さったのね、エドキス皇子」

 「うん、やくそくしたからな」

 約束とは守るものだと、その頃の私は本気で信じていたのだ。思い出す度に、笑いがこみ上げて来る。約束など、相手を欺く為にするものだ。私は成長するにつれ、本能的にそれを学んだ。

 「ねえエドキス皇子、ここにお出でなさいな」

 そう言ってルウィーラは両手を伸ばして私を抱き上げると、膝の上に乗せた。物心付いてから以来このかた、実母は無論の事、乳母や侍女達にでさえそんな事はされた事の無かった私は、酷く戸惑い、何と言って良いかも分からなかった。身体を堅くして緊張する私の頭を、彼女は優しく撫でた。

 「ありがとう、エドキス皇子。いらして下さって嬉しいわ」

 ルウィーラは本当に嬉しそうに微笑んだ。


 その翌日も、私はルウィーラをおとない、再び母の咎めを受けた。今でこそ分かるものの、幼かった私には、何故母がルウィーラをおとなう事を禁じるのかが理解出来なかった。

 『あの様な遊び女をおとなうなど言語同断じゃ』

 母が顔を怒りに歪め、吐き出したその言葉の“遊び女”の意味を知るには、当時の私は幼過ぎた。只々母の言葉が理不尽に思え、私は父である皇帝に訴えた。ルウィーラの元をおとなう許しを、私は父に願い出たのだ。

 『ルウィーラが厭わぬならば良い』

 それが父の言葉であった。父はあっさりと許しをくれた。母は抗議したが、皇帝である父に従わないわけにはいかなかった。それからというもの、私はほぼ毎日、彼女の元を訪れる様になったのだ。



 その頃のルウィーラは臥せっている事も多かった。今思えば、悪阻つわりが酷かったのだろう。ある日彼女は私に、病では無いのだと噛んで含める様に言った。もしかしたら私は、酷く不安気な顔をしていたのかもしれない。寝台の中にいた彼女は、私を広い寝台の上に引っ張り上げると、さも重大な事を打ち明けるかの様に私に言ったのだ。

 「わたくしのお腹の中には、貴方の弟か妹がいるのですよ」...と。

 微笑んでいながらも、彼女の顔が酷く悲しそうに見えたのは気のせいでは無かっただろう。私は、ルウィーラの言葉をすんなりと受け止めた。母の異なる兄弟に疑問を抱く事は無かった。私には母の異なる兄姉達がすでにいた事もあり、そういうものだと思っていたのだ。


 「わたしは、おとうとがよいな。そうしたら、いっしょにけんのけいこができるし」

 「貴方がそう仰るなら、男の子が生まれる様、女神に祈りましょう」


 彼女はあの時、どんな思いであの言葉を言ったのだろう.....。恐らく男子など望みはしなかったであろうに。この帝国で後ろ盾の無い母の元に生まれた皇子皇女が、どれ程軽んじられるか、ルウィーラは知っていた筈である。皇女ならまだ良い。そうそう表に出て来なくとも許される。政略に使われるその時まで、それこそ城の奥深くにこもっていようと、問題にこそならない。それどころか、箱入りの姫として利点にこそなるだろう。だが男子ではそうもいくまい。帝家男子が、政に顔を出さないわけにはいかない。いかに軽んじられようとも。

 

 ごく単純にしか物事を考えられなかった子供の私は、純粋にルウィーラの子の誕生を心待ちにした。彼女の細過ぎる程の身体の腹部のみが日に日に大きくなって行く様子を、己が弟が元気に育っている証なのだと純粋に喜んでいた。あの頃はまだ、ルウィーラが父を、帝国を、死ぬ程憎んでいた事実を知らなかったのだ。


 「この子が生まれたら、守ってあげてね。お願い、エドキス皇子」

 産み月が近付くに連れて、それがルウィーラの口癖になった。その度に、私はこう答えた。

 「ずっとまもるって、ちかうよ、ルウィーラひめ」


 麗しい兄弟愛など、この帝家にあっては冗談の様な話だ。ほんの子供であったとはいえ、自分が嘗てあんな誓いをしたのかと思うと、やはり笑いがこみあげる。


 亡国の王女はその後、月満ちて皇子を産み落とした。



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