43 湊斗の記憶・夏⑰~落日のドライブⅣ~
「ま、色々言ったけどさ、結局は皆、理想の押しつけ合いをしてるだけなのかもしれないわね」
車が大きな橋を渡りきった辺りで、リナがそんなことを言った。
「押しつけ合い、ですか?」
湊斗は問いながら、喉の渇きを感じ、ドリンクホルダーに乗せたペットボトルへ手を伸ばす。口に含んでから、それがやや渋めのウーロン茶で、自分の好きなオレンジでなかったことを思い出した。
「そ。あたしや湊斗くんが、親に対してもっとこうだったらいいのにって思うように、おそらく親の方も家族に同じことを求めてるのよ。理想の夫や妻、子どもとか。それが一致すればいいけど、残念ながら、あたしの家族は違ってたみたい」
自身が招いたとはいえ、湊斗は甘さのないウーロン茶に顔をしかめながら、父母それぞれの理想というものを想像してみた。
(お父さんの理想は、たぶん……仕事してる自分をひたすらほめてくれる家族ってとこかな。なら、お母さんは――)
だが、湊斗の想像はそれ以上膨らまなかった。母がどんな理想や願いを抱いて生きてきたのか、わからない。今までそんな話をしたこともなく、また聞いたこともなかったのだ。
「今まで考えたこともなかったですけど、親も、一人の人間なんですよね」
湊斗は早々にペットボトルの蓋を閉めると、そばの窓ガラスにコツンと頭を寄せて言った。
「ぼくにとって、親は親以外の何者でもなかったというか……当たり前に仕事や家事をしてくれる存在で、リナさんのお母さんみたいに、新たに恋愛するなんて思ってもみませんでした。自分のお母さんにも、理想や希望があるのかすら知らないし」
「あたしも、湊斗くんの年頃はそんなもんだったわ。それに、湊斗くんのお母さんは具合が悪いでしょ? だから、色々なことを話す時間が持てなかったんだと思う。仕方ないわよ」
リナのサバサバした物言いは、湊斗の沈みがちな気分を軽くし、いくらかの慰めになった。
「……そういえば、リナさんの妹さんって、どんな人ですか?」
心が浮上してきた湊斗は、訊ねてみたかったことを思いきって口にした。
「えー、今それ聞く?」
急に話の風向きが変わって、リナはげんなりした顔をしたが、
「何となく気になっちゃって……ぼくが一人っ子なんで、妹ってどんな感じかなっていうのもあるんですけど」
「そうねえ。妹は、一言でいえば地味。超真面目で、あたしの妹とは思えないキャラよ」
ハンドルこそ手離していないものの、リナは視線を宙にさ迷わせて追憶する。
「でも、一つだけ似てるところがあるわ。ああいう暮らしだったせいか、あたしも妹も、学校出たら働く気満々でさ。早く自立したかったのよ。あたしが今の会社に決めたのは、商社の仕事が面白そうだったのと、安く住める社宅があったから。妹も手に職をつけたいっていうんで、看護師の専門学校に通ってるもん」
「看護師ですか、すごい。しっかりした人なんですね」
感嘆の声を上げる湊斗に、
「堅実なのよ、あの子は。きっと反面教師ってやつじゃない?」
リナは妹への親しみと面倒臭さの両方を顔に浮かべ、やはりあっけらかんと答えた。
それを聞きながら、湊斗はリナの妹の姿を想像してみる。隣にいる彼女から連想したり、逆に離れたりとイメージを膨らませるのは新鮮で、久しぶりに楽しい一時だった。
「湊斗くん、一人で帰れる?」
リナのヴィッツで出発して、二時間ほどのドライブだった。来た道を戻る形で、社宅の駐車場へ戻った頃には、完全に夜になっていた。
「あたしも家までついて行こうか?」
リナの親身な申し出はとてもありがたかったが、湊斗は気丈に笑うと、首を横に振った。
「まあ、あたしがいたら、逆に話がややこしくなるかもね」
難しい顔をするリナだったが、ふと思い立ったように、ダッシュボードやグローブボックスをごそごそと漁る。まもなく、彼女は小さなメモ帳とペンを取り出した。
「これ、あたしの連絡先。一応渡しとくわね」
「えっ?」
リナの連絡先。走り書きのメモを手渡されながら、その威力に湊斗は思わず声が上ずった。
「もしも、湊斗くんや家族の人がまたこんな目に遭ったり、困ったりしたら言って。何ならあたしじゃなくても、学校の先生でも友達でもいい。まず誰かに相談することよ」
(あ、そういうことか……そうだよな)
世にもない神妙なリナに、湊斗は一瞬でも浮き足立った自分を愚かしく感じた。
「わかりました。ありがとうございます」
それでも、度重なるリナの厚意は、湊斗にとってこの上なく嬉しく心強く、これから家という現実に戻らねばならない彼の大きな力となっていた。
もらったメモ帳を服のポケットにしまいこみ、自宅に帰ると、玄関の鍵が開いたままだった。
「湊斗!」
おそるおそる中へ入った湊斗に真っ先に気づいたのは祖母で、居間から飛んでくるなり、涙目で孫を迎えた。
「おばあちゃん……」
「どこへ行ってたの、すごく心配したのよ? 近くを探してもいないし、もう少ししても戻らなかったら、お友達の家や警察に電話しようって、お父さんと言ってたんだから。でも、無事に帰ってきてくれて本当に良かったわ」
安堵のあまり、昂る祖母の声を聞きつけて、奥から熊のように父が現れた。反射的に身を硬くする湊斗だったが、
「湊斗、おかえり。さっきは悪かったな」
父は、不自然なほど明るい笑みを浮かべて言った。
「父さんも色々あって、ついカッとしてしまったんだよ。それ、自分で手当てしたのか? 父さんも気をつけるから、これからも仲良くやろう。な、湊斗?」
父の口ぶりは穏やかだが、予め準備していた台詞と愛想を振りまいている印象を与えた。
「……うん、そうだね」
露骨に下手に出る父に、湊斗は作り笑顔でうなずいた。少なくとも再びの暴力は回避されたという悲しい安心感の陰で、父との間にできた溝は、より深まった気がした。




