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The Blood in Myself   作者: すがるん
第2部 峡谷の底
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35 湊斗の記憶・夏⑨~暗雲~

 8月初旬の登校日。木にしがみついたセミたちの大合唱を耳に、湊斗は陸上部の部室めざして校庭を横ぎっていた。

(中井、いるといいけど)

 クラスが解散になり、すぐ帰りかけた湊斗だが、大事な用を思い出し、引き返してきた。

(借りてたシャツ、早く返さなくちゃ)

 夏祭りのアクシデントで、中井から服を借りた湊斗は、洗濯済みの白いシャツを携えている。

 まもなく、校庭の隅にある長い平屋の建物――各運動部の部室兼更衣室にたどり着いた。いくつか並ぶ部屋の中、マジックで『陸上部』と書かれたパネルをかけた扉が、少しだけ開いている。

(誰か来てるんだ)

 湊斗が室内をのぞきかけた時、

「ハル、何でここにいんの?」

「そーだよ。部活違うだろ」

 聞き慣れた声が、二つした。

(的場と沼田……引退して以来だな)

 二人は湊斗とは別のクラスだが、同学年の陸上部員だった。

「オレ流郷待ち。なー、中井」

 入口の隙間から見てみると、ハルは壁際のロッカーを背に、我が物顔で数少ないパイプ椅子を陣どっていた。スマートフォンをいじりつつ、近くでスニーカーの手入れをする中井に声をかけている。

「そうやったんですか? 初めて聞きましたけど」

 先輩からいきなり話を振られた中井は、驚いてハルを見る。

「うん、初めて言ったし」

「……」

 わずかな沈黙の後、中井は異星人を眺めるようにハルを見た。

(何か不思議なメンバーだけど、とりあえず中井がいて良かった)

 湊斗はこっそり扉越しに安心する。あとは適当なタイミングで声をかければいい。

「流郷来んのか?」

 的場と沼田はハルにそう尋ねながら、ロッカーの荷物を取り出し始めた。私物を片づけに来たのだろう。

「うん。先生に呼ばれてるから、ここで待ってろって。オレ、流郷いないと宿題ヤバいもん。湊斗にも聞きたかったのに、速攻帰っちゃうしさ」

 思いがけず自分のことが話題にのぼり、湊斗は出しかけた声を慌てて飲みこんだ。

「あ、それわかる。湊斗って部活でもそーだったぜ」

 と言ったのは的場だが、その口調には、どこか刺がこめられていた。

「なあ、沼っち。あいつがいないおかげで、いっつもおれらが後片づけとか雑用させられたもんな。でも礼なんか一度も言われたことねーし、先生も流郷もスルーだろ。プレミアム会員かっつーの」

 続く台詞も、決して自分に好意的とはいえず、

(……的場とは、確かにあんまり話したことなかったけど、そんなふうに思ってたのか)

 聞くうちに、湊斗の心に苦々しいものが広がった。

「まあ、言われてみれば、いないことが多かったかもね」

 隣の沼田は、やや戸惑った表情で答えを濁す。

「へー、何で?」

 ハルがスマートフォンから顔を上げ、二人に問うた。

「さあ……家の事情って聞いたことあるけど、よくわかんない」

 首を横に振る沼田だったが、

「おれ知ってるぜ。実はあいつの母親、病んでんだって。しかもメンタルを」

 的場がスクープをつかんだ新聞記者よろしく、言い放つ。その瞬間、湊斗は頭を思いきり殴られたような衝撃を受けた。

「え~っ!?」

 ギョッとする沼田。

「……マジか」

 ハルは低い声で、それだけを呟いた。

「マジだよ。流郷も絶対知ってるぜ。お母さんが言ってたもん。あいつと同じ社宅の人と知り合いでさ。けっこう有名なんだって。シュウトメにいじめられて病んじゃって逃げてきたとか何とかで、湊斗がカイゴしてんの。怖すぎじゃね? おれには無理だわ」

 静まりかえった部室に響く、やや興奮気味な的場の声。湊斗は、己の心の臓が狂った鐘と化して、けたたましく脈打ち始めるのを感じた。

「うわ、重……。けどお前、それ、こんなとこで言っていいのか?」

 沼田も的場同様、湊斗とさほど親しくなかったが、さすがに事の重大性を感じたようだった。

「大丈夫っしょ。おれらしかいないし。おい中井、わかってんだろーな。おれが言ったことバラすなよ」

 的場の命令に対し、中井がどう答えたのか、もはや湊斗は聞いていなかった。

 小刻みに震える手足を必死に動かし、湊斗は無言でその場を離れた。きつく噛みしめた唇からは血がにじんでいたが、もはや痛みは全く感じなかった。



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