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The Blood in Myself   作者: すがるん
第2部 峡谷の底
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27 湊斗の記憶・夏①~友に~

 その後、湊斗はジョギングのため堤防に向かい、道端に自転車を停めた。川沿いの土手であるこの場所は風がよく通り、川べの蛙や鳥たちの鳴き声が響いている。

「はぁ……」

 しかし、豊かな緑を見下ろす湊斗の表情は冴えない。深いため息をつき、芝生の土手にどかっと腰を下ろした。

(やっぱり、おばあちゃんが来たのはまずかったのかな)

 湊斗は朝食を済ませてから、祖母が作ったスープを手に、母の部屋へ行った。が、母はスープにほとんど口をつけず、薬を飲むのがやっとだったのだ。

(お母さん、部屋から出てくる回数も減った気がするし……)

 これまで、母は不調ながらも食後に皿を洗ったり、洗濯物を取り込んだり、できる範囲のことはやろうとしていた。それが今や、母の世界はそこにしかないかのごとく、自室にひきこもっている。

(じゃあ、ぼくが我慢すれば良かったのか?)

 母は決して湊斗に不満や愚痴をこぼさない。けれど、祖母に気を遣い、隠れて過ごす母を見るのは胸が痛んだ。

(でも、ぼくだって、せっかく自分の時間を持てるようになったのに)

 湊斗は今日、走るためだけにここへ来れた。食事の献立や買い物などをいちいち考えることなく、自分のしたいように行動できる気楽さが身にしみる。

 とは言うものの、湊斗の気分はどうにも晴れなかった。

「あーあ」

 やるせなく呟くと、湊斗はそばに転がっていた小石をつかみ、河原めがけて力いっぱい投げた。しかし、小石は川まで届かず、手前の草むらへと虚しく落ちてしまう。

「ちぇっ……」

 湊斗は顔をしかめ、両足を芝生にだらんと伸ばした。

「岡先輩?」

 その時、頭上から声が降ってきた。

 完全な不意討ちに、仰天して背後を振り仰ぐ湊斗。すると、そこにはジャージを着た三景が立っていた。

「山那!」

 もしかして、今しがたの自分を見られたのではないか。湊斗は慌てて広げた足を閉じ、姿勢を正して後輩に笑いかけた。

「こ……ここで会うの、二回目だな。山那も走りに来たのか?」

「はい」

 三景は素直にうなずいたが、

「先輩、大丈夫ですか?」

 思わぬことを訊ねてきた。

「へっ?」

 さっきの、そんなに変だっただろうか。湊斗は内心うろたえながら聞き返すと、

「ちょっと、元気がない感じがしたんで……」

 普段はきっぱりとものを言う三景にしては珍しく、確信なさげに口ごもっている。

 片や、湊斗は一瞬、胸が詰まった。てっきり、石を投げ損なった自分が格好悪く思われたのではないかと案じていた。だが、この後輩は、表面だけでなく、湊斗の心の奥まで見通している気がした。

 ――ああ、試験前だからね。

 そんな当たり障りのない答えでごまかすつもりでいたのに、

「ああ……家の方がちょっとね」

 驚いたことに、湊斗は全く違うことを答えていた。まるで、自分の中に別の誰かがいて、それが代わりに喋ったようだった。



「実は、うちのお母さん、昔から病気でさ」

 湊斗は口を滑らせたことで、逆に開き直って語り始めた。三景も最初は驚いたふうだったが、今は湊斗の隣に座り、打ち明け話の聴き手になっている。

「入院するほどじゃないけど、家のことはあんまりできなくて。でもお父さんは仕事があるから、料理とか洗濯とかはぼくがやってたんだ」

 母の病状に関して具体的にはふれなかったが、自らの家庭の事情を他人に話すのは滅多にないことだった。学校でも実情を知るのは、クラス担任や部活動の顧問など、ごく一部の者だけである。

「ぼくは一人っ子で、手伝ってくれるきょうだいがいないから、宿題や部活とかでしんどい時もあるけど、もう慣れちゃったところもあってさ」

 淡々と説明しながら、湊斗は、なぜ三景にこんな話をしているのか不思議だった。クラスの友人にも言ったことがないのだ。もしかすると、学年や部活も異なる、いわば接点の少ない相手だからこそ気を許せたのかも知れない。

「でも、ぼくも受験生ってことで、この前からおばあちゃんが来て面倒みてくれてるんだ。おかげでぼくはずいぶん楽になったけど、お母さんがね。嫁と姑ってやつで……」

 湊斗が言葉を濁すと、それまで静かに話を聞いていた三景が、まっすぐな視線を向けた。

「お母さんが、いじめられてるんですか?」

「まさか、そんなことはないよ」

 湊斗は手を大きく振って否定する。

「おばあちゃんは思ったことをはっきり言う方だけど、悪い人じゃない。ぼくが小さい頃は、ずっと世話してくれたし……けど、お母さんとは合わないんだろうな。それで今、家の雰囲気が何かビミョーでさ。ぼくも少し疲れてるのかも」

 湊斗が話し終えても、三景はしばらく無言だった。

(しまった、話が重すぎたかな)

 その様子に、湊斗は色々としゃべったことを後悔した。半年前は小学生だった者を相手に、語る内容ではなかったと。

 やがて、三景がぽつりと口を開いた。

「俺、四人きょうだいの三番目で、下に妹がいるんです」

「は?」

 湊斗は色々な意味で驚いた。三景がいきなり自分の家族について話し出したのもさることながら、他に三人もきょうだいがいるのも意外だった。

「確か、お兄さんとは前に会ったけど……」

 湊斗は言いながら、三景とあまり似ていない、不可思議な斉二の面影を頭に浮かべた。

「兄貴は二番目です。一番上は姉貴。でも、末っ子の妹が……具合が悪くて、転地療養でずっと離れて暮らしてます。おふくろも一緒に」

 驚きが怒涛となって押し寄せるようだった。三景の姉という存在も意外で、人物像がイメージできないが、妹の病気による別居は、湊斗が予想だにしないものだった。

「そんな事情があったのか……じゃあ、家のことはお父さんが?」

「親父も仕事であんまり家にいないんで、自分たちでやってます。けど、うちは一応、姉貴や兄貴もいますから。きっと、先輩の方がもっと大変だと思います」

「……」

 湊斗はまじまじと三景の横顔を見つめた。この無愛想で変わり者の後輩が、そんな事情を抱えているとは思いもしなかった。

(ぼく、愚痴なんか言って恥ずかしい……)

 湊斗は我が身を省みた。きょうだいがいるとはいえ、三景は自分より年下だ。

(うちのお母さんは病気でも、まだ一緒に暮らせてる。でも、山那の妹はそれもできないんだ。しかも、母親までいないなんて)

 湊斗は、神妙な面持ちで三景に言葉をかけた。

「ぼく、山那の話を聞くまで、自分だけが不幸だと思ってた。どうして、うちだけこんな目に遭うんだろうって。けど、それは違ってた。山那も苦労してるのに、ぼくが知らなかっただけなんだ」

「先輩……」

 三景が小さく呟き、湊斗を見つめ返す。湊斗には、彼の鋭い双眸が、今はわずかに和らいでいるように感じられた。

「なあ、山那。よかったら、ぼくたち、友達にならないか?」

 気づくと、湊斗はそう口走っていた。

「え?」

 三景は黒い瞳を大きく見開き、急に日本語がわからなくなったかのように固まってしまう。それはいつもクールな印象の後輩が、初めて動揺した姿だった。

「いや、その……何ていうか、ぼくらの立場ってちょっと似てるだろ? だから、他の人には話しにくいことも、話せるんじゃないかと思ったんだ」

 あたふたと言葉を付け足す湊斗。二学年も下の三景にそんな提案をした理由が、湊斗自身にも不明だった。

「それはそうかも知れませんが――」

 三景は理解を示しつつも、その表情は、混乱とためらいに覆われている。

 だが、湊斗は言い出した手前、今さら後に退けなかった。

「もう、ぼくに敬語はいらないからさ。呼び方も、湊斗でいいよ。な?」

「……はあ……」

 これでは強制しているみたいだと、湊斗は己が無性に可笑しくなってきた。加えて、しぶしぶ同意する三景の露骨な困り顔も、滑稽さに拍車をかけたのだった。

 

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