23 湊斗の記憶⑰~斉二Ⅱ~
「来てくれたんだね、みったん!」
少年は、まるで親と再会した迷子のごとく、喜びいっぱいで三景に駆け寄った。
一方、みったんと呼ばれた三景は、しかめっ面を隠そうともしなかったが、社宅の窓から顔を出す湊斗の存在に気づいた。
つかの間、三景は怪訝そうに少年と湊斗を見比べていたが、近くの茂みから先ほどの黒猫が走り去った時、おおよその状況を察したらしい。
「岡先輩、これは俺の兄貴です。もし迷惑かけてたらすいません」
三景は自転車から降りると、ぺこりと頭を下げた。
「あ、いや、迷惑なんて……」
こののんきそうな少年が三景の兄だとは。にわかには信じがたい話であったが、湊斗はすぐさま窓を開け、ベランダへ出る。
その少年はといえば、三景の台詞を受け、まるで雷鳴でも聞いたように青ざめた。
「みったん、今お兄ちゃんのこと『これ』って言わなかった? お兄ちゃんの聞き違いだよね?」
「言った」
「それじゃあ、まるでお兄ちゃんが物みたいだよ! 日本語は正しく使って!?」
「俺は間違えてない」
「みったん!」
三景はとりすがる少年をすげなくあしらい、
「たぶん、兄貴はあの黒猫を追いかけてここまで来た。それから、先輩の家のベランダに入った猫を見ようと中を覗いてたら、先輩に気づかれた。そんなところじゃないですか」
湊斗に向けて、自らの推理を披露した。まったくその通りだったので、湊斗は半ば感心してうなずいた。どうやら、今回に始まったことではないのだろう。
「もしかして、この人、みったんの知り合い?」
三景の言葉づかいを嘆く少年だったが、二人のやりとりを眺めるうち、そう訊ねた。
「学校の先輩だ」
三景がいつものぶっきらぼうな口調で答えると、少年はたちまち興味と明るさを取り戻した。
「それは奇遇だね! ぼくは斉二。南高の一年生だよ。君は?」
(え、ぼくより年上!?)
少年――斉二の自己紹介に、湊斗は驚きを隠せなかった。
斉二は三景より背丈があること以外、何ら兄らしい印象が感じられなかった(もっとも、一人っ子の湊斗には、兄弟というものはよくわからなかったが)。童顔でおっとりした雰囲気の斉二は、三景と似ていない。てきぱきしたふうもなく、むしろ、今のように弟が探しに来なければならない有様なのだ。
「ぼくは……岡湊斗、2中の三年生です」
それでも、自分より年長かつ志望校の先輩だと判明した以上、湊斗は斉二に対して敬語を使わざるをえなかった。さっき適当な対応をしたことが悔やまれるが、後の祭りである。
「あ、もしかして、君がみったんを陸上部にスカウトした人?」
だが、斉二は湊斗の当初の態度などまったく気にするそぶりもなく、思いついたように声を弾ませた。
「は、はい……」
三景とのいきさつが知られている。湊斗は少したじろいだ。
「入部を誘われただけで、そんな大げさなことじゃない」
三景がぶすっとした顔で口をはさむ。
「みったん、それをスカウトっていうんだよ! 見る目があるね、岡くん。ぼくも前から思ってたんだ、みったんには走りの才能がある! そりゃ、絵や字はずいぶん下手だけど、人は誰でも――」
嬉々として語る斉二だったが、その話が自らの絵や字のことに及ぶと、三景のややきついまなざしが、さらに険しさを帯びた。
「そ……そういえば、先輩たちは出かける途中なんですか?」
目には見えないものの、何やら不穏な空気を感じた湊斗が、気を回して話題を変えた。
「あっ、買い物!」
すると、斉二がようやく思い出したように声を上げた。
「もう買ってきた。アボカドは売り切れだ」
もはや諦めの口ぶりで三景が答える。実際、自転車のカゴにはトマトなどが入ったレジ袋が積まれていた。このような事態を予想してか、財布は彼が持っているらしい。
「ありがとう、みったん! でもアボカドなかったのかあ。あれがないと、一羽姉がフキゲンになるんだよね」
もろ手をあげて弟をほめる斉二だったが、アボカドがないと知るや困り顔になり、湊斗にはよくわからないことを呟いた。
「岡先輩、俺たちは帰ります。驚かせてすいませんでした」
三景は湊斗に向かって再び謝罪すると、自転車を道路側へ反転させた。
「ああ、そう……」
状況をよく飲み込めぬまま、湊斗は曖昧にうなずいた。
「え~、もう帰るの? せっかくだし、岡くんともっとしゃべっていこうよ」
対照的に、斉二は名残惜しそうに意見したが、
「食い物が暑さで傷む」
三景はそれをあっさりと一蹴して、サドルにまたがった。
「う~ん。残念だけど、しょうがないか。岡くんバイバイ! みったんのこと、これからもよろしくね~!」
斉二は湊斗へひらひらと手を振って、自転車を進ませる弟のあとについていく。
(何だったんだ、一体……)
まるで狐か狸にでも化かされたように、湊斗はベランダに突っ立って、三景たちが社宅を出ていくのを見つめていた。




