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The Blood in Myself   作者: すがるん
第2部 峡谷の底
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20 湊斗の記憶⑭~箱~

「国枝、ちょっと落ち着いて……」

「無理!」

 湊斗がなだめようとしても、国枝の怒りは収まらなかった。

「またやったわね、山那!」

 国枝は湊斗を押しのけ、つかつかと三景の側に行くと、机の半紙を奪い取った。そこに羅列されたアルファベットを忌々しげに眺めがら、

「この前は関数で、今回は英語? 何度も言ってるけど、ここは書道部で、学習塾じゃないの。ふざけるのもいい加減にして!」

 国枝の説教が始まった。一方、三景はむっつりと黙り、それを聞いているようだった。

山那あいつ、もしかして前科があるのか?)

 ぽかんとする湊斗だったが、書道部の部員たちにとっては、すでに見慣れた光景らしい。呆れ顔の生徒もいれば、さっさと筆を持ち直す生徒もいた。

「俺は、ふざけてません」

 そんな中、三景は下を向いたままだったが、はっきりと言った。

「自由課題だったんで、頭に浮かんだことを書いただけです」

「カッ!!」

 後輩の言葉に、国枝はくわっと目を見開くと、激しく一喝した。

「ここで言う自由ってのは、あくまで日本語のこと! 漢字とひらがなとカタカナ! それ以外は書かない、わかった!?」

「……はい」

 国枝の剣幕に押される形で、三景は小さく返事をした。


「ごめん、岡。何かみっともないとこ見せちゃって」

 部室を出た湊斗の後を追って、国枝が声をかけた。

「いや、気にしてないよ。書道部の印象が悪くなったとかもないから。まあ、部長って大変だなとは思ったけど……山那、いつもあんな感じなのか?」

 湊斗は笑って応じたが、廊下側の窓から再び三景の姿が目に映って、ふと訊ねてみた。

「山那はねえ……部活にはまじめに取り組むし、悪い子じゃないんだけど、どっかズレてるっていうか、良くも悪くも普通じゃない感じかな」

 国枝は首を傾げ、少し考えてから、声をひそめて答えた。

「それ、どういう意味?」

 普通じゃない。その一言は、喉に刺さる魚の小骨のごとく、湊斗の胸の奥深くに引っかかった。

「あの子、前回は数学の答えを書いたの。それだけなら単なるバカかと思うけど、その問題っていうのが、部活が始まる前、三年生が見てた受験の問題集でね。持ち主でも解けなかったのに、あの子は問題を読んだだけで、半紙にいきなり、y=何とかかんとかって書き出したの。もうみんなビックリして」

 国枝の話に、湊斗は驚いた。それが事実なら、中学に入って間もない三景が、三年生の学習範囲の問題を解いたことになる。

 ただ、その時、湊斗は三景に高校生の兄がいるらしいことを思い出した。もしかすると、兄の勉強を見聞きしていたのかもしれないが、それでも高校受験レベルの問題を解くのは容易でないと思われた。

「一年の子に聞いたら、山那ってすごく頭が良いみたい。運動も、岡がスカウトする位だから、よくできるんでしょ?」

「うん、走るのは速いよ。ぼくなんかよりずっと」

 国枝に聞かれ、湊斗は迷わずそう答えていた。 

「色々、すごい子なんだろうけど」

 国枝はため息と共に、軽く肩をすくめて言った。

「本人に悪気はなくても、学校っていう箱から飛び出しそうというか。決められたことをやるのは、あんまし向いてないのかもね」



 国枝と別れた湊斗は一人、校舎を出た。

(学校っていう箱、か……)

 正門へ向かう途中、湊斗はふと振り返って校舎を仰いだ。

 そこには、こちらを見下ろすように、がっしりとした灰色の建物が二つ、中庭を挟んでそびえたっている。

 国枝のたとえ通り、四階建ての校舎は、巨大な箱に見えなくもない。

(学校も家も、もしかしたら大人が通う会社だって、みんな、ただの箱なのかもしれないな)

 湊斗の胸に、そんな考えが浮かんだ。毎日、自分たちは家という箱から学校や会社という箱へ、せわしなく往き来しているだけなのではないかと。

 グラウンドから、部活動中の生徒のかけ声や歓声が響く。湊斗がそちらへ目をやると、トラックを走る陸上部員たちの姿があった。今日は、部の活動日なのだ。

(……お母さん、大丈夫かな)

 湊斗は、不調で朝も起きられなかった母を思った。本来なら自分も練習に参加するはずだったが、母を放っておけず、帰ることにした。

 ――良くも悪くも、普通じゃない感じかな。

 国枝の台詞のせいだろうか。湊斗の中で、自宅で伏せっている母と、国枝に怒られてうつむいていた三景のようすが、再び重なって見えた。

「普通って、何なんだろう?」

 湊斗は、無意識にそう口に出していた。が、もちろん、周囲にその問いに答える者はいない。

 己の発した言葉が耳に届いたとたん、なぜか、先ほどまでいた校舎や、生徒が駆け回るグラウンドが、自分のいる場所から遠く隔たっている気がした。こんな感覚を味わうのは初めてだった。

 その答えを探すように、湊斗はゆっくりと空を見上げた。雲間からは梅雨の合間の太陽がのぞいており、淡いの光が、湊斗とその足元の影を、うっすらと照らし出していた。

 



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