19 湊斗の記憶⑬~書道部にて~
その日の放課後、湊斗は右肩にスクールバッグを提げ、校舎一階の片隅にある教室を訪れていた。廊下側の窓から中を覗くと、十人ほどの男女の生徒があちこちの机に座り、各自が広げた半紙に筆で字を書いているのが見える。
ここは、書道部の部室だった。
顧問の先生はいないようだが、しんと静まり返った室内に、湊斗は躊躇しつつ、最終的に扉を開けて声をかけた。
「国枝、ちょっといい?」
すると、四列目の右端に座っていたポニーテールの女生徒が、驚いたように顔を上げた。
「え。岡、どしたの?」
そのやりとりにつられてか、他の生徒たちも、一斉に湊斗に注目する。
「あ、邪魔してごめん。さっき、先生からプリントもらったんだ。次の美化活動の割り当て。国枝にも渡してってさ」
やにわに注目された湊斗は、若干たじろいだものの、気を取り直してバッグから一枚のプリントを出した。
「それで寄ってくれたの? ありがとう、わざわざ」
国枝と呼ばれた女生徒は席を立つと、そう言って湊斗からプリントを受け取った。
「別にいいよ。ここ一階だから通り道だし、明日だと忘れちゃいそうで」
湊斗と国枝はクラスメートで、共に美化委員だ。美化委員は校内の環境をきれいに保つため、環境美化活動(啓発ポスターの掲示やゴミ拾いなど)を定期的に行っている。国枝に渡したプリントも、それに関するものだった。
用事を済ませた湊斗は、改めて部室を見回した。やはり顧問の姿はなく、黒板には『自由課題』と書かれている。
「先生、いないの?」
湊斗は素朴な疑問を口にした。確か、書道部の顧問は国語科の先生だと記憶している。
「先生? たまにしか来ないよ。うちは気楽に、かつマイペースに活動してるもん」
国枝はそう言うと、朗らかに笑った。彼女はこの部を率いる長なのだ。
「ふうん……」
湊斗は首肯しながら、自分たちの部とはずいぶん違うと感じた。部員数の差もあるが、陸上部では練習時に必ず顧問の先生が顔を出して、さまざまな指導や監督を行っている。
(ん? 待てよ、書道部といえば――)
湊斗ははたとあることを思い出し、部員たちの方を見た。すると湊斗の予想どおり、二列目の中央付近の席で、毛筆をにぎる三景がいた。
「山那!」
湊斗が気づく前から、三景はこちらをじっと見ていたらしい。名を呼ぶと、着席したまま頭を下げた。
「本当に書道部だったんだな」
普段立ち入らない場所に来たせいか、顔見知りの三景に会って、湊斗は少し安心していた。が、その気持ちは我ながら意外でもあった。それは、自分が変人だと認識している相手と、思ったより馴染んでいるということではないだろうか。
「岡、山那と知り合いなの!?」
国枝がぎょっとした顔で問う。その表情を見て、湊斗は三景に対する彼女の評価が何となくわかった気がした。
「陸上部にスカウトしたけど、書道部だからって断られたんだよ」
湊斗は国枝に説明しつつ、ぶらりと三景の席へ歩み寄る。この後輩がどんな字を書くのか、興味があったのだ。
「な、山那――」
と笑いかけた湊斗だったが、机上の半紙を目にした途端、その言葉も笑みも静止した。
文鎮で押さえられた半紙には、なぜかa、b、c……の26文字が横書きで記されていた。しかも、それらはいずれも筆記体である。
「え……山那、これ何?」
湊斗は思わずそう尋ねていた。以前、美術室で見た絵も、自分には到底まねできないものであったが、書道における感性も同様のようだ。
「アルファベットです。今日の授業でこういう字体もあるって習ったんで、思い出して書いてみました」
一方、三景は大まじめなようすで答えた。隣の席の男子部員も、妙な顔で三景を見ていたが、当人はそれにまったく気づかない。
その時、湊斗の後ろにいた国枝が背伸びをして、三景の作品がどんなものであるか知った。湊斗が背後に不穏な気配を感じて振り向いた頃には、彼女のこめかみと鼻の穴が、怒りでぴくぴくと動いていた。
一方、三景は異変を察することなく、淡々と話を続けた。
「でも、毛筆だと墨で字がにじんで、うまく書けませんでした。つまり、英語は筆で書くことは想定されてない文字で――」
「当たり前じゃーっっ!!」
そんな三景の言葉を蹴散らすように、国枝の怒鳴り声が部室中に響き渡った。




