17 湊斗の記憶⑪~事件~
「岡先輩?」
こんな場所で会うとは思いもよらなかったのだろう。湊斗から見て、良く言えばクール、悪く言えば無愛想な三景が、珍しく驚きの表情を浮かべた。
「山那、もしかして走りに来た?」
湊斗はガードレールのそばに自転車を停めながら訊ねると、三景は黙ったまま頷いた。
「確か、家は奈加町の辺りなんだろ。ここから結構遠いんじゃないのか?」
奈加町は、湊斗の住む社宅から中学校を挟んで反対側にあたる。この土手まで、およそ湊斗がたどってきた距離の倍はあるはずだ。
「ここには前からよく来てるんで慣れてます。それに、今日は途中まで兄貴……いや、兄と一緒でしたから、歩いてきたようなもんです」
三景は『兄貴』と言ったあと、少し口ごもって『兄』と言い直した。そういった呼び方はしないよう、家でしつけられているのが見てとれる。
しかし、湊斗が注目したのは別のところだった。
「山那、お兄さんいるの?」
「はい」
素直に答える三景は、しごく当然という顔をしている。
「へえ……ちょっと意外だな」と呟いた湊斗だが、
「ん、もしかしてぼくと同い年だったりする?」
はたと気づいて確認した。これまで、周りに山那という名字の者はいなかったが、単に同じクラスになったことがないだけかもしれない。
「いえ、兄貴……あ~、兄は高1です。南高校の」
「南高――」
自分より年上なのか。そのことと共に、湊斗は南高校という単語に反応していた。
南高校は社宅から自転車で通える、唯一の公立高校だ。紺のブレザーにえんじ色のネクタイ、そして濃緑のチェック柄のボトムスという制服が目印で、湊斗の中学校からの進学者も多い。私立を勧める父は賛成していなかったが、湊斗自身は、のんびりした校風だという南高校を志望していた。
「俺にきょうだいがいるのは意外ですか?」
さっきの一言が引っかかったのか、三景が少し首を傾げながら問う。
「え? ああ、いや……山那はマイペースっぽく見えたから、一人っ子かなって。実は、ぼくが一人っ子だからそう思ったのかもしれないけど。弟って言われれば、そんな感じもするし。まあ、何となくだよ」
本音としては、三景に対してはマイペースを通り越して変人という印象が強く、親兄弟の存在を想像することも難しかったのだ。とはいえ、さすがに本心をそのまま口に出すのは憚られた。
「先輩、一人っ子なんですか」
一方、三景の表情も、意外だと言いたげなものだった。
「うん。そう見えない?」
「はい。たぶん、俺の兄貴より兄らしい気がします」
大まじめに答える三景に、
「はは。それは単に、ぼくが山那より年上だからじゃないかな」
湊斗は何だか可笑しくなってきた。もし、自分にこんな弟がいたら、どんなふうだったろう。母や父は、どう接するだろうか――という思いが、空を横切る鳥のように、湊斗の頭をよぎった。
その後、先にストレッチを済ませた三景は、湊斗より一足先に走り出した。
(あいつ、やっぱり良い走りするよなあ)
湊斗はガードレールの隅で屈伸しながら、駆けていく後輩を眺めていた。考えてみれば、これまで目にしたのは百メートル走など短距離ばかりで、長距離を走る三景を見るの初めてだ。
川沿いを進む三景の背筋はまっすぐに伸び、緩やかな足運びであった。瞬発力を要する短距離走と違って、長い道のりを走り続けるには、緩急を意識することが大切になる。
三景は部活に入っていないが、本能的にそれを理解している。そう感じさせる彼の姿を、湊斗はしばし見つめていた。
ランニングと買い物を終えた湊斗が社宅に戻ると、A棟の手前に救急車が二台停まっていて、周りには人だかりができていた。
(何だ?)
駐輪場で自転車から降りた湊斗の耳に、野次馬とおぼしき主婦たちの会話が入ってきた。
「運ばれたの、庄野さんらしいわよ。あと連れの人も」
庄野の名前が出て、前カゴの荷物を取り出そうとした湊斗の動きが止まる。
「階段から落ちたんですって。もう一人はその巻き添えで……しかも、本人は誰かに突き落とされたって言ってるとか」
「でも、その場には他に誰もいなかったんでしょ?」
湊斗は弾かれたように顔を上げて、救急車を見た。
では、あれに乗っているのは、庄野とその連れの女性なのか。
堤防へ行く前、湊斗は彼女たちと鉢合わせたのを思い出した。興味本意な庄野の目つきと、母の噂話――そして不快のあまり、自分が胸のうちで願ったことを。
『あいつら、転んでケガでもすればいいのに』
「……偶然って、あるんだな」
湊斗は低く呟くと、救急車に背を向け、足早にその場を離れた。




